序:後 ≪手記≫
手記No.38:『清廉なる潔白者の泉』イェーニヒ
―― 灯の月/中目の曜 ――
オーレリオ大陸から、泳いで行けるほどの近海にある小島。
イェーニヒはここにある、3坪か4坪くらいの泉だ。
周囲は森。
島全体が手つかずの自然そのままだな。
泉の畔には扉の樹があるから、ここは街ではある。
でも定住しているのはただ一人の防人だけで、そのほかに人の生活はない。
何人も暮らせるほどの広さがないってのは、理由の一つか。
だが何よりも、この街だけが持つ魔法じみた特性が、泉を聖域たらしめる。
イェーニヒに立つ者は、本当のことしか言えなくなるんだそうだ。
オーレリオに着岸して最初に寄った街で真偽を訊ねたところ、どうも事実らしい。
そんな便利な土地は他にない。
と、同時に、そんなに不便な土地も他にないだろうな。
隣人同士、常に腹を割った状態を強制されるなんて、絶対に揉め事が絶えない。
いやそれとも、究極に治安の整った街が出来上がるのか?
どうだろう。
まぁなんにしても。
嘘が吐けなくなるなんて、世界中から利用希望者が押しかけそうなものだけど。
そうなっていないのは、イェーニヒの扉の樹は鍵を付けないから、だそうだ。
そんなことってあるのかな? 何か特別な事情?
もっとも、そうでなくてもオーレリオ大陸の街は、鍵を余所へ渡さないのが通例だそうだけど。
この大陸は亜人の砦だ。
身体に様々な動物的特徴を備えた人たちが、脈々と代を重ねている。
そんな彼らの最大の懸念は、鍵を配ればやがて人間が大挙してきて、この地を支配してしまうのでは、ということだ。
おかげで大陸民からオレたちへの対応は冷ややか。
いや、正確にはオレと船長、船員さんたちへ、だな。
匂いか雰囲気で分かるものなんだろうか? アインは今は人間サイズだけど、たちまち巨人であると知られ、あっさりと打ち解けている。
キアシアも魔眼を持っていて、厳密には亜人。道を訊ねる役は彼女に任せるのがスムーズだ。
イグナには頭に獣耳と尻尾を生やして、獣人に化けてもらった。うん可愛い。地元の人との交渉も柔らかになるし、可愛い。可愛い。
船長さんたちには船で待ってもらって、イェーニヒへはオレたちだけで行くことにした。
オルトは、申し訳程度に空気穴だけを開けた樽に詰めて。
イェーニヒの泉へ扉の樹をもたらしたのは、聖剣の担い手だったという。
聖剣。
清らかな性質を帯びた魔剣、だろうか?
あるいはどこかの宗教由来? 神器?
文献をざっと紐解いたくらいじゃ詳細は分からなかったな。
とにかく、担い手はその聖剣を、泉へ沈めたんだそうだ。
刃から滲み出た清廉潔白な御力が、イェーニヒを真実のみの街にしたらしい。
水深は何尋もないそうだから、もしかしたら、見られるかも。
潜って盗ってしまおう、という輩がいないものか心配になる。あぁ防人はそれを誅する任も兼ねてるのかな。
食料と飲み物、お酒も多めに持っていくことにする。
あと本も。
一人で過ごしている防人さんが、受け取ってくれるなら差し入れのつもり。
それとも追い払われちゃうかな。
誠心誠意事情を説明して、イェーニヒの力を貸してもらうしかない。
何せ、嘘は吐けないらしいから。
嘘が吐けない。
そのことに、漠然とした不安がないでもない。
いやぁ……仲間内で告白大会が始まったら、気まずくない?
なんて、思っているのはオレだけだろうか。
イグナはまず虚偽なんて言わないし。
簡潔かつ正確が彼女のモットーみたいなもので、自分に不利な時でもイグナは堂々とはっきりと述べるもの。
隠しごとなんて、生まれてこの方ないんじゃないかな。
アインは、どうなんだろ。
竹を割った性格だから。
良い悪いは今は置いておいて、この羅刹は単純だ。物事を二極で見てる節がある。
すなわち、強いか、弱いか。
想像するに、アインの基準だと『嘘』は弱いんじゃないかな。
こいつの胸の内に、秘すところがあるってのはちょっと想像つかない。
オレと同じ不安を持ってるとしたら、キアシアかな。
いや、でも。
それとなく船で待ってるかと訊ねたら、心底不思議そうに「一緒にいくけど」と言ってたからなぁ。
それから意地悪な顔になって、「なに、あんた、聞かれたら困るものでもお腹に隠してるの?」なんて言われたけどね。
困るものっていうか。
まぁ、ほら、プライベートとかプライバシーとかあんじゃん。
嘘も誤魔化しも取り繕いも出来ない場所なんだぜ?
オレはオレ自身のことを清廉潔白だなんて、とても思わないもの。
黒い欲望くらいあるもの。
でも仕方がない。
いざとなったら覚悟するしかないか。




