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結:破 ≪逆鱗≫

 ドゥノーの誕生から間を置かず、世界樹は漆黒の鍵を付けたという。

 この鍵を持った者は妖魔の声を聴き、理性を失い、やがて魔物となって暴れ出す。


 住民たちは鍵を鎮めるため、あらゆる手を尽くした。

 封印。

 祈祷(きとう)

 浄化。

 呪滅(じゅめつ)

 が、何一つ効果はない。


 結局出来たのは『追放』だけ。

 ただ、鍵と持ち主とを引き離すことはどうしても出来なかったから、強い意志を持った巫女が鍵を(かか)えたまま可能なかぎり遠くまで行く、という方法が取られた。


 その役割は代々、義肢の乙女が担った。

 先代が魔物に変じてドゥノーに戻った際には、肉と酒でもてなし、最期には剣でもって胸を貫く。

 そうすることで漆黒の鍵が、引き継がれるのだ。


 ここ数年の巫女は、リンリャだった。

 もし彼女が少女である間に先代が戻らなければ、また次の巫女が選ばれたことだろうが。

 先代は帰った。


 しかし今回、魔物を討伐せしめたのはリンリャでなく、陸歩だ。

 だから鍵は、彼を次と見定めた。


「話は理解しました」


 ドゥノー中層、『扉の間』。

 世界樹でも、とりわけ神聖かつ(おごそ)かな場所だ。

 広間の中心に、そびえるように立つ扉。

 あれこそは他の街と(つな)がる、次元の扉。


 その上を、光の刀剣が危うく擦過(さっか)する。


「つまり、貴女は(いつわ)りの占術で、リクホ様を(たばか)ったと」


 扉の間では今、龍がのたうち回っていた。

 イグナの腰から、何本も伸びたマニピュレータは全てEブレードを剥き出しにして、それが荒れ狂う様は、まさに九頭竜か。

 彼女の姿は時折(ときおり)可憐(かれん)な赤髪の少女から崩れて、陸歩のOrderもなしに戦鬼になりかける。

 怒りのあまり、長老に突き付けた、右手のEブレードを振り抜きそうになる。

 マニピュレータが部屋中を壁と言わず床と言わず切り刻むのは、せめてもの暴力で、自己を(なぐさ)めて抑えるため。


 長老は弁解することもなく、静かに()しているだけだった。

 その様子がまた、イグナの電脳にノイズを発生させるのだ。


 血相を変えているのはリンリャである。


「イグナさん! お願いです、お願いですから、まずは落ち着いて話を――きゃああ!」


 音速の斬撃が、リンリャのほんの足元を削った。


 嵐のようなブレード。

 イグナの心中も嵐だった。


「定義判定……現ケースはユーザーの危機的状況に該当するのか……Error.

 当該機におけるユーザー保守の推奨行動は……Error.

 暫定状態名『呪い』に対する外科的内科的処置手順……Error.」


 彼女のプログラムの最も根にあるのはユーザー保守、つまりは陸歩の身の安全だ。

 戦場でユーザーである兵士が負傷すれば、彼女は(ただ)ちに手当てするし、病気になればすぐに治療する。最寄りの医療機関へ搬送(はんそう)だってする。


 だが今、陸歩を害そうとしているのは『呪い』だ。

 それは現代医学で対処できるものなのか?

 そもそも傷病(しょうびょう)と同質の定義付けでよいものなのか?

 イグナは答えのない問いを思考し続け、エラーを吐き続けている。


 陸歩は今、()()いた鍵であの扉を開け、どこだかも定かでない向こう側で、最後の儀式の最中だ。


 IF.

