序:前 ≪夢枕≫
――その世界ではね、全ての命が知恵を持っているんだ。
鳥も。魚も。獣も。草木も。
等しく愛と情と心と智と言葉と文字を備えている。
けれども、その知恵のあり方が種によって異なっているの。
翼持つ者には、翼持つ者の歌が。
鰓持つ者には、鰓持つ者の詩が。
牙持つ者には、牙持つ者の唄が。
根を持つ者には、根を持つ者の唱が、それぞれあってね。
だから、知恵の読み方が違ってるから普通は、違った知恵持つ者とは話せないし。
仲良くなることもない。
でも『特使』って呼ばれる特別な人たちは、自分の生まれと違う知恵を読み解くことが出来て、扱うことが出来るの。
彼らは知恵と知恵を繋ぐ架け橋、調停者なんだ。
――その世界ではね、大地に両面があるの。
真ん中に一枚、大地が通っててね。その表面がそれぞれ世界なんだ。
どっちが表で裏ってことはないんだけど。
こっちから見ればあっちは逆さまだよね。でも、どちらの面でも宙のものは大地へ向かって落ちていく。
どちらの面でも、知恵持つ者の営みが築かれている。
ところどころに空いた穴から、あっちとこっちを行き来できるんだよ。
違うのは空かな。
こっちの空は昼なんだけど、あっちの空は夜なの。
どっちが居心地がいいかは種によって違うから、住む者も変わってくるんだ。
――その世界ではね、どこへ行くにも舟なんだ。
知恵持つ者が乗り込んで、帆の代わりに自分の名前の入った旗を掲げれば、舟はどこへでも舳先を向けるんだよ。
山の斜面を、上へ向かって滑ることもできる。
海の上はもちろん。
荒野だって走破できるんだ。
乗り手に力があれば、空だって渡れる。
扉の樹なんてないからね。みんな、遠方を訪ねるなら舟頼りなんだ。
――ねぇ、キア。その世界ではね。
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「――キア? キアシア」
「ん……」
そっと揺り起こされて、少女は目を覚ます。
気遣う視線の陸歩。
キアシアは、じっくり時間をかけて。
それからようやく、どうも自分が談話室のソファーで眠ってしまったらしいことに気付いた。
「ちゃんとベッドで寝た方がいいよ。身体が冷えちゃう」
「うん……」
まだ意識がぼんやりとしていた。
さっきまで見ていた夢が深すぎたためだろうか。
……さっきまで、どんな夢を見ていたんだっけ?
ちっとも起きぬけない様子の彼女に、陸歩はいよいよ心配になったようだ。
「大丈夫か? ……まだ、体調が思わしくないなら、」
「うぅん。大丈夫。ありがと」
彼の手を借りて立ち上がったキアシアは。
しかし、よろけた。
受け止めた陸歩は「やっぱり」という表情。
慌てて言い訳。
「今、急に揺れたから」
「……揺れたかぁ?」
「揺れたでしょっ。
今この舟って、どのあたりを走ってるの? もう陸に上がってる?」
「…………は?」
「…………? あたし、今なんて言った?」
二人して首を傾げて、寝惚けていたんだろうと納得する。
窓から見る景色は、夜闇で真っ黒になった海。
ここはレドラムダ大陸南方の海域。
ここは女帝様から借り受けた大型船の船内談話室。
まだ雨は降っていないものの、天気が悪そうだ。
風の強さが海面の騒ぎ方から分かる。
だが船は絢爛かつ頑強。
本当に揺れただろうか。
「……今って、どの辺?」
「まだ半分は来てないみたいだからな。もうちょっとかかるだろ」
港を出て、今日で二日目。
航路の三分の一を消化したあたりで、目的の大陸はまだ遠い。
「今のうちによく休んどきな。……怖い思いもしたんだから」
「もう。平気だってば」
砂漠から戻って以来、陸歩はすっかり心配性になってしまった。
まぁ、キアシアも、そうやって四六時中気にしてくれる彼に、まんざらでもなくもないが。
「何か、あったかいものが飲みたいわね」
「じゃあ貰ってくる、」
「いいよ。厨房、借りに行きましょ。自分で作りたい気分。
リクホも飲むわよね?」
「あぁ、うん。イグナたちにも持って行ってやろう」
「他の皆はどうしてるの?」
イグナは操舵室で船長たちと海図を囲み、コンパスと風向きを読んでいるはずだ。
