承:破 ≪翻弄≫
部屋の外がこうも複雑とは思わなかった。
もはや元の牢屋に戻る道筋も分からない。
「……、……、……っ」
無意識に、キアシアの呼吸は浅く短くなる。
暗い。
暗く、ねじ曲がり、ときに狭く、ときに低く、黒い、常に暗い、廊下。
頼りになるのはランプの灯り一つきり。
この楼閣の主は、さては暗視の心得でもあるのか。
内部のどこにも、窓も、光源も見当たらない。
「…………うぅ」
キアシアにはとっくに、自分の内心を取り繕うだけの余裕もなかった。
怖い。
暗くて、こわい。
子どものように怯える自分を、奮い立たせて大人にすることも出来ない。
思い知る。
暗闇が怖いのは、そこに何か害あるものが潜んでいると警戒するから、ではない。
ただ、暗闇が、怖いのだ。
暗闇が恐怖そのものなのだ。
自分の周囲を、晴れない黒で囲まれ続ける、恐怖。
連想する。
独りぼっちで放り出される、深夜の森を。
出口も分からず空気の残りも不確かな、地下深い洞窟を。
死そのもの、すら。
ランプの燃料も果たしていつまで続くものか。
うかつだった。
もし道中で、この小指ほどの光も絶えてしまったら。
考えただけでも呼吸が乱れる。
「あ…………」
階段だ。
だが彼女は躊躇った。
外を目指しているのなら、喜ぶべき発見のはずなのに。
これを降って行ったら、何か、おかしな予感だが、より深みに嵌まるのではないかという……。
このまま、ここで、しゃがみ込んでしまいたい。
そして顔を覆って、誰かが迎えに来るまで、ひたすら瞼を閉ざしていたい。
「……っ!」
唇を強く噛んで、一歩。
なけなしの胆力を振り絞って、一歩。
踵で強く踏んだ階段は、足音も反響させない。
「可愛げ、ないわね!」
あえて口も足も乱暴にして、キアシアは進んだ。
声に出した虚勢で、萎えかけた気持ちを大人にして、進んだ。
そうだ、進む。
自分の足で。
待っていたって、世界は絶対によくなったりしないんだから。
だから、進む。
燃料が続くうちに。
>>>>>>
――着地を狙っての突き。
――塔剣の刺突は、砂漠の表面を滑るもう一枚の大地、とでも形容しようか。
巨体を晒していては巻き込まれる。そう判断したイグナに解除されたベヒモスが霧散した。
ともに空中へ放り出されたアインとオルト。
落下はほんの一時。
位置の差、体勢の差もあるか。
羅刹のほうがわずかに早く砂へ足を付け――その瞬間にはもう塔剣で突きを放っていた。
自身の身の丈の何倍かと、比べるのも馬鹿馬鹿しいほど巨大な剣を。
まるで身体の延長かのように自在に扱うアイン。
オルトは、足の裏を地に触れつつも、体重はまだ降り切っていない。
「くっ、」
迫る剣はあたかも、砕氷船の舳先が押し寄せてくるかのよう。
その質量は推して知るべし。
まさか防御して受け止められるものではないだろう。
「っそっがぁ!」
着地を狙っての突き。
塔剣の刺突は、砂漠の表面を滑るもう一枚の大地、とでも形容しようか。
オルトは咄嗟に、影から兵を呼び出した。
足の下に現れた真っ黒な傀儡、その肩をオルトは足場にして、再び宙へと飛び上がる。
通り過ぎた巨人の刃に、胸の上下で両断される影兵。
「……! すまねぇ……」
身代わりにした手下に小さく謝罪を呟きつつ、
いや、そんな暇も余裕も、ありはしない。
既に羅刹の剣は弧を描き、またしても空中にあるオルトを狙い撃つ。
このままでは一瞬後には、死。
くっとこみ上げてくる忸怩を飲み込んで。
「――来い! テメェら!」
影から噴水さながらに兵が空へ飛び出す。
その全員が両腕を大きく広げ、あるいは盾を構えて、オルトを庇うように我が身で塔剣の軌道を遮った。
アインの表情にことさら走る不快。
「十把一絡げがなんになんだよ」
その一言が、彼の腹の内に浮かぶよりも速く、容易く。
剣は雑魚を一蹴し、オルトへと叩きこまれた。
「ぐ、ぅおぉおっ!」
だが、アインの侮りに反して、兵たちの決死に意味はあったのだ。
オルトは斧で羅刹の刃を受け止めた。
それはきっと剣閃の勢いが、僅かにでも削がれたため。
結果、オルトは両断されることなく五体を保ったまま……しかしアインを相手では力比べにもならず、後方へ弾き飛ばされる。
砂漠に深く轍を刻みながら。
「ぎ、ぎ、ぎっ!」
全身が痺れる。
受けた剣圧が、骨身で反響している。
未だ砂上を滑る身体を、地面に斧を突き立てて止めようとするも。砂上が故、それもままならない。
アインは冷酷で、さらに畳みかけてくる。
今度は縦に降る塔剣。
オルトは呼び出した影兵に、自分の身体を突き飛ばさせて、どうにか横へ転がり避ける。
噛んだ砂は屈辱の味。
「べっ! ぺっ!」
羅刹の重力剣術も乗算された刃に、地は割られ、砂漠に津波が立った。
――その、立ち昇る砂の壁を裂くように。
振るわれる塔剣。
「くっそ、くそ、くっそが!」
かつては同じ、高弟十六人衆として名を連ねた者同士。
にもかかわらず。
実力にこれほどの差があるとは。
オルトは剣から逃げ回りながら、にわかには信じられない。
鍵。
鍵を。
篭手から鍵を抜き、掌に挿す。
……たったそれだけの隙さえ、羅刹は与えてくれない。
自分はたったそれだけの隙さえ、作ることが出来ない。
「くっそ! アぁインん!」
考える時間すらなく影を身体に巻き付けた。
その上から、羅刹の刃が脇腹に食い込んでくる。
骨の音。
血の味。
意識が、暗転。
目の前に暗闇が降りる。




