結:急 ≪荷造≫
まず草を、大きく四角を描くように刈る。
根を残さないように、耕すことも必要だ。
それが出来たら今度は、多少の燃料も用いて、四角の真ん中で火を焚く。
草の中だからあっという間に燃え広がるが、さっき刈ったより先へは進まない。
このようにして更地を作ったら、大羊の出番。
二頭立てで巨大な鍬を引かせ、土をならす。
このとき埋まっている石やらを丁寧に掘り返すことが肝心で、もしも疎かにしようものなら、しっかりとした土台は築けない。
これより建てられる社は、千年先にも保たねばならないのだ。
そのための敷地作りから、ドゥノーの民は誠心誠意、余念がない。
「――いや、どんだけデカいの建てるつもりなんだよ」
世界樹高層。長老の屋敷のバルコニーで、欄干に肘をついて地上を眺めていた陸歩は、思わず呟いた。
たわむれに件の漆黒の鍵の、持ち手の穴から覗いていた地面はひどく遠く、彼の視力をもってしても人々の姿は芥子粒のように小さい。
それでいて草原から切り出された空き地は、はっきり分かるほどのスケールだ。
「それはもう、うんと大きいの、ですよ!」
独り言だったが、返事が背中へ当たった。
イグナと一緒に荷造りに勤しんでいるリンリャの声は、子どものように弾んでいる。
振り返った陸歩は、手の鍵で、へその高さを二度ほど切ってみせた。
「いいんだよ社なんて、こんくらいの、ちんまりとしたの置いてくれれば」
「何をおっしゃいますか! リクホさんはドゥノーを救ってくださった英雄なんですよ! 立派なお社でなくっちゃ」
「むずむずするなぁ、その英雄っての。つーか、オレの社じゃないんだよ?」
いいことを思いついた、というようにリンリャはポンと手を打つ。
「では本尊としてリクホさんの像を、」
「絶対ヤダね」
そんなことをされたら恥ずかしすぎて、二度とこの街に来れなくなってしまう。
陸歩が漆黒の鍵を左手の篭手へ仕舞う間に、女子二人も仕事を終えたようだ。
「さて。これでよし、ですね」
「はい。リクホ様、支度が済みました」
「ありがとう。至れり尽くせりだこと」
彼は肩をすくめるが、それは少女らに荷造りを任せっきりにしたのが、実のところ全く本意でないからだ。
なんだか、遠足の準備を母親にさせるみたいなみっともなさを感じる。
自分のことは自分ですると言ったのに、リンリャがついに譲らなかったのだ。
陸歩が部屋に戻って、畳にあぐらをかくのを待って、リンリャが始めた。
「じゃあ、順番にいきますね。まずはこれ。羊皮紙の束です。ドゥノーで最高級のものを用意しましたので」
言って、彼女は最初の小包みをイグナへ渡した。
イグナは受け取った荷を、てきぱきとリュックに詰める。
陸歩はその様子を、ほとんど諦めの心地で眺めながら、曖昧に頷いた。
「ありがとう。社の設計図を書くのに使うよ」
次の包みだ。結構大きい。
「こちら、寝具です。巻けば寝袋に、ほどけば毛布になりますからね。ドゥノー最高級の羊毛を使ってますから、いい匂いですし、気持ちいいですよ」
「ありがとう。前のやつがもうボロボロだから、助かるよ」
次。
「これが水筒、こっちが雨具になります。どちらも羊の内臓を乾燥させて加工しているので、とても撥水性が高いんです」
「ありがと」
「それからこっちが燃料の缶で、こっちが軟膏の缶。似ているから間違えないでくださいね。
この袋には飲み薬、塗り薬、一通りを入れてありますから」
「うん」
「干し肉とチーズです。そのまま食べても美味しいですし、火を通してもいけます。日持ちしますから、旅のお供にどうぞ。
これは飴で、これは干しブドウです。おやつに摘まんでください」
「ん」
「着替え一式に、新しい靴です。
あ、これは石鹸。
ロープ一巻も用意しました。旅の最中は結構使うとイグナさんから聞いたので。
それから――」
「……まだあんの?」
「はい。どうぞ」
次に差し出されたのは、それまでとは意匠も趣も異なる、銀の小箱だ。
鏡のように磨き上げられた表面は、翡翠の欠片で上品に飾り付けられ、安易には触れることもためらわれる。
陸歩は細心の手つきで、開けた。
「これ……」
「クレイルモリーの鍵です。お納めください」
ベルベットに横たわった鍵と、リンリャの微笑みを、たっぷり見比べてから、陸歩は「いいの?」と訊ねた。
鍵の価値は、異界人の陸歩にさえ身に染みている。
そもそもドゥノーはクレイルモリーと通商関係にあると聞いたが、鍵は何本所持しているのか。これが唯一ではないのか。
別に譲ってくれなくたって、一度貸してくれるだけだって十分なのに。
陸歩が言外に滲ませたそれら全てを了解しながら、なおリンリャは力強く頷いた。
「もちろんですとも。リクホさんは、ドゥノーの事情で足止めしてしまったのですから。これは、私たちが示すべき誠意というものです。
これですぐ目的地まで行けますよ」
「――ありがとう。よし、行こうイグナ」
「はい、リクホ様」
本当は、ずっとずっと駆け出したかった。
そして全てのくびきが今、解かれたのだ。
陸歩は山のような荷物を背負い、イグナを引き連れて、可能なだけ人目につかないように忍びながら、『扉の間』へと急いだ。
今や陸歩は、世界樹全体の有名人だ。
彼の見送りならば住民総出でもおかしくない。
が、陸歩自身がそれを恥ずかしがり、長老が配慮して人払いを掛けてくれたのだ。
おかげで、陸歩とイグナが別れの握手を交わすのは、リンリャと長老の二人だけである。
「本当に、色々ありがとう。高価なものもたくさんもらっちゃって」
「お世話になりました」
リンリャはほとんど涙ぐんで、ついに堪らず、陸歩とイグナの両方へ同時に抱き着く。
「また……また絶対、来てくださいね。お社が完成したら、ぜひ」
「あぁ、必ず」
「イグナさんも。お酒、用意しておきますから」
「では、週一で戻ってくることといたします」
大真面目に答えるイグナに、リンリャはにっこりと笑った。
陸歩の篭手から選ばれた鍵が、ドアノブへと差し込まれる。
「じゃ、リンリャ。いずれまた。長老も、息災で」
ゆっくりと扉が開く。
隙間からは向こう側の光が、濁流のごとく溢れてきて、陸歩の心をさらっていくようだ。
いざ、クレイルモリー。
踏み出した彼を、出迎えたのは、視界いっぱいを覆う巨大な弾頭、
「え、――」




