起:結 ≪神託≫
差し当たって心配なのは。
「タイムパラドクス、とか、起こったりしないかな……」
何それ、と首を傾げるキアシアに、陸歩は弄んでいたリンゴで例える。
今ここにあるリンゴ。
これを、過去にさかのぼって、枝からもいだ時点で食べてしまう。
するとリンゴはそこで無くなって、ここに存在出来なくなる。
「それって……なんか問題? 別なリンゴがここにあることになるだけじゃないの?」
「まぁそうなんだけど。
その影響で、現代の何がどう変わっちゃうか、全く予想できないのがな」
リンゴ一つと侮るなかれ。
本来あるべきところに、あるべきものが行き渡らなければ、描かれる『現在』はまるで違うものになるだろう。
ひょい、と陸歩の手から果実がさらわれた。
神様がシャクシャクと齧りながら。
「そんなことを言い出したらね、君ね。
現代の君だって、未来の君から見たら、過去なんじゃないのか?」
「いや、それは…………うぅん?」
そりゃあ、未来のことを気にして、現代で振る舞ったことはないが。
それで困らなかったのは、時間を行き来する真似をしなかったからで。
「……いやでも、過去に対して現代でそういう困り方をしたことないし、あれ?
過去がどうあれ関係ない……?」
いけない、頭がこんがらがってきた。
なんとも、詭弁に弄されている感覚。
――ふと思いつく。
ユノハは、じゃあ、そういうことだったんだろうか。
奴の授かった権能は、未来予知とは違う。
それでもあるべき未来は分かっていて、それを現代がなぞるよう、苦心していたのなら……。
半裸の身体には、ずいぶん久しぶりに、ユノハに付けられた回路神の紋様がない。
陸歩はそっと息を吐いた。
同情する気は起きないが。アイツもなかなか、面倒くさいものに取り憑かれているのかも。
「まぁ……何にせよ。あまり大筋は変えないのが吉かな」
と、とりあえず結論する。
過去をなぞっていくつもりで動くのが、何かと懸念も少なそうだ。
さて、かつてはここから、次にどうしたんだっけ。
神様が肩を竦める。
「じゃあ、またあのまだるっこしい契約までのやり取り、するかい?」
「……あぁ、そうでしたね」
あのときは、とにかく説明の連続だった。
ここはどこかとか。
キアシアの事情とか。
陸歩が何者かとか。
陸歩がどこから来たとか。
神様についてとか。
魔法だとかカラクリだとか。
それらが済んでようやく神託者の話になって、神様に契約を持ちかけられたのだった。
しかも陸歩は二つ返事にしなかった。
そもそもここが夢ではないということを納得するのにも、一日だか二日だか要った気がする。
「端折りましょ、さすがに」
「そう? じゃあ済ませちゃおうか」
「…………一応、お伺いしますけど。
神託者になる方法って、他にあったり?」
レドラムダ大陸の女帝は遺伝だという。
『あれ』よりもう少し穏当なやり方があるのなら。
鼻で笑われた。
「もっと痛くなら出来る」
「……前回通りでお願いします」
「承った」
すい、と神様が目の前に立つ。
……眩しくって仕方ない。
身長は、意外にも、陸歩の顎くらい。
そういえば、これまで神様の背丈を気にしたことなんて、気に出来たことなんて、あったっけ。
胸を貫く衝撃。
「ぐっ! ……くっ!」
陸歩は、歯を食いしばって耐える。
ゆっくりと、神様の手が、この胸に沈み込んでいく。
息が詰まった。
前回は背中からじゃなかったか、などと指摘する余裕もない。
そうして取り出された心臓は、ドクドクと、忙しなく鼓動していた。
「――――」
神様が、己の頭を掻く仕草。
かんざしのように取り出したのか、手には鍵があって。
それを、陸歩の心臓へと挿した。
回した。
行きの丁寧さはどこへやら。
