転:急 ≪二十≫
こじんまりとした庭園、と言えば近いだろうか。
気づけば陸歩たちはそんな場所にいる。
「ここは……」
見回しても砂漠はない。
先ほどまで散々照り付けていた太陽も。
キアシアを抱えたまま陸歩はイグナと顔を見合わせ、アインと視線を交わした。
煉瓦敷きの地面。
中央には噴水のように設けられた篝火。
円形の広場で、外周には等間隔に木が植えられて……違った。葉もないそれらは裸の樹木に見えたが、実は燭台だと分かる。枝の先で、か細く燃える蝋燭は儚く短い。
周囲は鉄の壁で、頭上まで覆われていた。
監獄の圧迫感。
世界全体が暗く、黒い。
夜のように底冷えする。
光源が複雑なためか影は多いが、人影は自分たちの他になし。
瞳孔を一度フォーカスさせたイグナが、確信をもって呟いた。
「見覚えがあります」
「……あぁ。そうか、ここは」
陸歩も思い出す。
かつてレドラムダ大陸は風船鳥の街に開いたダンジョンの最奥で、フェズと戦った時のこと。
横から現れた魔女の手下の一人に、秘宝を掻っ攫われたのだ。
あの時。あの術師の男に閉じ込められた角灯の、中の世界。
キアシアを降ろすと、彼女は再びの暗闇に怯えたようで、ひしと抱き着いてくる。
アインは己の手に塔剣が、どころか腰に下げたフランベルジュもないことに、忌々しげに舌を打っていた。
というか、陸歩も鈴剣がない。
イグナも懐に収めていた、キアシアの拳銃が無くなっている素振りだ。
武装解除されてる。
「オルトの野郎が鍵を渋るわけだな」
羅刹は面白くもなさそうに言った。
「この場所が奴の真価だっていうんなら、奴の信条とはあまりにかけ離れてる。
封印結界か、転送術か、他の何かかは知らねぇが、いずれにしてもこんな風に丸腰にするってのはオルトの柄じゃねぇ」
「いや、ここは……なんつったっけ」
「リクホ様。確かヤーグラムと呼ばれていたかと」
「それだ。
に、一回閉じ込められたことがあるけど、そこにそっくりだ」
ほう、と目を眇めるアイン。
「アイン、心当たりあるか?」
「さぁてな」
かつてフェズに訊ねたときと同じだ。
魔女の手下たちはそれほど密に連携してはおらず、互いのこともある程度しか知らない。
羅刹は、一応、記憶を探っている態度ではあるが。
「ヤーグラムは術師だったからな。あいつはもう死んじまってるが、その業は紙に書いておける類のもんだったかもしれんし、そうならオルトが引き継いだのかもしれん」
「――まぁそんなとこだ」
答えは陸歩たち四人以外のところから返った。
ぱっと身構えた陸歩とアイン。イグナがキアシアを庇う。
確かにいなかったはずの男が、篝火の前に立っていた。
頭の天辺から全身とも黒塗り。影で造形されたヒトガタだ。
男は、仮面とフードで素顔を厳重に隠し、そして右手に角灯を下げている。
「ヤーグラム?」
アインが首を傾げると。
ヒトガタはぐにゃりと歪み、形を改める。
篝火を背に、立っているのはオルトだった。
「ここはおれの影の中。……引きずり込まれたやつぁ、もうどこにも逃げらんねぇ」
「見直したぜオルト。お前がこんなに芸達者だとは思わなかった」
揶揄の調子が強いアインの言葉を、オルトは目尻の震えだけで無視して、陸歩へ向かって続けた。
「ジュンナイリクホ。リャルカとカナの鍵を寄越せ」
「そうすりゃ出してくれるって?」
「そうすりゃ、女たちだけは、出してやる。
鍵一本につき一人だ。値段は釣り合ってんだろ」
「慈悲深いな!
