起:破 ≪暗闇≫
どうやらこの楼閣に、生き物は自分とオルトだけ。
それ以外はすべて影の兵隊。
ならば、とキアシアは思う。あの男をどうにか――昏倒なり酩酊なり――無力化してしまえば。脱出も叶うのでは。
影たちはオルトの指揮で動くだけの傀儡のようだし。
問題は、肝心の『どうにか』を、どうするか。
牢に囚われているというのに。
四方の壁、天井も床も、影で形作られて温度がない。隙間などもちろんない。
窓は存在せず、卓上のランプだけが光源。この、卓もまた立体の影であるが、ランプは外部から持ち込まれた本物で、自身以外の実体が今のキアシアには心強かった。
身の回りのほぼ全部を形成している影は、音も光も残らず啜り取るように暗く、重く、深く、黒く。
そのうちに自分も飲まれてしまうのでは……。
扉が開いた。
「っ」
キアシアは思わず、腰掛けていたベッドから立ち上がる。
オルトが、上枠に鶏冠を擦らないよう屈みながら入ってきた。
後には影の兵が二人続いて、一方は食事の載ったトレイ、もう一方はピッチャーで水を運んでくる。
「…………」
「飯だ」
「……ありがと」
嘆息しつつ答えた。
礼を言う義理があるのか、とキアシア自身も思わないでもないが。
料理に携わる身として、出された食事には敬意を払いたい。
ここで意地を張って反発してみても、得になることもないのだし。
食べ物が運ばれてくるのはこれで4度目で、それによって辛うじて今が朝だとわかる。
攫われてから、丸一日が経過してしまったか。
受けとったトレイを卓に置くべく、ランプをずらそうとしていると。
床から新たにテーブルが生えた。
椅子も。
キアシアと向かい合わせになるよう、オルトはどっかりと柄悪く腰を下ろす。
「喋る気にはなったかよ?」
「…………」
キアシアは無言を貫いたまま、ナイフとフォークを手に取った。あぁ、銀の食器の手触りがこんなにも落ち着くものだとは。
意固地な様子の彼女に、オルトが舌を鳴らす。
「こんな何もない部屋で、退屈じゃねぇかぁ?
オメェさんさえ協力的なら、もっとマシな待遇を提供してやる用意が、こっちにゃあんだぜ?」
一体何の尋問かといえば、オルトは陸歩の手の内について知りたがっている。
戦いに際してどんな戦法を用いるのか。
技はどういったものか。
得手不得手はないか。
もちろんキアシアが彼を売るようなことはない。
主菜のムニエルを、いささか大きく頬張って。
「結構よ。ここで十分、気に入ってるから」
「そーかい。なら、せいぜい退屈を楽しめや。
幸いにも、時間はたっぷりありそうだし」
「…………」
また舌を鳴らしたオルトが嫌味っぽくぼやいた。
「なぁ? 一体いつになったら来やがんだぁジュンナイリクホはよぉ。仲間が攫われたってのに、ずいぶんのんびりしたもんじゃあねぇか、なぁ?」
「……あんた、連れてくる相手を間違えたわね」
「あん?」
「あたしじゃなくってイグナだったら、リクホは昨日のうちに、飛び込んで、きてるでしょうに……」
皮肉のつもりだったのに、言ってて無性に虚しくなってきて、言葉尻が萎んでしまった。
そのせいで妙に気まずい沈黙が降り、オルトは「あー」だか「おー」だか唸り始める。
「……まぁ、なんだ……。
あんたを確実に助けるために、ジュンナイリクホも準備してんじゃ、ねぇのかよ?
あっちにゃアインもメディオもいるし、おれの能力がどういうもんかは伝わってるだろうし、作戦でも練ってタイミング見て……。
……すぐに、じき、来るだろ。なぁ?」
「…………」
「んだよ。なに見てんだゴルぁ」
ぷっ、とキアシアは吹き出した。
もしかして、今この男は、慰めてくれたんだろうか。
「笑ってんじゃねぇぞオォンっ!?」
「あぁ、ごめん。ごめんなさい」
実はあんまり悪い人じゃないのかも。
などと思い始める自分を警戒し戒めつつも、キアシアは少し態度を和らげた。
再び不機嫌そうに舌を打ったオルトは。
「――よう。あんた、そういや、名前なんつったっけ」
「キアシア。キアシア・ノートン」
「キアシア。
ノートン。
あんた、ゼアニアの妹なんだってな」
「……うん。
お姉ちゃんって、今、どうしてる?」
「さぁてな。
お派手にお優雅に、あっちこっちの金持ちンとこを飛び回ってるみてぇだがぁ?」
「……そ」
「妹のあんたに言うのもあれだけどよぉ。おれぁあの女は、態度がフワフワしててイケ好かねぇよ!」
そんなふうにあっぴろげに物を言う人は、このところのキアシアの身の回りにいなかった。
だからだろうか。
なんだかおかしくって、悪くない気分。
「あたしも。今のお姉ちゃんは、いけすかないかな」
「……。あんたぁ、姉妹ってわりにゃ、あの女と違うみてぇだな」
「まぁ、お姉ちゃんよりは家庭的かな。
ねぇこの料理、貴方が作ったの? 上手だね。出身はどこ?」
「……っせぇ。さっさと食え」
彼は照れ臭そうに顔を背けた。
その表情が、さっと固く引き結ばれていく。
「……待ちくたびれたぜぇ」
「え?」
「よかったじゃねぇかよぉ、キアシアぁ? やっこさん、とうとうスッ飛んできたぜぇ」
クツクツと喉を鳴らしながら、立ち上がったオルトは、影の兵を引き連れて牢を出ていく。
不用心にも、キアシアからナイフもフォークも取り上げることなく。
……どころか、扉を閉めていくこともなく。
「ちょ、ちょっと?」
「やつが来たからにゃ、あんたはもう用済みだぁ。
ただ……終わるまで巻き込まれないよう、ここで待ってんのが利口とは思うぜぇ?
――派手な喧嘩んなっからよぉ!!」




