結:序 ≪海賊≫
ニリスは健脚を発揮して、階段をすいすいと登っていく。
老人らしからぬハイペースで、旅慣れた陸歩たちとも遜色ない。
フォーナメリッツのシンボルらしい大楼閣は、街で一番の高さまで伸びていた。
ひたすらグルグルと渦巻く階段。
踊り場のたびに小休止を挟まないと、息が切れる。
「キア、大丈夫か?」
「なんとかね……。
あともうちょっと――ですよね?」
陸歩とキアシアが揃って視線を向ければ、ニリスは孫でも見るようにホクホクと微笑んでいる。
「もう一息よ。ほら、あそこでおしまい」
残る階段は一周半。
ゴールは古びた小さな扉で、そこがこの鐘楼の天辺らしい。
ほんの一部屋分くらいの円形のスペースで、大きな鐘が吊ってあって、街の景色を一望できる――と、ここまでの長い道のりの間に教えてもらった。
「そろそろ行こうかしら?」
「あー……すみません、ニリスさん。もう少しだけ」
十分に休憩を取る。
あの扉の向こうで何かがあったとき、不足なく動けるように。
決してニリスを信用していないわけではない。
けれども陸歩たちには、何故か予感があった。
だからこそ延々続く階段は、ニリスに先導させ、四人は陸歩を先頭にした縦列で登ってきたのだ。
殿のアインはあからさまに戦闘態勢で、フランベルジュの柄に掌を添えている。
「この鐘楼は、神聖な場所なのですか」
間を稼ぐように、イグナが訊ねた。
その寛いだ口調とは裏腹に、センサー各種を最大で尖らせていて、こっそりとワスプも放し、塔の内外を見張っている。
腰から下げていた巾着から飴玉を出したニリスは、それを陸歩たちに振る舞い、自らも一つを口に含む。
「そういうわけではないわね。神様や宗教、魔法にまつわる場所ではないし」
「そうですか。
……それにしては、何か、」
「パワーを感じる?」
目を眇めてニリスがにっこりとする。
イグナは頷き、陸歩もまた同感だった。
何か、この場は、オーラがあるというか。
力場が働いているというか。
陸歩には、図書館と似た空気に感じられる。
静謐でいなければいけないという、由来不明の圧力。
「確かに、街の人でもここへ来ると、口数が減るわ」
「やはり、特別な場所なのですか?」
「特別といえば特別ね。街の中心だから。
ここでは自分の時間が繋がるのよ」
ことり、とイグナが首を傾げた。
陸歩もキアシアと顔を見合わせる。
時間が繋がる、とは。
「もう過ぎ去ってしまった時間と、今の自分とが結びつくの。
――嫌ね、年寄りはまどろっこしい言い方して。
要するに、忘れていたことを思い出す場所なのよ」
「それはそれは」
とイグナが興味深そうにするのは、きっと彼女が忘却と無縁の存在だからだ。
強いてメモリを削除すれば忘れることは可能であるものの、基本的にイグナは経験した全てを記憶し続けている。
期待を込めた目で主たちのほうを振り返った。
「んー……いや、オレは、今のところは」
「あたしも、うーん。
アインは?」
「あん? あぁ。知るか」
「愛想悪いわね」
アインの態度はすっかり羅刹で、その言い草にはキアシアが目くじらを立てる。
だがニリスは気にした様子もなく、変わらずニコニコ。
「私は思い出したわ」
「へぇ、何をです?」
「カナくんのこと」
ぴしり、と陸歩たちに緊張が走る。
ニリスは変わらずニコニコ。
その首筋へ、アインが波打つ刃を添えた。
「やっぱり罠か、ババア」
「彼はこの上にいるわ」
「そうかい。案内ご苦労さん」
「やめろってアイン」
陸歩の鈴剣が、羅刹のフランベルジュを弾いた。
その手応えで分かる。アインは脅しでなく、ニリスの首を刎ねようとしていた。
「リクホ……俺たちゃ、はめられたんだぜ?」
「どうかな。この状況……。
このお婆さん、本当にたった今、思い出したんだよ」
「あぁ?」
だって、罠にかけられた、というにはこの状況。
敵に囲まれたわけでも、捕らわれたわけでもない。
もらった飴に毒がある様子すら。
陸歩はアインに剣を収めさせ、自らも鞘へ仕舞ってイグナへ渡した。
ここまで街中を案内してくれた老婦人に、あくまで礼を尽くす。
「ニリスさん。貴女は、カナとどういう関係ですか?」
「友達よ。
この街中のみんなが、彼の友達」
「……。オレたちは、彼と事を構えるかもしれない」
「そのようね。なんとなく分かるわ」
「…………。このまま貴女は、ここを離れてくれますか」
「えぇ。そうするわ。そろそろコーヒーの時間」
あっさりと腰を上げた老婦人は、スタスタと下りていく。
かと思うと、一つ下の踊り場で止まって。
「貴方たちはまだ若いから、仕方ないのでしょうけど――老いて振り返ると、誰かと争ってまで得なくちゃいけないことなんか、この世には無いものよ」
「…………」
石階段を踏む足音がどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなる。
カナの友達を名乗った彼女は。
カナの敵であると宣った陸歩たちに、最後の最後まで敵意の欠片も見せなかった。
懐の大きさは、経てきた歳の差だろうか。
「……いくぞ」
標的がすぐそこにいる。
陸歩は神経を研ぎ澄まし、仲間たちも戦闘の予感に張り詰めた。
可能なだけ気配を殺し、階段の続きを登る。
隙を生じぬようドアは四人で連携し、開けた。
「――――」
聞いていた通りだ。
一部屋くらいの規模の、円形の間。
中央には、吊られているはずの鐘が降ろされ、床に鎮座している。
「…………」
鐘の裏に、人影が落ちている。
陸歩は目で合図した。
アインが頷いた。
指で、3、2、
「――いち!」
陸歩が右から、アインが左から飛び込む――
りん、とハンドベルが鳴る。
「――」
ぴたり、と陸歩はその場に固まっていた。
アインもまた。
イグナも、キアシアも同じに。
「――貴方がいながら、迂闊ですね、アイン」
つい、と姿を現すカナ。
「僕の能力を知らないでもないでしょうに。
不用意に僕の領域へ踏み込むなんて」
動けない。
動かない。
身動きを封じられているのとは違う――陸歩は硬直の中でそう感じた。
これは、命のやり取りの中で時たま覚える、刹那が何百倍にも延長される感覚。
今自分は、一秒をどこまでもどこまでも、引き伸ばされている。
一秒が、終わらない。
「ですが、来てくれて手間が省けました。
――キャプテン・ラブラスカ」
隣に立つ男へ、カナは恭しく告げた。
「彼らですよ。先ほど話した敵は」
「じゃあ、これで仕事は終わりか?」
人の姿でありながら、肌に鱗を持つその男は。
海賊帽をかぶり直しながら、鼻を鳴らす。