だけど、オレは一度、イグナとここを出たことがあるんだぜ」
鎌をかけるつもりで言えば、オルトは鼻を鳴らして乗ってきた。
「てめぇの言う『ここ』と、ここが同じか。いいぜ、試してみろよ」
「…………」
「いずれにしても交渉の余地はありません」
と、割って入ったのはイグナだ。
「貴方の欲しがっている鍵を、我々は正当な取引で手に入れた。
その取引も、貴方がたの組織に反故にされていましたし。
さらにはそれを、このような形で奪おうという貴方が解放を約束したとしても、どうして信用できるというのです?」
「……そうかよ」
不意を打ってアインが躍りかかった。
陸歩も、全身に火炎を帯び、猛然と。
だがそれよりも早く。
最後にキアシアを一瞥したオルトは。
三対の掌を、合わせた。
「なら仕方ねぇな」
篝火の炎が青白く変わった。
オルトの逆立てた髪が、青白く変わった。
庭園の外周が、次々に輝く、青白く。
光の元は、複雑に描き出された魔方陣で、数にして二十。
うち十六には円の内側に、影で形作られた山羊が蹲る。
突然増した光量に、陸歩たちの影もくっきりと浮かび上がった。
「っ」
「!」
陸歩が転ぶ。
アインがつんのめる。
二人とも何かに足を引っ張られて……自分たちから伸びる影が、これ以上は引きずられまいと、その場に手を突いて踏ん張っているではないか。
のみならず、地面から起き上がる。
イグナからも。キアシアからも。
自分そっくりの黒い形が立った。
起立した四人の影は、オルトと顔を見合わせ、頷いて了解を示した後。
二十の魔方陣の、空いているところを目指していく。
本来の主を、ずるずると引っ張って。まるで影と人との立場が逆になったようだ。
「ちっ、この! くっそ!」
「……やべぇかもな」
「身体に、力が、入りません……!」
「なに、これ……っ」
これで陣に、二十の生贄が揃った。
もがけども陸歩たちは、アインですら、陣を出られない。
自分の影が固く立っているためだ。
「おれぁ、魔物だ」
オルトの双眸から、涙が伝った。
これは、彼の人生を彩り続けた光景。
「他者の命と影を啜り、呑み込み、己が糧とする、魔物……。
これは俺にかけられた、呪い」
二十の山羊たちが、身体の端から解れ始める。
糸のように伸びる影が、我先にと押しかける先は、オルトの薄く開かれた唇。
黒が口内に流れ込むと。
「っ!」
「は、」
陸歩たちは、心臓を鷲掴みにされた感触を覚える。
まるで血液を抜かれたような虚脱感を。
力が。
力が抜ける。
脚が萎えた。
鼓動が弱まるのを感じる。
やがては這っているのも難しくなるであろうことがはっきりと予感される。
まずい。
「く、そ!」
気力を振り絞り、陸歩は翼と光輪を出した。
放つは多を滅ぼす神威の波動。
魔方陣の数は二十。この場の多数と呼ぶに十分な数だ。
「おっと。そいつはダメだ」
即座にオルトは、自らの影から兵たちを呼んだ。
三十人ほどいるだろうか。
多はすり替わり、灰燼へと帰すのは影兵。
しまった、と陸歩は内心で歯噛みする。
影から自在に頭数を増やすオルト。その能力に対し、自分の神威はさぞ有利だろうと踏んでいたが。
完全に逆手だ。
オルトにとってはそれは、自身の中に保存したかつての仲間を、永遠に失う行為ではある。
陸歩の神威はそれほど鋭い。
身を斬られる以上の痛みが、男の内心をずくずくと走る。
だがそれも、ジュンナイリクホを制するため、仕方のない支出。
相手がもう一度繰り返すならば、もう一度やる覚悟だった。
まずい、と陸歩は内心で歯噛みする。
このままでは命を吸い取られるのを、伏して待っているほかない。
キアシアは既に、意識があるのか分からない。
アインは未だに影との押し合いを続けているが、魔方陣からの脱出は叶いそうもなかった。
イグナは。
「リクホ様っ」
「イグナ、」
「鍵を、お貸しください……オーゼンフォリオの鍵を!」
その意図を問う間も惜しい。陸歩は篭手から鍵を抜いた。
持ち手をつなぐ鎖は引きちぎった。
イグナに向けて直線で投げたそれを、彼女の左手は過たず受け取る。
右手の人差し指で、襟元から服の前を裂くように開けたイグナは。
胸に穿たれた、鍵穴を晒す。




