承:序 ≪曖昧≫
「――フォーナメリッツ?
あぁ。行ったこと、あったっけかな……結局行かなかったんだったか?
かかあ。おーい、かかあ様よ! どうだったっけな、フォーナメリッツ」
「はいはい、聞こえてましたよ。
……どうでしたっけね。行ったような。
新婚の頃に行ったんでしたっけ?
嫌だねぇ、この歳になると思い出も曖昧で」
通りがかった街、宿で訊ねても、誰もがこんな調子だ。
「いやぁ、僕自身は関わりないんだよ。あの街の技師に弟子入りしたのは、うちの祖父さんだからさ。
僕は祖父さんに習ったんだ。フォーナメリッツは師匠筋ってことになるんだろうけど、行ったことはなくって……うん? 小さい頃に一回、連れられて挨拶に行ったんだっけ? どうだったかな」
その街の詳細を、一人として答えられない。
「フォーナメリッツかい? この先だね。
おれは帰りだよ。牛肉を納品してきたのさ。
え、どんな街か……どんな? うーん、行って売って帰ってきただけだからなぁ。とんとんと取引が済んじゃったから……どんなってこともなかったと思うんだけど。
取引相手? さぁ……どんな人だったかな。代金も領収書もちゃんともらってるけど……」
答えない、ではなく、答えられない、であるところに不自然さが際立つ。
誰の記憶にも、とりとめない街。
フォーナメリッツは、魔女高弟十六人衆の一人、カナの故郷という。
やはり、呪的な何かが働いた土地なのか。
カナ。
本名を、カナイズミ・アオ。
時間を自在にする能力と確かな実力を有する彼は、仲間内でも一目置かれ、魔女の信頼も厚い。
リャルカが参謀なら、カナはさしずめ相談役。
物腰柔らかく、人懐こく、子ども好きで、同胞意識が強い。
個人主義の強い十六人衆にあって、彼だけはきちんと他メンバーと親交を築き上げていた。
――と、いうのがアインの語るところだ。
「俺もカナとは、家族の話をするくらいの仲だった」
「お前、そんな相手を最初に叩こうって提案するわけ」
濃く呆れを滲ませる陸歩に、アインは鼻を鳴らす。
「将を射んと欲するんなら、まずは馬を射るんだよ。
分かるか? 犬を射っても仕方ねぇと、昔の人も仰ってる」
「それってそういう意味かぁ?」
街道を、陸歩たち四人が辿る。
僻地でもなんでもない。
なだらかな牧草地に、遠くには森、その背後は山。
「…………」
「イグナ? どうかした?」
「…………いえ。
この辺り、どこかと似た景色ではありませんか?」
問われて、陸歩は心当たりを探った。
「あぁ、ドゥノーかな?」
「……そう、ですね。そうかもしれません」
その果てに、見えてきた街は。
「えぇ…………」
威容に、キアシアがため息を吐く。
「嘘でしょ。忘れないでしょう、こんな街」
言う通りだ。有り得ない。
巨大な機械仕掛けの街。
フォーナメリッツは、互いに噛み合う歯車の街だった。
家々の壁面で、まるで装飾のように無数のギアとベアリングが回る。
緻密に計算され、街中に張り巡らされたシリンダー、シャフト。
クレイルモリーとは趣が違う。
いくつも並ぶ水車が動力か。
塔をチェーンコンベアが昇って、逆から降りていた。
そして目につく限り、時計。
時計、時計、時計。
チクタク、コチコチと至る所でありとあらゆる種類・デザインの時計が時を刻んでいる。
振り子時計、砂時計、日時計、水時計。あれは油圧で時間を計っているんだろうか、どんな仕組みなのか。
「時計の内部機関に、入り込んだ心地がいたします」
イグナが、この光景が感慨深いのか、ため息のように呟いた。
確かに。
街全体が一個の時計のようにも見える。
壮観だ。
一目見れば、とても忘れたりなんか出来ない。
特徴の枚挙に暇がない。
……やはり。
陸歩は鈴剣を意識した。
「気を付けろよ、みんな。
記憶か認識に影響する何かが……この街には……」
「……おい?」
「リクホ様?」
「どうしたの?」
皆が首を傾げた。
陸歩も首を傾げる。
「いや……あれ?」
今一瞬、頭をよぎった感覚は……なんだろう。
何か違和感があった気がするが。
吟味しようにも、もはや忘却の彼方へ過ぎ去って、思い出すことも出来ない。
「……うん。いや。それより、人がいないな」
「誰もいないわね。……ワンちゃんはたくさんいるけど」
犬が多い。
様々な犬種が大人しく、人馴れした様子であちこちにいる。
その多くは首輪をして、毛並みも綺麗なため、フォーナメリッツが無人の街というわけでもなさそうだが。
大型犬の一頭が、陸歩たちの足元までやってきて、靴をふんふんと嗅いだ。
余所者に吠えるでもなく、むしろ身体を擦りつけて甘えてくる犬を、キアシアが愛おしそうに撫でながら。
「そもそもなんだけど、カナって人は、ここに帰ってくる人なの?」
「さて。帰郷の土産をもらったことは……ん? あったか?」
しきりに顎を擦りながらアインは、「確か菓子だったか飯だったか……」としばらく呟いていたが。
「まぁ、故郷なんだし、家族とか親類はいるんじゃねぇか。友達とかよ。それを探そうぜ」
「そうだな。じゃあ、そろそろ、」
時計が鳴った。
鐘が鳴った。
辺りから一斉に響く定刻の合図は、思わず耳を塞ぐ音量。
鳩が飛び出し、文字盤が開いて人形が躍り、アラームがけたたましい。
鳴り終わっても、まだしばらくは骨身が痺れるほどだ。
「――――ったぁ」
「すっげぇ音……」
それを皮切りに、通りの家から住人たちが現れた。
今まで篭って、待っていたのか。
何を? 何かを?
そこの一軒はカフェだったようで、店主と思しき青年が看板を出し、陸歩たちの存在に気付く。
「旅の人かい」
「あぁ、えぇ」
「一杯どうかな。宿の紹介も出来るよ」
顔を見合わせる陸歩たち。
アインが目を眇めながら自分の腹を擦り、三人も同意した。
振り返って訊ねる。
「あのー、軽食とかもあったりします?」
「あるよ。甘いのとしょっぱいの、どちらがお好み?」
店で飼われている犬が駆けてきた。
コロコロと丸い室内犬で、無邪気そうに舌を出す。




