裏 ≪鬼子≫
世界中を渡り歩く彼女だが、実はドゥノーは初めて訪れた。
異常成長し、天を貫く扉の樹。確かに見ごたえがある。
そろそろ昼。
さっきまではずっと世界樹から落ちる影の中だったから気にならなかったが、陽の向きが変わったため、今は日光に直接照らされている。
フード付きのローブはかなり暑い。
それでも脱ぐわけにいかないのは、彼女がシスターで、この外套こそが宗教者の証だからだ。
せめて襟元を仰いで風を送る。
ようやく根に近づいてきたところで、シスターは工事の様子に気付いた。
ずいぶんと大きく敷地を取って何かを建てようとしていることに、興味を惹かれた彼女は、勤しむ男たちに声をかける。
「お仕事中に失礼いたします。何を建てていらっしゃるのです?」
「おぉ、シスター様。社を作ってるんですわ」
社、と聞いては感心せずにいられない。
出来上がるものはとても大きいだろうと見立てられるし、ドゥノーの民の信心は大したものだ。
「それはそれは。どこの神様のものでしょうか」
「さぁ?」
「えぇ……」
肩透かしを食らい、じとっとした呆れの気配を漂わせるシスターに、大工たちは慌てて手を振り、口々に言い訳を始めた。
「いや、違うんでさ。なんでもこの社の主は、名前も失われちまった大昔の神様とかで」
「そうそう! その神様の信仰を取り戻す旅をしてるって旦那が、ドゥノーに二百年続いた呪いを解いてくれたんですよ!」
「ばかっ、呪いなんて言うな! あれは祈りだったって、リンリャちゃんも言ってたろ!」
ガヤガヤとし出す彼らの話を聞きながら、シスターはへぇと思う。
忘却された神の復教。その偉業をやり遂げた聖人は、宗教史上では数名いるが、現代で挑む者がまさかいるとは。
どこの誰とも知らないが、なかなか奇特な人物のようだ。
「あの人こそ本当の英雄だよな!」
「あぁ! 世界樹を登頂してドゥノーの鍵も取ってったっていうし、やっぱ只者じゃねぇよ!」
「おれ、祭りのときにあの人と飲んだんだぜ!」
おぉー、と周囲がどよめく。
なおも話題は『彼』で持ち切りだったため、シスターは折りを見て、別へ水を向けた。
「ところで、あちらは?」
ほんのすぐ近くに、社よりも先に建てられたそれは、どう見ても墓である。
これまたかなり大きい。埋葬された者は、さては高貴な身分なのだろうか。
問われた大工たちの顔に、哀しみが差した。
「先代の、巫女様でさぁ。その身に呪い……祈りを受け止めて、街を護ってくれた」
「苦行の果てに魔物になっちまったところを、例の英雄様が討ったんで」
「その英雄様が、手厚く葬ってくれって仰って。たっての希望で、社の傍に墓を置いたんす」
なるほど、とシスターは頷く。
「そういう事情でしたか」
墓を見つめたままの彼女に、男たちはやおら不安になり、一人がためらいがちに訊ねた。
「もしかして、社と墓を並べちゃいけない戒律があったり、しますか?」
「いえいえ。そのような決まりはありませんし、皆様の誠実な想いは私にも感じられました。神も、慈悲深く見守っておられることでしょう」
男たちの安堵の息遣いを聞いてから、シスターは会釈する。
「お邪魔を致しました。皆様の安全を祈らせていただきますので、どうか息災で勤めて下さいませ」
「ありがとうございます。
あ、そういえばシスター様は、何という神様にお仕えしているのです?」
シスターはフードの影の中、にっこりと口元に笑みを浮かべた。
「あまねく、全ての神々に」
おぉー、と大工たちがどよめく。
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人目もなくなったし邪魔臭いし、何より馬鹿馬鹿しいので、ローブは脱ぎ捨てた。
その下は、ほとんど裸みたいにスカスカなシスター服。
夜風が吹いて肌に心地いい。
深夜を回り、人々が寝静まってから――人々を『寝静めて』から、清廉な修道女の皮を脱いで馬脚を現した魔女は、世界樹を降りた。
向かう先は、先代巫女の眠る墓所。
携えるのは、スコップ。
左腕を掌から肩まで覆う、鍵の茨がしゃなりと鳴った。
墓穴を掘り返すたびに、鳴った。
掘る。掘る。掘る。掘る。
しゃなり。しゃなり。しゃなり。しゃなり。
「母さんの、ためなら、えんやこらっ」
魔女の冒涜の様を、獣の赤い瞳だけが見つめている。
「人を、呪わば、穴二つ、……っと! あぁもう、深く埋め過ぎだっちゅーの!」
顎から滴る汗を、魔女は手の甲で拭った。
傍らにスコップを突き立ててから、額も。
「うぇ、おっぱいの谷間に汗がたまって……気持ち悪っ。お風呂入りたーい!」
なおもブツクサと文句を言いつつ、酒瓶を取って豪快にあおり、それを水分補給と称した。
地面にはすでに空の瓶が何本も転がり、そこへ今まさに魔女が放った新たな一本が加えられる。
飲み足りない。魔女はさらに一本、コルクを抜いて、ぐびり。
「……さぁて? 作業再開ぃ」
すでに結構な時間を掘り続けていた。
だが墓石をどかす手間があったり、土が力強く押し固められていたりで、なかなか進まない。
そもそもが女の細腕だ。
「このままじゃ、夜が明けちゃうかも――おっ?」
スコップの先に、固いものが当たった感触。
もう何度か突っついてみても、やっぱり勘違いでない。
「きた? きた、きたきたきたぁーっ!」
ゴールが見えれば楽なものだ。
魔女は倍の速度で腕を働かせ、ついに地中から棺の全体を掘り返した。
息が整うのを待って、心ゆくまで酒をがぶ飲みしてから、棺と蓋の隙間にスコップを差し込む。
「さてさてー? ごっ開帳ぅ!」
さらされたのは、見るもおぞましきモノの骸だ。
人と、獣と、物とを掛け合せた魔物。
その首と腕には縫い合わせた跡があり、痛ましさと吐き気を誘う。
何より腐食し始めた臭いときたら。
それでも魔女は、歯を剥き出しにして笑んだ。
魔物の腹の辺り、抱かれるようにして、丸くなっている小さな身体。
「あっは。ビンゴぉ!」
赤ん坊だった。
呼吸もしていた。
乳の代わりに魔物の血肉を啜っていたのか、口元は赤く汚れていた。
紛れもなく、魔物の胎盤から産まれ落ちた、鬼子である。
すやすやと眠っていたが、差し込んだ月明りをむずがって、鳴き声を上げ始めた。
「あーん、よちよち。泣かないでベイビーちゃん?」
赤ん坊を抱き上げてあやしながら、魔女は子細を検める。
いつ産まれたのかは判らないが、すでに首が座っていた。
こめかみからは角。髪はくるくる癖っ気。
そして、手足が一本もない。
特異な容姿だが、何より魔女の目を引いたのはヘソだ。
常人のように窪みではなく。鍵穴だった。
それから、一番肝心なところ。
「あら。あなた、女の子だわね」
思いのほか抱かれ心地がいいのか、赤ん坊は泣くのをやめて、無垢な瞳で魔女を見つめた。
その愛らしい虹彩の奥の奥に、沼のように見通しきれない漆黒が渦を巻いているのを認め、魔女はことさら良しとする。
「んっふ! 気に入ったわぁ。
あたしがママよぉ、ベイビーちゃん?」
差し当たって、名前を決めてやらねば。




