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序:承 ≪獄中≫

「ジュンナイ・リクホ……さん?」


 オウム返しに名を呼ばれ、石床の上で胡坐(あぐら)をかいた陸歩は(うなず)いた。ほわほわと欠伸(あくび)を漏らしながら。

 囚人服を着せられて、牢屋に入れられて、なおその緊張感のなさ。

 格子の外で少年看守は大いに鼻白む。


「えっと、変わった名前ですね。どちらのご出身なんです?」


「群馬」


「グンマ……聞いたこと、ないですけど」


「そういう街があるんだよ。ずっと遠く、歩いて行けないくらい遠くにな」


「はぁ……。年齢はおいくつですか。見たところお若いですが」


「十八。そういう君こそいくつだ。嫌に若いな」


「若くなんてないです。もう十四です」


「十四っつった? ……色々どうなってんだよ、この街ぁ。こんな深夜に、こんな子どもを看守に立たせるなんて」


 街のこと、それとも年齢、あるいは子ども扱い。

 言葉のどれが気に(さわ)ったのか、少年はむっと顔をしかめる。


「僕なんて、遅いくらいなんですよ。……才能のある子は、九歳でだって八歳でだって看守をやっている」


「は? 人気職なのか? こんなジメジメした薄暗いところで、囚人の相手するのが?」


 石の床、石の壁、鉄格子。

 粗末なベッド。奥の暖簾(のれん)の向こうはほぼ丸見えの便所。

 これが今の陸歩に許された空間の全てだが、看守側だって大差はない。

 石の廊下、粗末な文机(ふみづくえ)に椅子――この瞬間だけ切り取ってみれば、囚人と看守のどちらがより辛い境遇か、果たして。


「大切な仕事ですからね、お給金もいいですし。だから大人の志望者もたくさんいるんですけど……。

 子どもの看守っていうのは、要するに、法務官の卵なんですよ」


「法務官?」


「この街で最も尊敬され、権威のある役職です!」


 誇らしげにむんと胸を張る少年に、陸歩は目を細めた。

 年相応に表情がころころと変化する様が微笑ましかったのもあるし。

 看守やらせるにはコイツしゃべりだな、というシニカルも多少ある。


「この街の法と、百腕天秤(ひゃくうでてんびん)(つかさど)る方々、それが法務官なんです!

 街のために新たな法を立ち上げ、街のために古き法を(はい)する!

 実際に百腕天秤に触れることを許された、尊き役職!

 誰よりも法に厳格であり、誰よりも法を遵守(じゅんしゅ)する、まさしく法の番人!

 ヴェルメノワの住人全ての模範となる方たちなんです!」


「聞くだに堅苦しそうだこと。そんなのに君は……あー、君は?」


「ナックといいます」


「ナックは、なりたいのか。変わって……るってわけでもないか、別に」


 そういえば小学校の同級生に、将来の夢は裁判官と言っていた秀才がいたことを思い出す。

 法務官とやらも、似たようなものかもしれない。


 とにかくこの街の有力者がどういう者たちかが、早めに知れたのは大きい。

 

 あるときは王族。

 あるときは司宰(しさい)

