起:起 ≪古城≫
「――じゃあ、師匠。キアをお願いします」
「まぁ、匿うのはいいが」
絶対に安全な場所。
陸歩はレドラムダの女帝か、トレミダムの師匠のところしか思い浮かばなかった。
結局後者を頼ることにしたのは、キアシアの心に必要なのは慈しみと思ったからだ。
ここなら、師匠が何かと世話を焼いてくれるだろうし、街の人もすっかり親しい。道場の子どもたちも懐いている。
朝を迎え、キアシアはようやく休んでいる。
もう二度と見ることないはずの怨敵の顔を、再び目の当たりにしたのだ。きっと凄惨な過去が生々しく胸へ去来し、古傷を抉ったはず。
彼女は夜通し泣き続け、吐き続け、イグナの処置でやっと眠った。
「私のとこより、リクホ、お前と一緒のほうが、キアのためなんじゃないか」
「いえ。オレは打って出ます。あの男をもう一度始末する。
キアシアは……もう、関わらなくていい」
事情を全て承知しているマチルダは、「そうか」と頷くに留めてくれる。
「気を付けろ。相手も相当な魔物なんだろう」
「はい。行ってきます」
師匠の家を後にし、扉の樹の前までやってくると。
イグナとアインが待ち受けている。
二人とも支度がすっかり済んでいる様子。
出来ることなら。どちらかには、キアシアの傍にいてほしいものだが。
欲を言えばイグナに。
しかし彼女が、戦いに出る陸歩について来ないことはあり得ない。
それに陸歩自身、イグナの力抜きであの男に太刀打ちできるとは自惚れていない。
いくら現在の自分が、あの時よりもずっと、戦闘を学んだといっても。
ならアイン。
羅刹に気遣いは期待できないが、用心棒としては心強い。
師匠とともに武力が控えていれば、キアシアも少しは安心なのでは。
「アイン」
「絶対に嫌だ」
「……まだ何も頼んでないだろ」
「どうせキアシアのお守りしろとか言うんだろ? 冗談じゃねぇぞ。
……あぁでも、お前の師匠、」
「分かった、もういい」
「強そうだったなぁ。なぁ?」
「いいっつってんだろ」
生粋の戦闘者の粘っこい下心に、陸歩は顔をしかめた。
この狂犬から目を離したら、むしろ師匠の危険か。
ふん、とアインが鼻を鳴らす。
「だいたい、俺抜きで頭数は足りるのかよ。
あの剣聖とやらが出張ってきたら、お前だけで手ェ回るのか」
「剣聖……」
陸歩の記憶に、細波が走る。
剣聖、誰のことだ。
いや、あの大鐘楼の上で、カナの隣りに立っていた男……。
ダンダルフォだったはず。
いや、剣聖、そうだ、剣聖も立っていた。
でもカナの他に敵は、もう一人しかいなかったはず……。
「あの、リクホ様」
イグナがらしくもなく、歯切れ悪く申し出る。
「海賊服の男も、何か覚えが、ありませんか」
「…………あぁ」
言われてみれば、確かに。
どうもあの時の記憶が混濁している。
だが陸歩は頭を振った。
優先順位に迷いはない。
ダンダルフォ。
そしてカナ。
あれを野放しにしておくのはあまりに危険だ。
「ひとまずは斥候だ。エァレンティア大陸へ向かう」
「そこで連中と鉢合わせる可能性は?」
「大だ。
そうなったら即戦闘。敵を殲滅するまで必ずやる。
特にカナは逃がすわけにはいかない」
きっぱりと告げる陸歩に、アインは舌を打った。
だからこの前やっておけばよ、と。
「今回は気兼ねしなくていいぞ、アイン」
「言われなくてもよ」
「イグナ、例の場所、分かるよな?」
「はい。最短距離をナビできます」
「よし。――行くぞ」
始まりの場所へ。
>>>>>>
エァレンティアに、ホーキードーンという駅街がある。
陸歩は鍵を所持していて、この大陸の玄関として用いていた。
そこから一路、東へ。
山岳部の深いところに、今も沈んでいるはずだ。
浮遊城マジュラ。
その城を、ダンダルフォ・ギグスタヴがどのように入手したか、陸歩は知らない。
おそらくは何か禁忌を犯し、手に入れたのだろう。
現在この地上で確認されている神器の中でも最大級。
なにせ街一つに匹敵する。
空を気ままに回遊し、時たま雲の切れ間に姿を現す、神秘の城。
最奥に設えられた玉座には、神の力が集約し、腰を下ろしたものに神格を付与する能力があった。
そんな神の被造物が、今。
「…………」
「っほー。壮観じゃねぇの」
山並みをいくつも越え、数え切れないほどの木々を抜けると。
山脈の中、際立って緑の多い峰が見える。
その斜面に、威容を横たえる浮遊城。
まるで数百年そうしてきたかのように、全体が苔生し、周囲にも森を生やし、瑞々しさ染まっている。
城から漏れ出すエネルギーが、生命を促進したのか。
「まだ、あったな……」
ダンダルフォがこれを回収にくる公算は大きい。
カナの時間遡行が神器にも及ぶのなら、だが。
「……リクホ様」
イグナの篭手の指先に、蜻蛉が止まる。
偵察に先行させているワスプだ。
「どうやら、既に何者かが、先に」
「っ奴らか」
「おそらくは。
足跡が、成人男性のものと大柄のもの、二つ」
いや、まだ手遅れではない。むしろ間に合ったのだと考えるべき。
カナがこの神器の復活をどのように行うかは不明だが、これだけ巨大な建造物、たちどころに元には戻せまい。
かかり切りで儀式して、ようやくというのが妥当に思われる。
ダンダルフォも、今ならば浮遊城の加護がなく、全盛期の力には劣るはず。
「イグナ、足跡を追ってくれ。オレたちも侵入するぞ」
「相手は隠すつもりはないようです。行けます」
「よし。――アイン」
「見つけ次第、暴れていいってんだろ?」
「お前の流儀には反するかもしれないけど、出来るなら背中から斬れ」
「背中から斬れるレベルの相手ならな」
イグナの蜻蛉が羽ばたいた。
矢のように飛ぶそれを追い、陸歩たちも駆ける。
崩れかけの城はすっかり山と同化し、木の根の下、瓦礫の洞窟が入城路になっていた。




