転:結 ≪加速≫
それは、己が命を燃やすという宣言。
「Order! Code:Nitro!」
Code:Nitro.
返答も待たず、陸歩は青空へと飛び出した。
頭を下に、手足を閉じて極力空気抵抗を避け、可能なだけの速度で落下する。
遥か先で火蜥蜴が、さらにその奥にキアシアが錐揉みしていて。
彼女に意識はあるのか。
いやそれどころか、息は……。
【Code:Nitroを受諾。】
1秒後、イグナのAIが承認。
Ignitionの鎧が変形を開始。
【背甲に採血機関を構築。
採血量は500mlにシステムロック。ユーザー変更は受け付けられません。
血送管を構築。放出口を構築。
穿刺します。ユーザーは呼吸を大きく、楽にして待機を願います。】
翼を仕舞った陸歩の背に、バックパックが形作られる。
彼の血を啜り、甲冑の全身へ行き渡らせる、機械の心臓だ。
掌に、踵に、ノズルが突き出す。
蚊の口吻を模した無痛針では、陸歩の強靭な皮膚は貫けない。
鎧から背に突き刺さるのは、鋭く穿孔する棘。
だがその程度の痛み、彼は瞬き一つでやり過ごす。
【装着完了。
システム・オールグリーン。
採血を開始します。
Please take care of yourself.】
すぐに吸い上げられる血液500ml。
それ以上は絶対に採らないというイグナの意志表示か、陸歩の背から針が抜き取られた。
兜内のモニターに、残量インジケータが灯る。
「燃えろぉ――っ!」
バックパックから、炎を噴射。
そこへガス化させた陸歩の血がくべられ――引火、爆裂した。
「――――っ!」
限界を超えた加速。
陸歩は――イグナも――歯を食いしばって耐える。
だがキアシアはまだ遠い。
「イグナ――もっとだ――っ!」
「はい!」
再度、噴射、点火、爆裂、加速。
「もっと――!」
「はい!」
地表はどんどん近づいてくる。
自分の今の速度。
キアシアまでの距離、彼女の落下スピード。
それらを陸歩は、イグナに問わなかった。
知るのが怖かった、というのもある。
知ったところで、することが変わらないから、とも。
「おおおぉぉ――っ!」
ついに、火蜥蜴に追いついた。
全身の目を剥いた魔物は、ギョロリと陸歩を見つめ、手足をバタつかせる。
その巨体が邪魔だ。
迂回などしていられるものか。
「そこ、どけよっ!」
そのまま突っ込む。
腹に開いた魔眼の一つを、勢いのまま、左手で突き刺した。
掌のノズルから、血液を流す、たっぷり50ml。
身体の内側に直接燃料を注入され、火蜥蜴の無数の瞳孔が一斉に閉まった。
苦痛の咆哮は風に掻き消される。
悶えるこのケダモノを、陸歩はこの速度と重力の中で、ひたすら馬力にものを言わせて押しのけ、とうとう抜き去る。
もうすぐそこに、キアシアが。
もうすぐそこに、地上が。
「イグナ! ありったけを!」
「はい!」
バックパックから、掌から、踵から、炎を噴射。
採取した血液の、最後の一滴までを注ぎ込んだ。
空に一際大きな爆発が花と咲き、陸歩は計器の全てが振り切れるほどの加速を手にする。
――それは、イグナにとっても身を削る行いだ。
度を越した燃焼により、ノズルは溶け、内部機構が破損する。
一瞬でも気を抜けば装甲の全てがバラバラに砕けてしまいそう。
そこまでしても、少しずつ、少しずつしか、キアシアとの間は埋まらない。
もうすぐそこに、地上が。
もうすぐそこに、キアシアが。
「おおおぉぉ――っ!」
キアシア。
キアシアの力ない腕を。
掴んだ。
陸歩は――イグナも――キアシアの身体を、固く抱き寄せた。
「イグナ!」
「はい!」
「キアシアをぉ!」
「はいっ!」
それは、どんなCodeよりも重要なOrderだった。
下された命令をイグナは直ちに解し、従って、陸歩の身体から剥がれる。
そのまま鎧でも少女の姿でもなく、卵の形となって、キアシアを包んだ。
「――っ!」
その卵を、陸歩は思いっきり蹴り上げる。
上げる、といってもこの落下の中では、多少の減速にしかならないが。それでも。
――その日エァレンティアに、隕石が続けて三つ、落ちた。
>>>>>>
人より火傷の多い人生だった、とは思う。
だからこの心地よさを、火傷を冷やしたときに似ているな、と思った。
闇と静けさと冷たさ。
それだけが今ある全部だ。
さっきまで漆黒の炎に苛まれていたのが、嘘のように穏やかだった。
胸のうちで燃えていた憎悪の火さえ、この闇と静けさと冷たさの中にはなく。
キアシアは、ただ微睡んでいた。
もう、これでいい気がする。
もう、ここでいい気がする。
なんだかひどく草臥れたし。
もう。
――キア。
焼けつくような憎しみも、
斬り裂くような哀しみも、
――キア。
何もかも忘れて、
このまま眠っていられたら。
――キア!
声がする。
いつもの声が。
眠り、夢を見ると、語りかけてくるいつもの声。
――キア! ダメだ! 行っちゃダメだ!
声変わりも迎えていない、性別のない呼びかけは、
なぜだろう、
痺れるほど沁みた。
――行っちゃダメだ! キア! 行かないで!
――お願いだから!
――ボクを、また、一人にしないで!
「っ」
その言葉が意味するところを、キアシアは、よく分からない。
この子が何者かだって、ちゃんと知らない。
ただ、独りぼっちにされる痛みだけは、彼女は誰よりも判るのだ。
――行かないで、キア!
「う…………」
踏みとどまろう。
そう決心すると、途端にこの闇が重い。
この静寂が痛い。
この冷たさが苦しい。
火がなくちゃ、と強く思った。
火。熱。何でもいい。何でもいいから。
憎悪を思い出そうとする。
その激しさを借りようとする。
……駄目だ、何も沸いて来ない。
――キア!
「うぅ……っ!」
冷たい。
寒い。
沈む。
このままでは、この無明の凍土に、
「うぅぁあ……っ!」
火を。
熱を。
「リク、ホ……!」
キアシアは、知るかぎり最も強く、最も暖かな火を思った。
彼を思って、自身の身体を抱いて丸くなった。
せめてこの、か細い体温を、手放さないようにと。
「――リクホぉっ」
――キアシア!
そして気付く。
自分を抱く、炎の手に。
それが誰の手か。
検めるまでもない。




