急:急 ≪供物≫
素振りは日に1000回までと決めている。
三日三晩、剣を振り続けられるようになったときから、そうするようにと師父に言われた。
たった1000回に、己の全ての力を費やす修行。
日によっては500回に、100回に、10回に。
オーレリオ大陸。
『清廉なる潔白者の泉』イェーニヒ。
この孤島にヒトは、防人である自分のみ。
仕事も付き合いもなく、剣以外にすべきことと言えば、食料の調達くらい。
それでも退屈ではない。
残りの時間は全て、瞑想に充てる。
扉の樹の根元に、剣を抱くようにして座り込み、ひたすら無心を目指す。
そうしていると、やがて自分が一塊の岩になる、そんな心地がしてくる。
そうしていると、やがて扉の樹との、対話が始まる。
樹は、断片的にではあるが、記憶を防人に見せてくれるのだ。
その始まりの瞬間――ゼオはいつも、不覚にも、心が騒いでしまう。
この地に、まだ苗木の扉の樹をもたらした師父。
樹に幸あれと、帯びた聖剣を泉へ沈める師父。
やがて健やかに育った樹の下、一塊の岩のように座り込んで、瞑想にふける師父。
聖剣を狙って訪れる、ならず者たち。
その中には、度し難いほど無知で粗暴な、兎の獣人……若き日のゼオもいた。
師父はこれらを軽く払い、ときには導いた。
ゼオは、『真実の楔の剣』に貫かれた、あの日を思い出す。
あぁ……これは、樹の記憶だろうか。
それとも自分の?
微笑む師父の表情は、思い出にかすれて朧に。
呼びかけてくる師父の表情は。
「――ゼオ」
はっとゼオは目を覚まし、ぱっと飛び退いた。
纏った襤褸切れの下、身体にいくつも突き刺した剣を握る。
何者か。
島の全域を気配の範囲に収めているのに、間近に近づかれるまで全く気付かなかった。
何者。
「ゼオ」
「――っ」
息を呑む。
兎は、自分の長い耳を疑った。
兎は、自分の赤い目を疑った。
「ゼオ。ただいま」
「し、……デュオーネ、師父っ!?」
そこにいるのは紛れもなく、師父だった。
数十年も前のこと。自らの死期を悟り、この泉を弟子に任せ、故郷にて息を引き取ったはずの師父が。
師父が、目の前に。
「私のいない間にも、鍛錬を続けていたらしいな。感心な弟子だ」
「師父……」
喉が詰まって、どうして、とすら続けられない。
死んだはずの師父が、目の前に。
身に付けた当世風の鎧、師父にはあまり似合っていない。
自分はずいぶん老け込んで、でも、師父は若々しく……それこそこの泉を去ったときのままだ。
かつて今生の別れをした恩人と、再会している。
その事実がじわじわとゼオの実感へ沁み込んでいき、浮かんでくる感情は。
感激……よりも。
不気味。
デュオーネが肩を竦めた。
言い訳の口ぶりだ。
「時を遡る術者に起こされて、助力を乞われてね」
「は……それ、は……」
許される術なのだろうか。
一度死したものが、再び現世に干渉することは、神の定めに背くのでは。
ゼオは、どうしたらいいか、途方に暮れる。
師父をどのように扱ったら。
「客が来たな」
とデュオーネが呟き、ゼオもほとんど無意識に耳をそばだてる。
足音。二人分。
片方は、こちらが気付いていることに、気付いている足取り。
やがて泉の畔までやってきたのは、身の丈ほどの大剣を背負った、童顔の少年。
傍らの気弱げな少女は、姉だろうか、それとも従者か。
少年のほうが、声変わり前の美声で訊ねる。
「剣聖デュオーネとお見受けする」
「誰かね」
呼ばれた側は低く唸る調子だ。不機嫌をあからさまに、隠そうともしない。
「いま弟子と感動の再会の最中なのだよ。
これから互いの戸惑いが緊張も解けて、喜びに涙し合うところだ。なぁゼオ?
