前:起 ≪覚悟≫
そんな、爪みたいに言わないでほしい。
「伸びてきやがったなぁ、手足。斬るか」
封印牢の中、枷で繋がれたオルト。
その姿を眺めて、アインは平然と言うのだから。
陸歩、ドン引き。
「お前さ……かつての仲間に情とか容赦とかないの……?」
「え、だってどうせまた生えてくるんだぜ?」
絶対にそういう問題ではない。
リンギンガウに帰り、オルトは二択を迫られ、暗く冷たくじめじめとした地下牢を選んだ。もう一方は酒蔵だったため当然か。
相変わらず頑なな態度。
今にも噛みつきそうな剣幕で、鉄格子の向こうから睨み付けてくる。
「やるならやれやクソどもがぁっ!」
「ほれ、本人もああ言ってるし」
「あんなん単なる反射じゃん。深く考えた返事じゃないだろ」
「あぁん!? ナメてんのかゴルァ!!」
「だいぶ調子は戻ってきてるっぽいな」
「声に張りが出てきてんね」
「テメェら……っ!
あ、待てコラ、戻ってこい! ぶっ殺してやる!
あぁいや殺せや! 今すぐおれを殺せ! テメェら! この! このまま生かしてたらいつか後悔させてやっかんな! おい! コラ――」
地上への長い石階段を昇りながら、陸歩とアインはトーンを真面目に戻す。
「しかしよ、実際どうすんだ、あいつのこと」
と、問われると陸歩は黙してしまう。
「…………」
「生かしといて、損はあるだろうが、なんか得あるか?
嬢ちゃんたちが念入りに、文字通り吐かせたんだしよ。
あんな風に牢屋にふん縛って取っといても、もう何も新しいことは出てこねぇんじゃねぇの?」
「…………」
「お前が殺しに消極的なのはとっくに分かってるけどよ」
「積極的になんてなれるわけねーだろっ」
乱暴な手つきでアインの襟首をつかんで、その頭へフードを被らせる。
扉を開けて、地上へ出た。
予想した眩しさはなく、いつの間にか空には重い雲が立ち込めている。じきに雨か、あるいは雪か。
衛兵たちに会釈。
爪先を。借りているねぐらへ向けて、リンギンガウの城下を歩く。
すれ違う人々、広げられる商店。
この街はかつての災厄から、活気を取り戻している。
そんな中でする話題ではないが。
「リクホ。お前、人を殺したことは?」
「…………、無くはない」
「あぁ、フェズの母親ってやつか。
でも結局、フェズのことは見逃してるしな、お前」
甘いのだろうか、と陸歩は己を省みた。
敵を殺さずに済ますなんて。
そのせいで、味方してくれる誰かにまた、被害が出ることもあるかもしれない。
理屈で考えれば、殺してしまうに越したことはない。
ではなぜ殺したくないか。
考えるまでもない。
殺したくないからだ。
自分に染みついた常識は、この世界へやってきて季節の一回りもしない間に、一新されたりはしないのだ。
命を絶つということが、どれほど大それたことか。
獣を狩り殺すのにも未だ罪悪感は付き纏う。
相手が言葉と感情を持つものならば尚更。
「お前はどうなんだ、アイン?」
「あん? 取った首の数なんざ、いちいち数えてると思うか?」
「なんで平気なんだよ?」
持ち出しても仕方ない、と腹の底へ沈めたはず怒りが、抑えがたく鎌首をもたげた。
この街には、この男が傷つけた人がたくさんいる。
この街には、この男が悲しませた人がたくさんいる。
アインは、あの時、何人の兵を斬り伏せたか。
あの亡くなった人たちにも家族はいたろうし、今すれ違った人がそうかもしれない。
この男は、どうしてこんなに平然としている。
なんでって、そりゃあ。
羅刹が、思いもよらない問いだとでも言いたげに、思案を巡らせて。
「俺がそういうものだからじゃないか?」
「……あぁ?」
「生まれつきなのか、育った環境なのか、あるいはその両方か。
俺が『そういう』ものなんだろ。
鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、獣が駆けるように。
俺はとっくに、そういうふうに出来上がってんじゃないか」
そういう意味じゃ、人間も魔具だのカラクリだのと変わんねぇよな、と羅刹は鼻で笑った。
身に付け、備えた機能の通りしか発揮しない、感受しない、それ以外には考えも及ばない。
自己という、一個の機関か。
「…………」
「だから、俺は別にお前のことを否定するつもりもねぇんだぜ、リクホ。
殺したくないのはお前が『そういうもの』ってことだろ」
「……。でも。いつかは、決断しなくっちゃ」
ふぅん、と羅刹は息を吐いた。
興味がないとか呆れた、というわけではなく。
「存在に逆らうってのは並大抵のことじゃねぇと思うぞ」
そんな、アインが珍しく、気遣いのようなものを口にする。
>>>>>>
ぐずぐずしているうちに深夜になった。
しとしとと、冷たい雨が降り出している。
雨具を羽織って、一人、散歩へ出た陸歩は。
リンギンガウに三柱ある扉の樹の一つへ向かう。
人の気配が絶えた広場に、鎮座する大樹。
その扉へ、陸歩は、鍵を挿した。
開いた先は、どこかの街ではない。
まるで銀河のように青白い星の瞬く虚無である。
その中に、ただ一つ、真っ赤な心臓が浮かんでいた。
ほんのすぐそこ、手の届くところで、ドクドクと脈打つ心臓。
「…………」
今ここで決心すれば。
鈴剣の刃で刺し穿てば。
それだけで、一つの決着がつく。
この心臓を、相手のことなど斟酌せず、想像せず、短絡に任せて、果実のように両断してしまえば。
鈴剣の鞘は部屋に置いてきた。
あとはただ、突けばいいだけだ。
そうするだけの理由はある。
そうされるだけの相手だ。
鈴剣の刀身は、重油か、汚泥を無理やり固めたように、黒く濁りドロドロと形を不安にさせている。
「…………っ」
今ここで、決心を。
今ここで、覚悟を。
必要なことをだけすればいい。
考える最善をすればいいんだ。
感じる最良は後回しに。
「っ!」
返り血は、きっと雨が洗い流してくれるはずだから。