 もし。

 こうして手をこまねいている間に、彼の身に魂に、致命的な損失が発生したら。

 イグナはその確率を計算しようとして、結局それを1%とも99.9%とも判定できず、またErrorが表示された。


 度重(たびかさ)なるエラーは思考回路に過負荷を生み、それは過熱を、バグを生む。

 人間でいうところのストレスであり、彼女の有機的な電脳は、それを解消するため腰からマニピュレータのロックを外し、Eブレードの群れにさらに一刀を加えた。


「長老、何か言うことはありますか。あぁ、どうぞ慎重に。場合によってはそれが貴女の、最期の言葉となるやもしれませんので」


「イグナさん!」


 リンリャの悲鳴を、壁を粉砕するブレードがかき消した。


 長老は(おび)えることもなく、ただ面目(めんもく)はないとでも言いたいのか、(うつむ)いたまま、ため息のように答えた。


「許されないことだとは(わか)っておりました。孫可愛さゆえです。その子を呪いなどには渡したくなかった。どんな罪深い行いに、手を染めても」


「おばあちゃん……」


「この老骨、お気の済むまで存分に、切り刻んでくだされ」


 イグナは、大きく瞬きした。


「なるほど。なるほど。これも愛情の防壁、なのでしょうか」


 束の間演算に時間が要され、イグナは天井を仰いだ。

 暴威を振るい続けたEブレードもぴたりと動きを止め、辺りを静寂(せいじゃく)が満たす。


 ゆっくりと、イグナの視線が戻された。

 そして、ことり、と首を(かし)げる。


「理解、出来ませんね」


 マニピュレータが一斉に蛇行した。

 その先端でEブレードは槍のように細く尖り、その殺到する先は長老でなく、リンリャだった。


「っきゃあ!」

「リンリャあ!」


 初めて声を荒げ、立ち上がろうとした長老に、イグナは右手のブレードを()いだ。

 横一閃、(しわ)だらけの顔にうっすらと赤い線が刻まれ、わずかに血が(したた)り、老人はよろけるように座り直す。


 リンリャのほうは、差し当たっては無事であった。

 昆虫標本のように壁に()()けられているが、貫かれているのは服のみで、その白い首筋へ狙いを定めた刃も切り裂いてしまおうとはしていない。

 今のところは、まだ。


 呼吸のたびに喉元で合わせて上下するEブレードが、リンリャにはたまらなく不穏(ふおん)で不気味だった。

 もしほんのわずかでも、刃の向きが狂ったら……。

 危険だと分かっていても、緊張から息が上がるのが止められない。


 イグナはあくまで平坦な声音を保ったままで、長老へと問いかけた。


「呪いをなすりつけた相手が、報復(ほうふく)に出るであろうことくらい、当然想定していたのでしょう? ではそのとき誰が、どんな目に合わされるのかは、計算しなかったのですか?

 呪いを回避したところで、代わりに孫娘殿に危害が加えられるのであれば、全くリスク軽減にならないと思うのですが」


「おぉ、どうかっ。どうかその子だけは! その子は呪いを引き受けるつもりだった。罪があるのは、この(わし)のみなのです……っ!」


「だから。それをワタシが聞き入れる義理が道理が、一体どこにあるというのでしょうか」


 (はりつけ)となったリンリャに、汗が伝う。

 肌のすぐ(そば)にブレードの獰猛な熱があり、蠢動(しゅんどう)していて……口を利くには大変な勇気と、細心の注意が()った。


「ぃ、イグナさん……絶対、なんとか、しますから……。呪いの鍵は、私がリクホさんから、引き取りますから……」


「どうやって。まさか貴女、リクホ様を討つと(おっしゃ)っている?」


「いいえ! そんなことはしません! 探せばきっと、何か、方法が、」


 リンリャを捕らえていたブレードの一本が、ほんの気まぐれのように、十数センチだけ位置をずらした。

 それだけであっさりと、左腕が切り落とされ、少女は口をつぐむ。


 ごろりと転がった腕。

 その断面は、精巧(せいこう)に出来てはいるが、肉ではない。

 義手を切断されただけでリンリャに痛みはないが、『我が身』を斬られるのは目を剥くほどショックで恐ろしかった。


「次は生身を()ぎますよ」


「……っ!」


戯言(ざれごと)はよしてください。方法? そんなものがあれば、貴女がたは二百年も馬鹿げた儀式を続けずに、とっくにそうしているはずでしょうが」


 余人には(あずか)()るべくもないことだが、今イグナは必死に電脳の冷却を(こころ)みていた。

 計算・エラー・再計算の無限の繰り返しは、彼女をオーバーヒート寸前まで責め立てているのだ。


 イグナは確信する。

 もしもユーザーを保護できなかったと完全に判定されれば、自分はきっと、壊れてしまうのだろうと。

 主を見殺しにした……その事実はシステムに根本的改修を求め、AIを含めたプログラムの全てを一から書き直すに違いない。

 が、そこまでだ。

 再構築は出来ない。

 新たなアルゴリズムを組み上げる材料など、ネットワークも存在しないこの世界には、()()ないのだから。


 無限にErrorが続くだけ。

 その時、この身が起こす行動とは?