悪いが遠慮してくれないか」
「それは失礼」
だが少年は引かない。
どころか背の剣を降ろし、鞘込めのまま、構えたではないか。
剣聖は、たっぷりと嘆息する。
相手の意図と力量は、一連の動作だけからでも十分に明らかだ。
「ゼオ。剣を貸してくれ。どうやら彼は、やる気のようだから」
「待ってくださいっ。あの者たちは、誰なんです?」
それは私も訊きたいな、とデュオーネが流し目をやった。
少年はきっぱりと答える。
「貴方を蘇らせた男の同胞ですよ。
剣聖。カナはこの私に、貴方を供物として提供しました」
「ふぅん?」
それを聞いてもデュオーネは、何の顔色も変わらない。
ただ、弟子から受け取った剣の一振り、その握りの感触を懐かしんでいる。
ふと、少年がじっと観察しているのに気づくと。
「……うん? どうしたね、何を待っている?
私を供物にというのなら、ほら、かかってこないのか?」
言われるまでもないことだ。
だが。
構えもせず、佇んでいるだけの相手。
そのはずなのに。
少年は額から、汗を一筋、零した。
腹に胆力を込め、己を鼓舞するためにあえて堂々と名乗る。
「魔女高弟十六人衆が一人、箙の月、『華箙』のムミュゼ・ミアト。
――剣聖の胸、お借りいたします」
>>>>>>
準備運動にもならなかった。
アインは最後のフジツボ人間を両断し、ため息を吐いた。
全然食い足りない。
「お、終わった、の?」
その場に蹲ったままのキアシアが、恐る恐ると問う。
魔眼を両方とも銃弾にしてしまった彼女には、今は周囲は音で探るしかない。
「あぁ、片付いた。
目ぇ大丈夫か?」
「ん……取るときに、内側を引っ掻いちゃったみたい……。
痛いし、痒い……」
「医者に行かねぇとな。ばい菌が入ったら大事だぜ」
「……。アインって、そういう心配、できるんだね」
キアシアの苦笑に、心外だとアインは鼻を鳴らす。
「でもとりあえず、俺たちもあの船に戻るか。
扉……は、閉じちまったな」
と、振り返ったトレミダムの樹が、向こう側から開く。
「お?」
来訪者は見知った顔。
アインは眉を上げ、先方もまた羅刹の存在に顔をしかめた。
束の間、無言で殺意のやりとり。
気配だけを聞いていたキアシアが、首を竦めて訊ねる。
「あ、アイン……? 誰か、来たの?」
「おいおい、誰だと思うよ。ヒントは鶏冠」
「え、オルトっ?」
ちっ、とオルトが舌を打つ。
彼の手には既に抜き身の斧。
そしてこのタイミング。トレミダムへ観光に訪れたわけではあるまい。
だがアインは、わざと馴れ馴れしく。
「よぉ、しばらくだなオルトぉ!」
「……アイン」
オルトはアインを、というよりは彼の二刀、そのうちの鈴剣を睨んでいる。
より正確には、刃に留められた生首を。
そのことにアインはもちろん気付いた。
「うん? これか?」
「……おぉ。そいつをコッチ寄越せやぁ。
そいつぁな、おれのためにカナが用立てた、供物なんだとよ」
「っほー」
これはそんなに大した首か。
おもむろにアインは、鈴剣を振って、海賊の頭部をぽんと投げ上げた。
キアシアが、膝の上に落ちてきた何かボールのようなものに、悲鳴を上げる。
「ひぃっ。
なっ、なに、なにコレ!?
ぬるってした、いやなにコレぬるってしたぁ!」
「ちょっと持っててくれ。
大丈夫、もう噛みつきゃしないから」
「噛みっ、もうって何よ!?
これ、アイン!? これ何!?」
「聞かないほうがいいと思うぜ」
実に楽しそうに、喉で笑うアイン。
それとは正反対に、さらに殺気漲るオルトの双眸。
「テメェ……」
「ほれ。欲しけりゃ取ってみろよ、オルト。
おまけにキアシアも付けてやろうか。そっちのがやる気出るか?」
「ぶっ殺すっ!!」
彼の憤怒に呼応して、辺りの影という影から兵士が身を起こす。
トレミダムの広場がまたしても、侵略者で満たされた。
そんな光景に、羅刹は。
おかわりだ、と唇を舐める。




