起:承 ≪福音≫
かつて闊歩した居城は見る影もない。
輝く壁は崩れ、床はひび割れ、天井は今にも落ちそうだ。
苔に覆われ、木の根が張り、土と埃が積もっている。
「…………」
男の怒髪が天を衝く。
その輪郭は毒々しい紫の発光に縁取られ、周囲を炙った。
「どうか落ち着いてください、ダンダルフォ」
同行のカナは、ハンドベルに触れながら、慎重に声をかけた。
この短い付き合いでもダンダルフォの直情径行は明らかで、下手に刺激すれば味方でもどうなるか。
場合によってはすぐに骨に戻す必要もあるやも。
「…………。
お前の力なら、俺様の城を、元通りに出来るんだな?」
「えぇ。可能です」
「この城は神器だぞ。本当に、出来るんだろうな?」
くり返し問われて心外……とは、カナは思わない。
神器は理の外縁、ぎりぎりのところに存在する。
人の手では破壊もままならず、修理など更に叶うものかと、怪しまれても当然のことだ。
実際、この城に時間という理が適用されるのか。
神器とは神の器、ゆえに永遠の器物だ。
永遠は、瞬間を無限に積み重ねたもの……ではない。
時間の操作では永遠には、永遠にたどり着けない。
などという懸念は、カナはおくびにも出さなかった。
「心中はお察ししますが、そう疑わないでください」
「俺様の心中を察するだと?」
鼻を鳴らした。
纏う雰囲気に皮肉気なものが交じり、怒気がわずかに和らぐ。
「どれほどの歳月と私財をかけてこの城を我が物としたか……。
俺様の舐めた苦渋と辛酸が理解できるかよ?」
「なんとはなしに、噂には、聞いていますが」
ダンダルフォ・ギグスタヴの素性は、ある程度は調べてある。
何しろ、この男を高弟の一人に迎えようか、という案が挙がった時期があった。
その後に魔女が心変わりして、それは実現しなかったが。
確か南方の大陸に広大な領地を持つ名家の一人息子。
恵まれた生まれ。恵まれた財。
恵まれた魔力。
その体躯も恵まれたが故のもの。
そんな御曹司が、なるほど初めて苦労と挫折を味わいながら、ようやく手中にしたのがこの城か。
さぞ愛着のあることだろう。
ダンダルフォは噛み締めるように言った。
「願った日に手に入らなかったものは、後にも先にもこの城だけだ」
「…………。なるほど」
「理解できたかぁ!?」
と、ダンダルフォが声を荒らげる。突然。
本当にコロコロと、次の瞬間には最高温度で激情を燃やす男だ。
魔女が彼を招かなかった理由は、まさか組織運営を考えての采配ではあるまいが、彼と轡を並べる羽目にならなかったことをカナはこっそり感謝した。
「えぇ。貴方にとって唯一無二、絶対の城だと」
「そうじゃねぇ!
……お前、出来るって言ったな? 出来るんだな? 俺様の城を元通りに。
出来るってんなら……その日のうちに、出来るんだよなぁ? そういう意味だろ?」
今日中に出来なきゃどうなるか。
という言外の恫喝がはっきりと聞こえ、カナは肩を竦める。
「えぇ。もちろん。
そのために今、城の中枢を目指しているのです。
さぁ、ダンダルフォ・ギグスタヴ」
「…………。こっちだぁ」
決してカナは指摘しなかったが、ダンダルフォはどうも道に迷っている様子だ。
墜ちた浮遊城は山の斜面で崩壊し、縦横もずれ、階も途中でずれ、以前の地図が頭にあってもさほど役には立たないのだろう。
それを悟らせまいと、男は堂々と振る舞ってはいるけれど。
廊下の分かれ道に差し掛かる度、イライラを膨らませていた。
部屋によっては、廊下によっては逆さまだ。
獣の巣と化した場所も多い。
そんな中で。
その場所だけは、空にあったときとまるで変わらない。
あぁ、と男が息を漏らした。
カナもさすがに感嘆が口を突いて出る。
「なんと、神々しい……」
白く清く、輝く玉座の間。
そこには空気の一吸いまで、神秘が滲んでいた。
神々しい。そうとしか形容できない。
壁に彫られた紋様は全て神智文字。
天井は高く、高く、果てが見えない、まるで天空を戴いているよう。
神の座の、忠実なレプリカが、ここに。
「帰ったぞ。マギュラ!」
ダンダルフォが吠え、中央の玉座へ、一歩。
――その背を陸歩が切り裂いた。
左の肩から右脇へ、一閃。
「あぁ?」
「帰るなら地獄へにしろよ、ダンダルフォっ!」
翻った鈴剣は、今度は右肩から袈裟に。
瞬く間に大男の身体が、上半身と下半身、右半身と左半身、四つに切り分けられた。
カナはハンドベルをとっさに鳴らす。
自身が纏う時間を進め、2秒後にいるはずの地点へ一瞬で移動。
元いた場所を、アインのフランベルジュが撫でた。
「ようカナぁ!」
ち、とカナが舌を打つ。
「思ったより、早い再会になりましたね」
想定よりずっと早い。
てっきりもっと体勢を整える時間を取ってくるものと思っていた。
それが、こうも急いで討ちにくるとは。
蘇らせたダンダルフォが、図らずもジュンナイリクホの怨敵であったことは、威嚇に作用すると思ったのに。どうやら逆だったらしい。
陸歩もまたカナに刃を向けようと、
胸倉を掴む腕。
「は?」
ダンダルフォの左腕だ。
右腕もまた宙に浮き、振りかぶっているではないか。
「――っ!」
横っ面を殴られる。
吹き飛んだ陸歩が壁に埋まる。
バラバラにした男は、逆回しで再び身体をくっ付けた。
「便利なもんだなぁ? あぁ?」
再生した己を確かめつつ、ダンダルフォは、
目を剥いた。
「おい、テメェ、」
カナが走る。
時間の早回しも交えて、猛然と。
玉座へ向かって。
浮遊城マギュラ。
その主の椅子には、座ったものに神格を授ける力があるという。
「待ちやがれ小僧! そこはこの俺様のっ!」
その座に、カナが、着いた。
彼の頭上に現れる、透明に輝く巨大な鐘。
「響け――――」
荘厳な福音が、世界を揺する。




