承:序 ≪喧嘩≫
上へ積んだ迷宮、とでも言おうか。
楼閣の内部構造は複雑だ。
廊下は侵入者を阻むように枝分かれしている。
無数の部屋は、片っ端からドアを蹴破って確かめるしかない。
階段は、どこだ。一つ上階へ昇るにも苦労する。
押し入った陸歩は、もはや自分の現在地すら怪しかった。
「――キアシアぁ! キアぁーっ!」
腹の底から叫ぶも。
声がほとんど通らない。
まるで壁や床や天井の黒が、音を吸い取るかのようだ。
音だけではない。
元より陸歩は夜目が利く。
さらに今は、左手に火を灯すことで光源を確保していた。
なのに。
一寸先は闇。
今いる通路の奥さえ、ちっとも見通せない。
この黒は、手を触れれば固く頑丈だけれども。
弾かないのだ、音も光も。
「くそっ。キアぁー!」
こんな中での人探しは困難を極める。
陸歩は囚われた彼女の安否にじりじりと焦りを募らせ、今またようやく階段を昇った。
今の階に本当にキアシアがいなかったのか……腹の底に疑念を抱えたまま。
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それにしてもキリがない。
イグナは内心で呆れを滲ませる。
潰しても潰しても、影兵は後から後から。
健気にもベヒモスの巨体に取り付こうと、武器の切っ先を突き出して押し寄せてくるが。
そんなものは、今のイグナには蟻に等しく、軽く身を揺する程度で容易く蹴散らせる。
なんというか。
ベヒモスに実際に初めてなったイグナは。
獅子舞、の気分だった。
無機質に踊っているだけの気分。
この体躯の差、質量差では、いくら大人数が相手でも戦闘の緊迫は抱き難い。
ここへ来る前にブリーフィングでアインから、オルトの能力の概要は共有されている。
影から兵力を引き出すその業は、持久戦となれば脅威かもしれない。
けれども、熱と太陽光をエネルギーもできるイグナは例外だ。
砂漠という環境では、彼女もまた息切れをしないのだから。
むしろ、続ければガス欠になるのは生身であるオルトが先――
「――おや」
イグナは見逃さない。
影兵数十人が、暴れるベヒモスへ襲いかかるでもなく距離を取ったまま、互いに肩を組み始めたではないか。
身を寄せ合った分、足元で拡大される、影。
ぬるりと抜け出す、化け物。
「おや、おや」
とベヒモスの中核でイグナは息をつく。
オルトにもまだ、講じる手段はあったわけだ。
巨大な影より出しは、巨大な蜘蛛。
ベヒモスに比肩する。
その足は、八本ではない。節足でもなく、細い触手状のものがウネウネと無数に蠢いていた。
頭には付けられるだけ付けた、夥しい複眼。
悪夢の産物としか思えない、グロテスク極まる魔獣が、砂漠へと顕現した。
「G Y A A A A A A A A A A A ――――!!」
「b b h h h h h a a a a a a ――――!!」
ベヒモスへと絡みついてくる。
イグナは牙と蹄を振りかざした。
巨体同士の揉み合いは、砂を巻き上げ、嵐のようだ。
「くっ。気色の、悪い……っ!」
へばりついたまま頑として剥がれない蜘蛛に、イグナの表情がわずかに歪む。
これを好機と取ったのか影兵たちが我先にとベヒモスへの登攀を始めた。
そのたびにイグナが肌表面を棘の変えて突き落とし、あるいは蜘蛛の触手に巻き込まれて宙へ放り出されていくが。
幾多もの困難をやり過ごした幸運な兵が、ベヒモスの背上にたどり着き始める。一人。また一人。
「面倒ですこと!」
ベヒモスの暴れる力自体が削がれている。手足にまとわりつく触手のせいだ。
もがけばもがくほど、固く強く絡まって。