神様は突き飛ばす勢いで、陸歩の胸に心臓を戻す。
「――はっ! はっ、はぁ……」
「り、リクホ、大丈夫?」
這い寄ってくるキアシアに、脂汗を流しながら頷いた。
けれども明らかな強がりで、耐え切れずに蹲り、さらには横になる。
「リクホ!」
「大丈夫さ」
代わりに答えるのは神様だ。
「少し休めば息も整う。前もそうだったろ。
それより、ほら、これ」
倒れた陸歩の手の中に、落とされるもの。
一本の鍵。
あぁ懐かしい。
以前はともかく、今の陸歩にとってその一本は、ともすれば己の心臓よりもかけがえなく大切だ。
そっと、冷たく力の入らない指で、握った。
>>>>>>
「ほら、キアシア」
「うぅん、大丈夫」
陸歩は思わず苦笑いを漏らした。
「なによ?」
「いや、あの時と同じこと言ってると思って」
「……そうだっけ?」
月明りも満足に届かない森の中。
陸歩とキアシアは、近隣の街を目指していた。
彼が負ぶうつもりで背中を見せると彼女が断わる、このやり取り。まるで再現だ。
当時は陸歩もそれで納得したが。
今はそうはいかない。
「あ、ちょっと、ホントに! 大丈夫だからっ、慣れてきたからあたしこの体調に!」
問答無用でお姫様抱っこ。
これなら陸歩の脚力で森を抜けられる。
キアシアは大いに不満げだ。
まぁお互い、肌と肌だし、と陸歩はあくまで思考を平坦に努めて思う。
だけでなく、彼女は自分の汚れと臭いも気にしているのだが。
「こっちだったっけか?」
「たしか……そう」
二人で記憶を照らし合わせながら進む。
おっかなびっくり行けば明け方までかかる道も、迷いがなければ宵のうちだ。
ほどなく、寝入り端の街の、乏しい常夜灯が彼方に見えた。
「前回って、どうしたんだっけ……?」
キアシアに訊ねられ、上を向いてしばし思い出を手繰る。
……思い出した。
「キアは体力が限界だったから、ここに残して、オレ一人で行ったんだ……」
そして入用なものを、あの街から、
「盗、んだなぁ……」
「えぇ……」
不本意だが、今回もそうするしかないか。
何せ誇張無しに身ぐるみ一つないのだし。
「あとで、支払いと謝りに来ましょうか……」
いや、待て。
「――閃いた」
>>>>>>
街門の上で、ハンフリーは何度目か分からない欠伸を漏らした。
夜番はきついし、なにより退屈である。
たびたび襲ってくる眠気の波を、立ったり座ったりでどうにかやり過ごす。
「ふぁ……ぁ……」
こういう仕事と分かっていて自警団に入ったものの。
夜の見張りなんて、本当に必要なのだかどうだか。
この辺りはとっくに文明的で文化的な領域で、野盗の襲撃も蛮族の侵略も、大昔か他大陸の話だし。
どちらかと言えば、ちゃんと夜も警備の人間がいますよ、という事実が大事なのかもしれない。
それだけでも街の人たちは心強く、枕を高くして眠れるのだろう。
そう思えば、ちょっとは慰めになる。
「ふあぁ……あ?」
ふと、目につく。
こちらへ真っ直ぐ向かってくる、灯り。
「……なんだ?」
まさか。
ハンフリーは子どもの頃、ばあ様から聞いた怪談を思い出す。
闇夜に揺れる鬼火……。
妖魔の先触れ……。
まさか。
震える手に弩を取った。
矢を、矢が、上手く番えることが、
その間にも、光は街に近づいて。
「――あのぅ、すみません」
声をかけられ、ハンフリーは息を呑んだ。
訪ねてきたのは。
妖魔なんて、とんでもない。
「あなたは、あー、神様って信じます?」
輝く極光の翼を背負い、
紅蓮の衣に身を包み、
慈しむように傷だらけの少女を抱いた、
「信じてたら……ちょっと、助けていただけません?」
「し、神託者、さま……っ!?」
灼たかな来訪者に、ハンフリーは、落ちるように門から降りる。