 決まっている。


「ワタシの優先第一位は、リクホ様です。あの方を害する者は、一族郎党(いちぞくろうとう)に至るまで、決して許しません。飼い犬まで殺します」


「どうか、どうか、どうか孫だけは。やるならこの儂を……」


「駄目です。黙っていてください。もはや貴女がたには待つこと以外、許可しません」


 やっぱり、もう(すで)に、自分は壊れているのかもしれないとイグナは思った。

 彼のことを考えると、全く合理的でない答えが、プロセスを無視して弾き出される。


「扉からリクホ様が戻った時……もしあの方が、ほんの少しでも(にご)っていたら。ワタシはこの街の住人全てを、非戦闘員も関係なく、殺戮(さつりく)し尽くします」


「……っ!」


 あとは苦い呼吸と、痛む心音、それらを誇張する静寂だけが場を支配する。


 汗の落ちる音が、嫌に大きく響く。

 Eブレードの電熱が揺らぐ音が、背骨をひたと撫でるようだ。


 何時間が経ったのか。

 待つしかない三人には、永遠にすら思われた。


 だが実際には十数分。


 ついに、ドアノブが、回った。


 扉が、ひどくひどく、ゆっくりと開いていく。

 全員が息をのんだ。


 彼は、一体、どんな有様で現れるのか……。


「ただいまぁ」


 気の抜けた欠伸(あくび)まじりの声が先に来て、大口を開けた彼が続く。

 陸歩は徹夜明けの眠気(ねむけ)に目を(こす)っており、だが視界に飛び込んできた惨状に、びっくりと眉を上げる。


「わっ! 何やってんだイグナ! 物騒だなぁ!」


 目の前の光景に対して、物騒、とはいささか表現が暢気(のんき)すぎる。

 イグナはたっぷり時間をかけて三回(まばた)きし、唐突に長老から、リンリャから、Eブレードを引っ込めた。


 そして彼の元へ駆け寄る。


「お帰りなさいませ」


 陸歩はイグナの服の、背から腰にかけてがすっかりズタズタになってしまっているのを気にしつつ、彼女の頭と頬に優しく触れた。


「ただいま。……あーあー。こんなにプリプリ怒っちゃって。かわいい顔が台無し」


「怒ってません」


「気持ちは分かるけど、刃傷沙汰(にんじょうざた)はまずいって。リンリャの手とか、長老のほっぺとか、斬っちゃったの? イグナ、キレるとオレより恐いんだもんな」


「怒ってません。そんなことよりリクホ様、問題はございませんか」


「あぁ、うん。話つけてきたよ」


 言って陸歩はドアノブから漆黒の鍵を抜き、また翼と光輪を広げてみせる。

 鍵で羽の一部を指した。

 そこはまるで、闇を塗りたくったかのような、漆黒。


「ほらここ。オレの魂の一部にしたんだ。どうよ」


(うるわ)しい神威です。リクホ様に、大変よくお似合いかと」


 度肝を抜かれているのはリンリャと長老だ。

 呪いをかけられたはずの青年が、戻ってくるなり神の翼を披露(ひろう)した。

 あんまり訳が分からず、リンリャは普段の貞淑(ていしゅく)さも忘れ、口角に泡を飛ばしながら(たず)ねた。


「どういうことですかっ! リクホさん、しっ、神託者? 呪いはどうなったんです!?」


 陸歩は、実に申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなーリンリャ。義手、斬っちゃって。長老も、ほっぺたの傷、大丈夫?」


「そんなのいいですから!」


 ふと彼は、表情に哀しさを浮かべた。

 二百年の長きに渡る孤独は想像するだけで胸が締め付けられる。

 ……そしてそれと同じものを、故郷に残した『姉』は今現在、更新し続けているのかと思うと。


「呪いじゃなくて、祈りだったよ。初代の埋めた神威が、帰りたがってただけなんだ。願いがヒトには濃すぎたから、呑みこまれて暴走しちゃったんだろうな。

 でももう、オレの中で落ち着いているから」


「じゃあ……」


「これからは、誰も、過酷な運命を受ける必要はないよ。あぁ、世界樹の背がこれ以上伸びることもなくなるだろうけど、空の上まで突き抜けちゃってもアレだから、今ぐらいで丁度いいと思ってくれ」


 リンリャも、長老も、呆然としてその場にへたり込んだ。


「もう、誰も……?」


「この子も、行かなくて、よい?」


 陸歩は二人の前へ(ひざ)をつき、彼女らの肩にそっと手を乗せる。


「二百年、よく頑張ったね」


 不意にリンリャたちに涙があふれ、一筋が頬を伝えば、あとは止めどなく流れた。


「ありがっ、ありがとう、ございます。ありがとうございます! リクホさん、ありがとうございます!」


「有難うございます。救われました。孫娘も、未来の民も、全て、貴方様のおかげで……!

 有難うございます! 信託者様を(あざむ)いた(つぐな)いは、いかようにでも」


「あー、うーん……それについてなんだけど」


 陸歩が確認のようにイグナのほうを見やると、彼女は「お任せします」とでも言うように、そっと目を伏せた。

 あくまで尊重してくれるイグナに、彼はにっこりと微笑む。


「まぁ、今回は結果オーライでいいんじゃないかな。オレも呪われなかった、ドゥノーも誕生以来の問題が解決された。お互いラッキーってな感じで」


「なんと、慈悲深いお言葉っ」


 長老の滂沱(ぼうだ)がさらに激しくなる。

 涙と頬の傷からの血が混じりあっていて、陸歩はそれが気まずくて少し顔を背けた。


「その怪我と、壊した義手については、この街へのオレの貢献で手打ちってことにしてくると助かるんですけど」


「もちろんでございますっ」


「それから……、」


 少しだけ、陸歩は言い(よど)んだ。

 もし。もしも。自分がこの街を訪れたのが、三十六年前だったなら……。

 その考えは詮無(せんな)い上に、あまりにも傲慢(ごうまん)だ。

 『前の一人』を救えたのに、なんて言うのなら、じゃあ二百年前まで(さかのぼ)るつもりか。


「それから。先代のことは、手厚く(とむら)ってやってくれ」


 呪いのないドゥノーの未来は、墓前に手向(たむ)ける花としては、いくらか上等と受け取ってもらえるだろうか。


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