彼女の情報解析で、船の速度はここまでで想定の1.55倍という。
アインは、メインマストに陣取っているはず。
巨人のくせに、いや巨人だからこそなのか。高いところが気に入ったらしいあの男は、帆の上でご機嫌にしている。
「……オルトは?」
「……オルトは」
オルトは、船底の一室に拘束されている。
その身体は、先ほど陸歩も確認してきたが、徐々に再生しつつあった。
頑なに食事は摂っていない。
あれほど意固地な男。
それを、妹姫様に教えられた街でなら口を割らせることが、あるいは。
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アフタヌーンティーに呼ばれた中庭は暖かい。
庭師がどんな技術を用いたものか、この季節に花が咲き誇り、蝶さえ遊んでいた。
貧乏舌の陸歩にも、出された茶と菓子の味は一口で高級と知れて、自分だけ堪能していいものか罪悪感すら湧く。
そうでなくとも、女性と一対一で茶なんて柄じゃない。
必要以上に緊張しながら、せめて音をさせないよう細心の注意でカップを上げ下げしていると。
ところで、リクホさん、と対面の妹姫様が切り出した。
「オーレリオ大陸へ行かれたことは?」
「オーレリオ大陸、ですか? いえ、まだ。鍵も持っていませんね」
確か、レドラムダ大陸からは南になる。
人間よりも亜人勢力のほうが強い土地とかで、いろんな種族がひしめいているとか。
「そのオーレリオに、イェーニヒという街があります」
「イェーニヒ」
「簡潔に言ってしまうと、泉なんだそうで」
なんでも、その街に扉の樹を持ち込んだのは聖剣の担い手だったそうだ。
苗木を埋めた際に、愛刀を泉に沈めたのだという。
その刃からは清廉潔白な力が滲み、以来その地では誰も、本当のことしか言えなくなった……。
「嘘が吐けない街、と?
それじゃあ、尋問に持ってこいじゃないですかっ」
「えぇ。そこでならば、あの捕らえている男から、真実を引き出すことが出来るかも。
ですが、私たちもイェーニヒの鍵は所持していないのです。あの街の扉の樹は、鍵を付けないらしく。私自身、行ったことがなくって。
訪ねるなら、船を使うしかないでしょうけど」
だとしても重大なヒントだ。
オルトを連れて長距離を旅する危険を秤にかけても、十分価値がある。
嘘の吐けない街。
すん、と妹姫様が鼻を鳴らした。
「ついでにイェーニヒで、あの新しいお連れの方の真意を、明らかにしておくことを強くお勧めします。
どういう意図でお仲間に加えたのかは存じませんけども」
「あー……」
やはり、アインの野郎。
妹姫に気取られたか。
あるいはちょっかいを出したのか。
「あの……あいつ、何か、ご無礼を働きましたか……?」
「二言三言、挨拶をしただけですが」
リンギンガウ襲撃の張本人。
妹姫様と斬り結び、死の淵まで追い詰めた男。
元、とはいえ魔女の手下。
レドラムダの法は知らないが、どう考えてもアインは打首獄門、火炙り串刺し、その他どんな過酷な刑罰でも文句を言えた立場でない。
そんな者を従えた、陸歩もまた。
だから絶対に正体は隠せ、と言ったのに。
アインの野郎。
冷や汗が噴き出す。
「せ、説明させて、頂いても……?」
ふ、と微笑む妹姫。
「いいえ。貴方が判断されたのなら私から口を挟むつもりはありません」
嗚呼。
なんと寛大なことだろう。
陸歩が神託者であり、レドラムダ大陸と女帝を救った英雄だからこそ、瞑ってもらえる目だ。
けど、と妹姫が続けた。
陸歩は再び凍り付いた。
「頭ではそう思うんですが。どうにも、ねぇ? 気持ちのほうは済まなくて」
「は。ごもっともです」
「では。慰めて、くださいます?」
あ、これはもしかしたら、上手いこと絡め取られたのかもしれない。
陸歩がそう悟ったときにはもう遅い。
拒否なんてどうして出来ようか。
「なんなりと、お申し付けください」
席を立って、彼女の組まれた足元へ跪けば。
ニッコリと太陽の笑顔。
「最近手に入った鍵がありましてね。エァレンティア大陸の街のものなんですけど、そこの紅葉が見頃のはずで、これから早速――」