 あるときは領主だったり。

 それら貴人たちに取り入らなければ、陸歩の仕事は始まらない。


 では第一目標は法務官の誰がしかと知り合うこと。

 ……問題は現在が牢屋の中ということだが。


「つーか法律って法務官が作ってるって言った?」


「えぇ。その新法が本当に(てき)しているかは、百腕天秤の審判を受けますが」


「そうなのか。でもまぁ、ひとまずは法務官のどなたかにこの仕打ちについて言いたい事あるから、取り次いでもらえない?」


 ナックの表情がまたムッと(くも)った。


「仕打ちって。貴方は街の法を犯したのですから。牢に入るのは当然です。そんなのは逆恨みっていうんですよ」


「いやいやいや! だってよぉ……道の白いとこ踏んだだけだよ?」


 ヴェルメノワは建物がボーダーなように、道路にもほぼ同じ配色の(しま)が、縦に長々と入っている。

 ほぼ、というのは一本だけ色が多いからで、道の中心を白亜の大理石帯が通っていた。

 陸歩はこれを踏んだのだ。


 それだけであっという間に警邏(けいら)の兵士に取り囲まれた。

 反論の余地もなく簀巻(すま)きにされた。

 あれよあれよと、気付いたらここだ。


「あれは、神様の通り道として()かれているものなんです。とても神聖なもので、人は踏み込んじゃダメなんですよ。罰当(ばちあ)たりだなぁ」


「知らなかったんだってば……」


「ガイドを(やと)わないから」


 確かに街の入り口や『扉の樹』の周囲には、ガイド業者がたくさんいた。

 だが陸歩はてっきりそれを観光ガイドだと思ったし、()げられた値段を見て、億法都市のくせに法外だと断ったのだ。

 あれの正体はヴェルメノワの法令を熟知し、行く先々で逐一(ちくいち)教えてくれる法の案内人で、つまり「素人が一人で歩いたら大変なことになりますよ」というのは脅し文句でも何でもなく、誠実な警告だったわけだ。


「にしてもまさか逮捕されるなんて……」


 もういっそのこと、牢を破ってしまおうか。

 その気になれば、石と鉄で()まれた程度の檻、今すぐにでも。

 見張りが少年一人というのも都合良い。


 しかし……。


 目に浮かぶようである。

 明日の朝刊に大見出し、『堅牢堅固を誇るヴェルメノワ中央刑務所からよもや脱獄!』。そして自分の顔写真。

 

 お(たず)ね者になるのは絶対にまずい。

 やっぱり大人しくしているよりないか。


 足止め食っていられるほど暢気(のんき)な旅でもねぇのに、と陸歩はうなだれる。

 そのしょげ返りぶりにはナックもため息をついた。


「まぁ、リクホさんのような観光客は、実はちょくちょくいますからね。

 そんなに心配しなくても、何日か拘留(こうりゅう)されたら百腕天秤が『もう十分』って判決を下してすぐに解放、っていうのがお決まりのパターンですよ」


「何日かってのは、具体的にどれくらい?」


「貴方が十分に反省なさったら、です」


 声は女性のもので、ナックではない。


 廊下の向こうから新たにやって来る影がある。

 それが(あか)りの下で(あら)わになった途端、少年看守の全身へ緊張が走った。


 壮年の女性だ。

 わずかに白のまじる銀髪。片眼鏡に飾られた目元。にこりともせずに引き結ばれた唇。

 どれもが(いか)めしく知的だった。


 まとっているのは法衣。

 そこへ襷状(たすきじょう)刺繍(ししゅう)された赤と金のラインの意味は、陸歩には判らないが、もしかしてとは思う。


「ゆ、ユスティーム様!」


 最敬礼となったナックの(すそ)を、陸歩は格子の隙間から手を伸ばして引っ張った。


「なぁ。なぁ、ナック。この方はどなた?」


「ミネルヴァ・ユスティーム上級法務官様です!

