起:転 ≪昔日≫
いつもの夢だ、と思った。
いつの間にか眠ってたんだ、と夢の中で気付いた。
明晰夢というやつ。
夢と自覚する夢。
このところよく見る夢で、何もない空間、自分もない暗闇の中で、あの子と会う。
ほっと、キアシアは息を吐いた。
不思議と心は穏やか。
起きているとき絶え間なく襲ってきたトラウマは、ここまで侵入できなかったらしい。
真っ黒な虚無が、決して圧して来ず、あたかも揺籃のように柔らかい。
――キア。
あの子の声だ。
耳に優しいソプラノ。
夢の中でも誰かが一緒なんて有難いこと。
今の自分には特に。
「ドゥ。こんにちは。今日は、」
――キア!
思わず口を噤んだ。
ドゥが焦った声なんて初めて聞く。
――キア、気を付けて!
「どうしたのっ。何かあった!?」
――誰かがキアを連れてこうとしてるっ。
――キアを引っ張ってる!
――すごい力で!
「あたしを?」
何のことだか、まるで心当たりがない。
……が、本当だと分かった。
身体が、どこにあるかも分からない自身が、宙に浮かび上がる感覚。
「わ、わ!」
――キア! 気を付けて!
「ドゥ!」
――キア! ぼくを、
「ドゥ!」
――、
>>>>>>
「う…………」
まず気だるさを覚える。
いつの間にか眠っていたんだ、とキアシアは気付いた。
寝起きの重苦しさ。
……だけではなかった。
「う…………ぅ」
気持ち悪い。
これは、貧血だろうか。
過労と飢餓と乾きと凍えと強張り。
「なに……これ……」
それから異臭。
苦労して目を開く……左目しか開かなかった。
呻いた。
右目になじみ深い痛み。眼球を無理やり抉った時の。
ようやく身を起こす。
「なに。これ……」
キアシアは、我ながら、見るも無残だった。
襤褸を着て、靴も無く、髪は乱れ、泥まみれ。
手足が枯れ木のように細く、骨に直接肌が張ってるみたいだ。
臭いの元は自分自身……。
えずく。
「な、に、これ……」
篝火が燃えていた。
どこかの洞窟のようだ。
周囲にはいくらかの食材が散らばり、山積みのリンゴが灯りを照り返している。
ここは。
覚えがあった。
「ここって……」
一層激しく篝火が燃え上がった。
その色が赤から青へ黄色へ緑へ。
七色を描き、極彩色に輝き、一瞬の後に紅を発した。
囲うように描かれた魔方陣が、同じに。
そして炎の中に、人影が浮かび上がる。
それが誰か。
キアシアは、既に知っていた。
「――――っ」
陸歩は、気が付けば火に炙られている。
「は、」
手ぶらで。
裸一貫で。
「お? お、あぁ?」
訳が分からない。
一瞬前には、浮遊城にいたはずだ。
カナがその玉座につき、鐘? 光と音に包まれて。
ここは。
覚えがあった。
「リク、ホ……」
「キアシア!?」
目の前のキアシアの有様に驚く。
傷だらけ汚れまみれで美人が台無し、幽鬼のようではないか。
右目に巻き付けた包帯には真新しい血が滲んで、抉ったばかりか。さぞ痛かろう。
ひとまず腰を炎で覆って、篝火から出た。
地面にぐったりと蹲る彼女に駆け寄り、安否を確かめる。
「キア、おい、大丈夫か?」
「リクホ……。ここって……」
そのとき、輝く手が、陸歩の肩を掴んだ。
父のように偉大で、母のように柔らかく、太陽のように雄々しく、月のように慈悲深い……どんな詩人の形容でも足りない全能者の手。
「――久しいな、二人とも。
いや、なかなか珍妙な体験をしていることだ」
「か、神様……ぅおっ!?」
うっかり振り返った陸歩は、キアシアも、呻いた。
目の当たりにしたのは、ヒトの目ではとても見ること適わない、焦がすほど眩い神の裸体。
そして極光の翼。
「ひとまずは服だな」
神様が肩を竦める。
「それから食事にしよう。
かつて、この時、そうしたように」
>>>>>>
「キアシア、大丈夫か?」
「なん、とかね……」
とにもかくにも寝かせた彼女に、水と果物を少しずつ含ませる。
突如として滋養の足りない身体にされ、キアシアはずいぶん消耗していた。
何にしても物資が足りない。
陸歩たちが一応纏っているのは布きれで、文化的な格好とは言い難かった。
篝火の前に陣取った神様は、あぐらを掻いて、しゃくしゃくとリンゴを齧っている。
不服そうに。
「侘しいなぁ……。
以前こうしたときには、キアシアの料理を食べなかったっけか? うん?」
「こんな状態のキアに料理させるわけにはいかんでしょう」
ブーと神様が頬を膨らます気配。
「完璧になぞるべきだとは言わないが。
ボクらは前回より、よくすることを目指すべきだと思うがね」
「……神様。貴方には、この状況が分かってらっしゃる?」
「逆に訊くけど、何が分からないんだ? うん? 自明じゃないか」
「…………」
陸歩とキアシアは互いの目を見た。
抱く結論は一つ。
口を開くのも億劫そうな彼女に代わって、陸歩が答えた。
「時間を、戻された……」
「少し違うな。
君たちは、過去の自分の中に放り込まれたのさ」
つまり。
「オレたち以外の人間は、この時間を生きてる?」
「そういうことになるな」
「抜け出せば、元の時代に帰れる?」
「うむ、リクホ、頭に血が巡ってきたじゃないか」
ならば問題はその手段……。
いや、それは悩むまでもないか。
これがカナの仕業であるには違いないのだから。
カナを討つ。
あるいは。
はたと思い至った。
「ダンダルフォを殺し……浮遊城を、今度こそ完全に、滅ぼせばいいのか。
あの玉座を今この時代で、無くしてしまえばいい」