一度Code: behemahを解除するべきか。
イグナのAI が戦闘プランを高速で検討し始めた、その時。
「ちょこまか、してんじゃあねぇぞゴルァああああっ!」
「ほぉれこっちだこっち!」
オルトが。
アインも。
斧と剣とをぶつけ合いながら、脚力だけでベヒモスの背へ駆け上ってくる。
彼らの通り道にあったものは蜘蛛の触手も、張り付いてた影兵も、主にアインの手によって、一瞬のうちに細切れにされた。
戦闘の足場にされては、イグナはぞっとしない。
「人の身体へ土足で、なんて殿方たち……いえ」
悪態は切り上げて、すぐさま蝶を一片、アインへと差し向ける。
耳へ取り付けば通信機となり、連携が測れるからだ。
しかし……。
「こンチクショウがぁあぁっ!」
「おらおらおらおら! どうしたよそんなもんかぁ!?」
二人の巻き起こす剣閃の渦。
とても、羽虫が割って入れるものではない。
間違いなく達人であるアインの剣撃に、応じているのだからオルトも相当な実力だ。
イグナは敵戦力の脅威判定を上方修正。
おそらく、オルトは戦い方を道場で学んだのではあるまい。
斧は全打、フルスイング。
当たれば一撃、と思わせる豪快な攻めだが隙も大きい。
しかし彼はそれを、逆の腕の拳打や足技や、時には頭突きで埋めている。
斧と手足の連動は、大胆かつ柔軟にして奇抜。
アインのフランベルジュを、拳で横から叩いて弾くなど、度胸も抜群。
言うなれば、喧嘩慣れ、だろうか。
オルトの戦闘には定石がなく、それでいて動作に淀みがない。
あれは、実戦の日々の中、自らで導き出した強さ。
対してアインも、未だ遊びの調子のままであり、やはり曲者。
余計に剣を振り回しているのは、周囲の影兵を切り刻んでいるからで、それはオルトへの煽りの意味が強い。
剣と斧とで異種鍔迫り合い。
額をぶつけ合う両者。
オルトが空いている左手で殴り掛かるが、アインの右掌が受け止める。
「舐めてんのかぁ、アインっ!」
重量自在の剣術を操るアインだ。
この羅刹がその気になれば、押し合いなど一秒も続かないことを、オルトも分かっている。
「お互いさまだろうが」
一方でアインもまた、相手が本領を発揮していないのが不満だった。
「オルトよぉ、お前ごときが俺に手足四本で勝てるわけねぇだろうが?」
「――っ!
そう……かよっ!」
オルトの爪先が、自分の影を二度叩く。
途端に黒が持ち上がり、それは斧を携えた腕となり、アインの股を潜って背中から斬りかかる。
羅刹はその場で、頭の高さまで跳躍し、迫るを刃すれすれで躱した。
そのまま斧と押し付け合っている剣、オルトの拳を握っている右手を支点に、倒立。
「お、」
オルトは咄嗟にバランスを崩すまいと、踏ん張ってしまう。
これが悪手。
アインは転がるように、相手の背中側へと降りると、振り返る動作に乗せて足払い。
傾いたオルトへさらに、その鼻へ、右肘を叩き込んだ。
「ぐぶっ!」
たたらを踏み、それでもなお一歩も退かないオルトの気合いと根性は、見上げたものではある。
だが羅刹はそんなところに感心したりしない。
「影を使ったって同じだろうが。
鍵だよ鍵。本気で来い。持ってるもん全部でな」
「て、めぇこそ……三味線弾いてじゃねぇぞアァ!?」
「…………ちっ」
と吐き捨てたアインは。
あっさりと左掌に鍵を挿した。
天に裂け目が生じ、降るはオルトの楼閣よりも長大な塔剣。
オルトがわずかに息を呑み。
アインはどこまでも冷ややかだ。
「馬鹿な奴。がっかりだぜ。
こうなったらお前にはもう、鍵を挿す暇もねぇのに」
「……っ、上等だォラぁ!」
「お前、そればっかな」




