転 ≪手記≫
手記No.39:『暗雲観測天文台』トマトマ
―― 灯の月/裏耳の曜 ――
レドラムダ大陸で山といえば、まずは灼熱の活火山グラネシアである。
特異な地形、特異な扉の樹。
女帝が新年行事に訪れることもあって、大陸外にも名高い。
ガイドブックでもレドラムダの項目で、ずいぶんページが前のほう。
だが、標高についてなら、霊峰モーリッツのほうが倍近い。
そしてこちらの山は、グラネシアが宗教史と密接な地であるのに対し、郷土史的な要地だ。
モーリッツ。
大陸の北西を占める巨大な山。
初代女帝がその版図を広げるにあたり、最も苦戦を強いられた土地だ。
広く、高く、洞窟が多く、気まぐれに天候を変える厳しい環境。
屈強な野生動物や、幻獣まで生息する、弱肉強食の世界。
女帝の対抗勢力が最後まで立て籠もった場所である。
まつろわぬ山岳の戦士たちは結局、二代女帝の時代に至るまで抵抗を続け、近隣の街や砦へゲリラ戦を仕掛け続けて、レドラムダを大いに掻き乱した。
そんな地を征し、平定してみせたのが初代女帝の懐刀にして、二代女帝の守護者であった、モーリッツ・ジエ。
『貌無しモーリッツ』の通り名で知られた人物で、年齢はおろか、彼なのか彼女なのかも定かではないという怪人である。
レドラムダを暗部から盛り立てた、最強のスパイ・マスター……だそうだ。
なにそれ。
超クール。
モーリッツはその能力を存分に発揮し、敵勢力の奥深くまで入り込んだ。
そして言葉や利害や寝室や、その他ありとあらゆる手段を用いて、相手方の内情を丸裸にしたという。
あちらの派閥を煽って、そちらの派閥と対立させ、じわじわと弱らせた。
ある者は味方に引き込み、ある者は暗殺。
ある者は洗脳し、またある者は最初から彼自身だったとか。
時間はかかったもの、敵は内側から確実に瓦解していったのだ。
お察しの通り、この山の名前は彼(と仮にしておく)の偉業を称えて付けられたもの。
さて、ここからレドラムダの天気について話を移そう。
この大陸は主に、北西からの風と雲によって空模様を変える。
で、それらは位置的に、最初に霊峰モーリッツへぶつかるわけだ。
だからこの場所で天気を見張っていれば、とても正確な予報が出来るんだって。
トマトマはそのために、二代女帝様によって置かれた観測所、天文台。
……天文台って、こういうことだったっけ?
天を観るなら、天に近いほうがいいって、まぁ、そう、なの、かな?
なにせ、トマトマは空の中にある。
詩的表現……でもなくって、本当に雲海の中だ。
レドラムダで一番高い山の、天辺ではないものの、雲より突き出た場所。
すげぇデカくて立派な山小屋、みたいに言っちゃうと、安っぽいけど伝わりやすいかもね。
さすがにこの辺りまで登ってくると、生物は稀だ。
溶けない氷に覆われた白銀の世界。
植物は、地面にペッタリと張り付くような萎びた草くらいか。
鹿や猛禽が少数、生息しているが。彼らは強靭な肉体を持っているが故にこの高度に適応できたにもかかわらず、他の生物によって下層から追いやられたが故にこの高さで暮らしている。
トマトマの周囲では、一筋縄ではいかないモーリッツの大自然が、ほぼ手つかず。
晴れた日には指で星に触れられるという。これは詩的表現かな。
雨の日はすごいぞ。真っ黒な雷雲で一面が包まれて、この世の終わりかと錯覚する。
季節によっては空鯨の渡りが見れるんだとか。うぅん、今度是非とも。
複雑に渦を巻く風が、白く筋になって素人の目にも見えて、熟練の観測員になら大陸中の明日の天気が読めるんだそうだ。
所長さんにかかれば、近隣大陸の空まで分かるそうで、カシュカやノイバウンからも頼りにされているんだとか。
扉の樹のおかげで、気の遠くなるような標高を登山する必要はない。
樹自体も天文台トマトマの内部にあるため、気圧差の心配もある程度でいい。
地表から雲の上まで一気に移動なんかしたら、本当だったら大変なことになる。人体なんか簡単に破壊されてしまうだろう。
働く人たちは大変だな。
天文台は巧みな建築技法と魔術的防衛によって、半袖でも過ごせるくらいになってるけど。
ときには調査と観測のために外にも出なくっちゃいけない。
そういう場合は厳重に着込んで、酸素樽を背負って、死をも覚悟して行くのだそうだ。
遭難の危険は常について回る。
高山病のリスクもあるし。
観測員さんたちはみんな学者さんだけど、全員マッチョ。
それくらいでなきゃ、やっていけないんだろうな。
観測員さんたちの中には、ファミリーネームが『ジエ』の人が何人かいる。所長さんも。
多分、そういうことなんだろう、と思うんだけど。
この何人かを……同時に二人以上、見かけたことがない、気がする。
うーん? そういうこと?
こんな場所にオレたちみたいのが何の用かっていうと。
半分は、神様を呼ぶため。
オレの神様とちょっと話がしたくって、となれば、より空へ近いところだろうというのが女帝様よりのアドバイス。
ありがたいことにトマトマにも社を設置しててくれて、まぁそれが功を奏したんだと思う。無事、神様との交信できた。
もう半分は観光。
たまにはな。
トマトマ、なんて名前の場所だからね。
天文台の中、扉の樹の置かれた部屋は温室になっていて、一緒にトマトが栽培されている。
決して作物を育てるのに適した環境とは言い難いのだそうだけど、霊山トマトとしてお土産に喜ばれるんだそうだ。
夕食はキアシアが腕を振るった。
カプレーゼ。マルゲリータ。ガスパチョ。諸々。
いや絶品。
明日への活力が湧いてくる気がする。
本当に。




