結:破 ≪剣聖≫
ニリスは健脚を発揮して、階段をすいすいと登っていく。
街暮らしの女性にしてはずいぶんなハイペースで、旅慣れた陸歩たちとも遜色ない。
フォーナメリッツのシンボルらしい大楼閣は、街で一番の高さまで伸びていた。
ひたすらグルグルと渦巻く階段。
残る階段は一周半でゴール、と言うところでニリスは立ち止まった。
肩で息をしているし、休憩か。
それとも……。
「ニリスさん? どうか、しました?」
彼女のすぐ後ろの陸歩が、慎重に問う。
右手はこっそりと鈴剣の柄へ触れていた。
決してニリスを信用していないわけではない。
けれども陸歩たちには、何故か予感があった。
だからこそ延々続く階段は、ニリスに先導させ、四人は陸歩を先頭にした縦列で登ってきたのだ。
殿のアインはあからさまに戦闘態勢。
「あぁ……ごめんなさい」
振り返ったニリスが柔らかく微笑む。
「ここは、街の人間には、特別な場所だから」
「特別? 神聖な場所ですか」
確かに、陸歩も肌で、微細な力というか鳴動というか、とにかく雰囲気のようなものを感じる。
「神様や宗教、魔法にまつわる場所じゃないんだけどね
――ここでは、この自分とは異なる自分の時間と、繋がる場所なのよ」
「……つまり?」
首を傾げると、ニリスは左腕にした時計を見せた。
こちこちと時を刻む針。
それを右手の人差し指で示した彼女は「これが現在」と言う。
その指で文字盤から手首、手の甲となぞり、左手の五指のうち、薬指へと辿った。
「時間はね、現在から無数の未来へ、可能性の数だけ枝分かれしてる。
この大鐘楼は、親指の私、人差し指の、中指の、小指の私に、中指の私が気付いて思い出す場所」
「平行世界の自己と同期する場所、という認識でよろしいでしょうか」
とイグナが自分なりの解釈を述べる。
もし本当なら、想像すら絶する現象だ。
いま目の前の女性は、つまり、有り得た自分全ての経験を、その頭に収めていることになる。
常人の百倍か、千倍か、あるいはそれ以上かを生きたに等しい知性ということになる。
フォーナメリッツの民に特有のものなのだろうか。
現状では陸歩自身には、仲間たちにも、その素振りはない。
もしこれから自分たちにも発生するとしたら……つきつけられるであろう情報量に、果たして耐えきれるのか。
警戒。
そして畏敬をもって、訊ねた。
「……何を、思い出したんです?」
「カナくんのこと」
ぴしり、と陸歩たちに別の緊張が走る。
ニリスは変わらずニコニコ。
その首筋へ、アインが波打つ刃を添えた。
「やっぱり罠か、女」
「彼はこの上にいるわ」
「そうかい。案内ご苦労さん」
「やめろってアイン」
陸歩の鈴剣が、羅刹のフランベルジュを弾いた。
その手応えで分かる。アインは脅しでなく、首を刎ねようとしていた。
「リクホ……俺たちゃ、はめられたんだぜ?」
「どうかな。この状況……。
この人、本当にたった今、思い出したんだよ」
「あぁ?」
だって、罠にかけられた、というにはこの状況。
敵に囲まれたわけでも、捕らわれたわけでもない。
陸歩はアインに剣を収めさせ、自らも鞘へ仕舞ってイグナへ渡した。
ここまで街中を案内してくれた女性に、あくまで礼を尽くす。
「ニリスさん。貴女は、カナとどういう関係ですか?」
「友達よ。
この街中のみんなが、彼の友達」
「……。オレたちは、彼と事を構えるかもしれない」
「そのようね。なんとなく分かるわ」
「…………。このまま貴女は、ここを離れてくれますか」
「えぇ。そうするわ。そろそろコーヒーの時間」
あっさりと腰を上げた彼女は、スタスタと下りていく。
石階段を踏む足音がどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。
「…………」
カナの友達を名乗った彼女は。
カナの敵であると宣った陸歩たちに、最後の最後まで敵意の欠片も見せなかった。
懐の大きさは、経てきた経験の差だろうか。
「……いくぞ」
標的がすぐそこにいる。
陸歩は神経を研ぎ澄まし、仲間たちも戦闘の予感に張り詰めた。
可能なだけ気配を殺し、階段の続きを登る。
隙を生じぬようドアは四人で連携し、開けた。
「――――」
一部屋くらいの規模の、円形の間。
中央には、吊られているはずの鐘が降ろされ、床に鎮座している。
「…………」
鐘の裏に、人影が落ちている。
陸歩は目で合図した。
アインが頷いた。
指で、3、2、
「――いち!」
陸歩が右から、アインが左から飛び込む――
りん、とハンドベルが鳴る。
「――」
ぴたり、と陸歩はその場に固まっていた。
アインもまた。
イグナも、キアシアも同じに。
「――貴方がいながら、迂闊ですね、アイン」
つい、と姿を現すカナ。
「僕の能力を知らないでもないでしょうに。
不用意に僕の領域へ踏み込むなんて」
動けない。
動かない。
身動きを封じられているのとは違う――陸歩は硬直の中でそう感じた。
これは、命のやり取りの中で時たま覚える、刹那が何百倍にも延長される感覚。
いま自分は、一秒をどこまでもどこまでも、引き伸ばされている。
一秒が、終わらない。
「ですが、来てくれて手間が省けました。
――剣聖デュオーネ」
隣に立つ男へ、カナは恭しく告げた。
「彼らですよ。先ほど話した敵は」
「なるほど。手練れの剣士のようだ」
長髪の男が、陸歩とアインへ順番に視線をやる。
手にはテーブルナイフを持っており、ほとんど鋭さなどないその小振りの刃で――
――カナめがけて外から撃ちこまれた弾丸を、容易く両断してみせる。
「――抜け目もなさそうであるし」
「っ!」
カナの集中が一瞬乱れ、陸歩たちは途端に自由となった。
窓の向こうには鳩が一羽。
イグナのワスプだ。
全く羽ばたかずに浮いていて、口から伸びる銃身から上がる硝煙は真新しい。
アインが羅刹の笑みを浮かべる。
「用意はしてんだよ、カナ!」
「この、」
「生物と物体だとお前、時間の止め方の勝手が違うんだろ!」
斬りかかるアインに、カナがハンドベルを響かせた。
陸歩のほうは、剣聖と呼ばれた男と対峙する。
「…………」
その佇まい。
なんて……隙の無い。
一見してナイフを右手に、ただ立っているだけだが。
どこからどう攻め崩せばいいか、まるでイメージが湧かない。
こちらがどう斬りかかっても、逆にねじ伏せられる。そんな予感がひしひしと。
「……達人と、お見受けします」
知らず敬語になる陸歩に、剣聖は肩を竦める。
「そういう君も、師匠に恵まれているらしい」
「分かりますか」
「分かるとも。
君が勤勉で稽古を欠かさない、正直者だということもな」
ゆらり、とナイフが持ち上がる。
「さて、こんな得物で申し訳ないが――お相手願おうか」
「望む、ところですっ!」




