後:結 ≪上昇≫
草の香り。
どこからか聞こえてくる小川のせせらぎ。
「――落ち着いたかしらぁ?」
「あぁ……ちょっとだけ……」
野原に大の字に伸びた陸歩は、まさに衰弱の体だ。
何せ、魔女の膝枕に頭を乗せている。
両目には濡らした手拭を掛けていて、これも魔女がどこからか手配したもの。
未だ二人きりの空間。
もし今。この女がその気になったら――陸歩はうっすらと考える――自分は力も入らず目も隠している格好なのだ。喉くらい簡単に裂かれてしまうかも。
そうと思っても。
手にも、足にも、抵抗が湧いてこない。
「衝撃の真実、だな……」
「案外そうでもないわよぉ」
「あん……?」
これが衝撃でなくって何なのか。
陸歩は手拭を指先で捲って、右目だけで魔女を見上げる。
彼女は肩を竦めた。
「結局、世界と世界は不干渉を保っているもの。
互いの世界は行き来できない……通常はね。
原初神であったって、自分の描いた世界を現実だなんて認識しないのだし」
「…………」
自分の感じるリアルは偽りではない。
この世界は、この世界に生きるかぎり、リアルである。
『世界は誰かの頭の中』という事実は、ただ、世界のルーツを知っただけ。
そう考えれば、存在の価値は何一つ貶められてはいない。
そういうことだろうか。
「……なぁ、魔女」
「なにかしらぁ」
「この世界が、ナユねぇの考えたものだってんなら……。
この世界は、ナユねぇが考えるのを止めたら、どうなる?」
「どうもならないわよぉ。
完結した物語は、世界がぶっ壊れちゃうわけじゃないでしょ。
永遠の未完だとしても同じよ」
なら、と陸歩は呆然と考えた。
自分が中学生のとき布団で妄想したあの話は、今も世界として残っているのか。
当時好きだったゲームや漫画から取ってきた設定を切り張りしただけの、世界と呼べるほど精妙なものではとてもなかったけれど。
「…………魔女」
「なにかしらぁ」
「お前は、何を企んでる?
若いナユねぇをこの世界に引きずり込んで……」
さては。
「この世界を、自分の都合良いようにでも、書き換えさせようってのか……っ!?」
「そんなみみっちいこと、アタシの趣味じゃないわね。
別にこの世界に興味はないの」
その口ぶりはあんまり冷たくて。
陸歩は彼女の膝からゴロリと逃れ、しゃがみ姿勢へ起き上がる。
この女、興味がないと、そう言った。
それが紛れもない本心であろうことは陸歩にも伝わっていて。
まるで、ナユねぇの世界を、ナユねぇを、軽んじられているようではないか。
ひどく反感が湧く。
ふ、と魔女の唇が歪む。
「アタシの関心は、貴方たちの世界ね」
「オレたちの……」
意味するところを察する。
つまり、この女、『上がって』こようというのか。
陸歩の生まれた世界へ。
しかし、それは甘い見立てだった。
魔女の欲に、際限はなかった。
「さらに興味があるのは、貴方たちの世界の原初神、がいる世界ね。
要するに上の上よ」
「は……」
「それでさらにさらに興味があるのは、そのまた上の世界」
魔女が求めるのは、ひたすら『上』。
上がって、上がって、上がり続ける。
「アタシはそうやって、ここまでやってきたの」
「お前……」
「もう幾つの世界を昇ってきたかしらねぇ」
つまり、この女は元は、どこかの誰かが描いた物語のキャラクター。
空想から抜け出し続けてきた魔物。
何故。
どうやって、よりも、何故がずっと気にかかる。
元の世界に留まっていられなかったのか。
どこかを目指しているのか。
「そういうもの、なのよ。アタシは」
魔女は、聞き覚えのある理屈を口にした。
それは生きるに迷うことのない強者たちに、共通する理屈なのかもしれない。
「アタシはそういうもの。
そのための存在。
昇るという行い、それ自体がアタシの本能。アタシの機能。
アタシはそのために存在している」
>>>>>>
真昼の空を、雲を裂いて流星が一つ横切った。
辺りに一瞬影が差した後。
箒星の尻尾から落ちてくる、人間が一人。
「――――、」
膝立ちで着地するその、男か女かも曖昧な美人は、背にカゲロウの翅を備えていた。
「は……?」
宴席の傍へ、突然人が降ってきたのだ。
イグナは目を見開き、キアシアが絶句する。
アインは愛刀を手に取った。オルトも影から斧を引きずり出し、羅刹はその態度から来訪者がどちらの陣営にとっても味方でないことを悟る。
那由多だけは新しい余興かと目を輝かせた。
カゲロウの翅。
そして衛星のようにまとわりついている、神球。
イグナはすぐに察する。
「貴方は……ユノハ、さん?」
「はぁい、イグナちゃん。久しぶり。
キアシアちゃんも」
「え、あ……ユノハくんなの……っ?」
かつてのユノハとは顔が違う。
背丈も違う。声も違う。
けれども口ぶりや態度は、確かに。
何より気配が、彼のままだ。
ユノハはちらりとアインへ目をやった。
「…………」
「よう。あのときの、回路神の神託者様か」
「その節はどうも。
君に前の身体を両断されて、僕、そこそこ苦労する羽目になったんだよ?」
「そりゃ申し訳ない。
意趣返しにでも?」
「いや……そんなのは後回し」
それよりも。
ユノハはちらりとオルトへ目をやった。
彼から落ちる影へと。
そして、ちっと舌を打つ。
「遅かったか……」
「あん? なに見てんだコラァ?」
「そこにいるんでしょ、魔女とリクホくん。
二人を出しなよ」
「あぁあんっ!? ナマ言ってんじゃあねぇぞゴルァア!!」
オルトの気勢に反し、影が盛り上がった。
パンパンに張って、水風船のよう、ボンと弾ける。
密談を終えたらしい魔女と陸歩が、そこに。
帰還した二人は、場の状況を見て、眉をひそめる。
「あらぁ?」
「誰…………あ、お前、まさか、ユノハかっ?」
「やぁ、お久しぶり。どっちも」
差し当たっては魔女へ視線を向けたユノハは、唾でも吐かん態度だ。
「卑怯だなぁ。僕の目の届かないところで」
「アタシが貴方へ立てる義理なんてあったかしらぁ?」
「一応、同盟を結ばなかったっけ? 僕の記憶違い?」
「あぁお酒の勢いでそんなこともしたかしらね。
お互い、一夜限りと思って忘れましょう」
ユノハは本当に唾を吐いた。
じろりと陸歩を見る。
「知ったね」
「あぁ、教えられた」
「…………そう」
目も当てられない、とばかりに双眸を手で押さえた。
その陰で見る。
魔女を。
陸歩を。
何が何やらという様子の、那由多を。
回路神の神託者は全く厳かさもなしに、まるっきり愚痴のように、自分のみっともなさを恥じるように。
呟いた。
「世界が、新しい局面を迎えるぞ」