 歴代でも最も若くして法務官となり、もっとも若くして上級となった方! あと三年すれば、最も長く法務官を務める方でもあります!」


「つまり偉い人」


「とっても偉い人!」


「厳しそうな人だなぁ」


「とっても厳しい人です!」


 ユスティーム法務官は少年らのそうしたコソコソをあえて無視して、言葉を続ける。


「百腕天秤は情状(じょうじょう)()み取り、酌量(しゃくりょう)の余地を与えます。

 言いかえれば、反省のない者には容赦もありません」


 その口調には、その視線には、なるほど、政治屋風情とは一線を画す、本物の為政者(いせいしゃ)の威厳があった。


「貴方は、どちらでしょうね」


「あー。いやオレも、申し訳ないとは思ってますよ? ルールを破っちゃったことは。

 ……でもやっぱり、牢屋はやり過ぎだと思うし、こちらもあまり油を売ってるわけにはいかない」


「急ぐ旅なのですか」


「それなりには」


「この街へは何をしに?」


「あー……」


 返事にはひどく迷った。


 ここで一から十まで事情を話してしまおうか。

 ……いや下手をしたら狂人扱い、より堅い牢に移されるなんてことも。

 ……でも現状は手詰まりしてるし……。


 その間のせいで、法務官にはある程度、察されてしまったようだ。


「なるほど。やはりただ立ち寄っただけ、というのではないようですね」


「……、」


「貴方に一つ、(たず)ねたいことがあります」


 ユスティームが法衣の陰から手を出すと、そこには左用の籠手(ガントレット)が握られていた。

 没収された陸歩の持ち物だ。


「これを、どこで手に入れましたか」


 (いぶか)しむのはナックだ。


 精緻(せいち)な細工を(ほどこ)された鋼鉄製の、はめると指先が露出するガントレット。

 珍しい物でも何でもなくて、街の装具屋へ行けば、店先のワゴンにだって置いてある。


 これは旅人の必需品であり、この世界で最もメジャーな魔具で、付与された機能は『鍵束』だ。

 掌部分に開いた穴は亜空間につながっていて、ここに鍵を何本でもしまっておくこと、また好きなときに取り出すことが出来る、というもの。


 ナックの様子を受けて、法務官は彼に籠手を渡した。

 ためつすがめつした少年は、すぐに瞠目(どうもく)する。


神智(しんち)文字……っ!」


「そう、神智文字です。

 そのガントレットの内側に刻まれているのは神智文字。

 神だけが扱うことの出来る文字、千年を経て力を失わない神秘。

 人には書くことも、写すことすらできず、けれどもどんな無知なる者にでも読ませることが出来る文字。

 獣にでも草木にでも岩にでも伝達できる文字。

 ――こんな貴重なものを、貴方は、どこで手に入れたのです?」


 これについての返答も、陸歩は実に歯切れ悪い。


「いやー、話すと夜が明けるほど長いんですけど……」


「では、かい(つま)んで」


「っとですねー……もらったんです」


「もらった。誰から?」


「名前は知らない、名乗らなかったんですよ。

 男か女かもよく分からなかったなぁ。美人でしたけどね。

 あとは、ひどい偏食家(へんしょくか)で、赤い物しか食べなかった」


 断片的で曖昧(あいまい)な陸歩の供述(きょうじゅつ)

 まるっきり(けむ)に巻こうとしているようであって、法務官は眉をひそめる。


「『(はる)けき彼方よりの者へ』……この神智文字は、そう読めますね。

 これは貴方のこと? 刻んだのは、まさかその、くれたという人物?」


「どうでしょう。オレ自身その文字に気付いたの、だいぶ後だったんで。詳細なことは、全然」


「…………、」


 法務官に、しばし思考の間があって。


 やがて踵を返した。


「ジュンナイ・リクホといいましたね。よくよく自身を(かえり)みて、反省しておくように。

 ナック、その籠手を保管室に戻しておいて下さい」


「あぁちょっと。オレからも一つ訊きたいですけど、いいですか法務官殿? それとも質問しちゃいけない法とかってあります?」


「内容によって違法になりますが。なんでしょう」


「イグナ、どうしてるかなって」


「イグナ」


「ほら、オレの連れの。

 赤い髪した、んーっと、十五歳くらいの、ちょっと表情の硬い女の子」


「あぁ。女子棟に収監していますよ」


 肩越しに振り返り、法務官は答えた。


「この街には、男女を同じ房に入れてはならない法がありますからね」


「……なるほど、法がね」


 今だけはその法律がありがたい。

 陸歩はそっと息を吐いた。

 男女別というだけでもだいぶ安心だ。


 それでも。

 ここと同じような牢で、彼女が石畳(いしだたみ)に静かに正座していると思うと、胸が詰まるようだ。


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