裏 ≪契約≫
篭手は魔女から渡されたもので、輩の証だ。
掌の鍵穴は、開錠して武具や真の力を解放するため……だけでなく、鍵を納めるのに、また仲間内での連絡にも用いる。
穴を探れば、無数の鍵留め鎖の中に、他と意匠の異なるものが見つかる。
セピア、赤、青、黄……16色。この世の十六月を象徴する色。
一本は魔女宛て。
残り15本は、他の高弟宛て。
相手を選んで鎖を引っ張り出し、手紙を括って戻せば、先方の篭手の中へと届く仕組み。
『僕が呼び起こした過去英雄を、供物として差し上げます。
現代まで語り継がれる伝説の力を取り込み、お役立てください。』
英雄の居場所の目星も書き添えておく。
彼らはそれぞれ、船と剣とを取りに向かっているはずだから、見つけるのは難しくないだろう。
土蔵の魔方陣に這いつくばったまま、貧血気味の手で何とか、オルトとムミュゼへ文を出し遂せた。
息を吐く。
「これで……よろしいですか」
「――まぁ、少しはマシかな」
と軽い口調の答えだが、ユノハは相変わらず、殺気を抑えていない。
カナは身震いした。
ジュンナイリクホを相手に力を使い果たし、命からがら逃げ込んだセーフハウスに、現れた回路神の神託者。
この状態では、しかも孤立無援、抵抗すら出来ない。
言われるがままに手紙を認めたが……溜飲は下げてもらえただろうか。
依然カナの背には、死の恐怖がひたりと張り付いている。
「…………っ」
こっそりと、拳を握った。
ここで死ぬわけにはいかない。
魔女様とともに、世界の全てを見るまでは。
「心配しなくても、」
神託者は告げる。
あたかも、神の代弁を務めるような、厳かな寛大さで。
「許してあげるよ。ひとまずは」
「……は」
その割にユノハは、相変わらず、殺気を抑えない。
翅を逆立て、神球は弄んだまま。
「君にもこの先まだ、役割があるからね。
過去を変えようとしたのはちょっと、やんちゃが過ぎたけど。それもまぁ無事に、適当なところに落とし込めそうだし」
「…………」
恐る恐ると、カナは身体を起こし、面を上げた。
しばしの休息で少し呼吸は落ち着いた。肉体は20歳ほど老いたままだが、数日のうちに戻るだろう。
握ったままのハンドベルを、そっと、目の前に置く。武装解除のポーズだ。
じっと射抜いてくるユノハの視線……ぞっとする。
「あなた、は、」
喉が渇いて、上手く舌が回らない。
大きく息継ぎをし、カナは、決死の覚悟で問う。
「貴方は……何を見据えて、動いているのです?」
つまらなさそうに鼻を鳴らしたユノハは、ぽいと神球を放った。
それは適度な大きさに変わり、宙にピタリと固定されて、彼はそこへ腰を下ろす。
相手に会話の態度を見て取って、カナは咳き込むように更に言い募った。
「貴方は、ジュンナイリクホの不利益が嫌なんじゃない。
現に蘇らせた英雄を始末させず、オルトとムミュゼの戦力増強に充てろと言う。
貴方は、ジュンナイリクホに加担するでもなく、魔女様に味方するでもなく……争いを、望んでいるのですか?」
「そうだね。なるべく拮抗してもらわないと困る」
「何故なのです?
それが貴方の神の、意志だから?」
鼻で笑われた。
「そうだよ、決まってるでしょ。
そうでなかったら! リクホくんなんか、ボクがとっくにボコボコにしてるし。
――運命を正しい回路へ。それが、ボクに任ぜられた役割」
「貴方には、辿るべき未来が見えている……っ?」
一層食い下がった。
反対にユノハの表情はどこまでも冷ややかだ。
だがカナは、もはや命の危機も構わない。
「僕にさえ、未来は容易くない。干渉するどころか見通すことさえ難しい。
教えてください! 貴方の瞳には、それが、詳らかに映っているのですかっ!?」
「そんなにボクの視界が気になるわけ?」
「もちろんです!」
気になるとも。それこそ決まっている。
過去と現在、そして未来。その全てがあって、ヒトは初めて自由なはずだ。
今を生きるしかない者は誰しも、不確かな未来へ怯えなくてはならない。
予期しようもない運命には、覚悟のしようもなく、納得のしようもなく、足掻く術すら怪しい。
――カナは、それが嫌だった。
時間の全てを理解する。
そのためならば、何を引き換えにしても惜しくない。
そのためならば……付き従う相手を、鞍替えしたとしても。
「へぇ? 本気?」
「っ」
顎を掴んでくるユノハの手は乱暴で、指は氷のようだ。
返事も難しいが、カナはそれでも何とか頷く。
「じゃあ、同じモノを視れるようにしてあげよっか」
「……っ!」
「言っておくけど、ボクは未来なんか見ちゃいない。
視てるのは、運命の全体性ってやつさ。
きっと君が想像してるものとは違うよ?」
「…………っ!」
頷く。
運命の全体性。
なおのこと、カナにとっては望むところだった。
ユノハが、裂けるように笑った。
突然、カナの口へ神球を突っ込んだ。
「が、ぶ、ぶふっ……っ!!」
「ほら呑み込んで」
掌大に縮んているとはいえ、丸ごとを呑むには大きすぎる球体だ。
カナは涙を浮かべて身悶えするが、ユノハの手が容赦なく押し込んでくる。
「今日から君はボクの使い魔ね。
あぁでも、魔女の手下も続けるように。
君がすべきことは、じきに自覚するだろう」
「っ! ……っ!」
ようやく喉を通り過ぎ、胃の腑へと落ちていく。
胸を掻き毟って涎を零し続けるカナに、果たしてユノハの話を聞く余裕があるかどうか。
「……っ! …………ぁ!」
カナの目に、砂嵐が過った。
腹の底で、神球が燃えているようだ。
カナの目に、未来が過った。
頭の奥で、運命が燃えているようだ。
ユノハの声が遠い。
「こんな景色が欲しいなんて、ボクには心底理解できないんだけど。
まぁ、望んだのは君だ。後で恨むような真似はしないでくれ。
引き換えに、ボクの負担が減るように、精々働いてもらうけど――おーい? 聞いてるかい?」
カナの目に、神の姿が過った。
背中で、カゲロウの翅が、燃えているようだ。




