起:序 ≪拉致≫
「ん…………」
ゴトリと揺れて、キアシアは目を覚ました。
目を覚ました、はずだ。
「こ、こは……?」
意識に、何も景色が入ってこない。
数秒かかって、自分が暗闇に押し込まれていることを理解する。
手足が縛られていることに気付く。
不自由な身体で、壁を押すと、何かグニグニと柔らかい。
温度はなく、息苦しいというほどでもないが、絶えず圧迫感がのしかかってくる。
まるで、黒い揺籃に包まれているようで。
あるいは何かの腹の中……。
「っ」
恐怖が喉の奥からせり上がってくるのを必死に抑える。
それは涙が滲むほど、大変な労力だったが。
そうしていると、唐突に壁が霧散した。
開けた視界に映るのは、夜の静寂。
けれども月と星の灯りで、闇よりはずっと明るい。今のキアシアの眼には眩しいくらいだ。
開けた視界に映るのは、なだらかな砂漠。
風紋の浮んだ砂は、波打つ海面のようにも見える。
点在し、影を落とす仙人掌はひょろりと背が高く、痩せた人間が立ち尽くしたようで不気味だ。
「ここは……」
「起きてたかよ」
傍らに佇む誰かに、キアシアはびくりと肩を震わせた。
陸歩ではない。
イグナでももちろんない。
アインですら。
鶏冠頭の、粗野粗暴といった風体の、男。
「あんた……誰……っ?」
問いながら、直前の記憶が蘇ってきた。
――カシュカ大陸クレイルモリー、メディオの工房。
――陸歩とアインの待つキッチンへ向かう途中の、廊下。
――並んで歩く自分とイグナの影から、
――突然、ぬるりと抜け出して立ち上がったヒトガタ。
そうだ。
思い出した。
影に襲われたこと。
立体を得た影は、闇を固めた斧を振りかざしたこと。
イグナは自分を庇ったために、右腕を斬り落とされてしまったこと。
そのあと影は、あたしをバックリと呑み込んで……。
影が頭部に備えていた鶏冠。
目の前に仁王立つ男の、鶏冠。
この男。
「魔女高弟十六人衆が一人。
斧の月。『絆斧』のオルトグウサ・シオラキオ。
オルトでいいぜぇ」
そんな気さくに呼べるものか。
キアシアは簀巻きにされた身体で、芋虫のように不恰好に後退る。
今、自分は敵に捕まったのだという事実が、全身の神経をチリチリと炙った。
「な、なんであたしを……っ」
「オメェさんにゃ、ジュンナイリクホを誘き出す餌になってもらう」
オルトの影が、主の後ろでのっそりと立ち上がる。
そのヒトガタが、兜に羽根飾りを付けた兵士のシルエットなのだと、キアシアはこのとき理解した。
影は、思いのほか丁寧な手つきで、少女の身体を担ぐ。
彼らの向かう先。
砂漠の只中、月光で照らし出されているのは、聳える楼閣だ。
「たいした持て成しも出来ねぇけどよぉ。せいぜい寛いでくれや。なぁ?」
「……っ!」
>>>>>>
階段の踊り場で。
這いつくばった陸歩は、血を吐く思いだ。
「ど、けぇっ! 放せぇえええっ! アイン!!」
「だーかーら。落ち着いたら放してやるっつってんだろうが」
彼を組み伏せ、背中の上に腰掛けたアインが、何度したか分からないやり取りに嘆息を零す。
逆手に持ったフランベルジュは抜き身で、先端が床へ刺さっており、これによって羅刹の重量自在剣術が発揮されていて、こうなっては陸歩の怪力でも持ち上がらない。
「放せっつってんだよおぉおおおぉおっ!! 燃やすぞゴルぁあああああ!!」
「あーもー。おいイグナ、こいつ聞き分けさせろ! めんどくせぇよもう」
「申し訳ございません、リクホ様……」
項垂れるばかりの彼女にアインは、あぁこっちも微妙に聞いてないな、とまたため息が出る。
こんな状況だというのに。
メディオとアイネは呼び寄せたソファーに仲良く座り、呑気にイチャイチャと肩を寄せ合っているだから。
アインは、それに対する苛立ちも込めた拳で、陸歩の頭に一発をくれてやった。
イグナの目くじらは無視して。
「聞け。おい、襲撃してきたのはオルトだな?
――メディオ。だよな、オルトで間違いないな」
「うん。彼だね。リクホのとこには本人が来たよ」
陸歩はそれを、徒手と炎で辛くも撃退したものの。
同じタイミングでイグナの前に、オルトの能力である影の尖兵が現れ、彼女の右腕を落とし、さらにはキアシアを連れ去ってしまった。
「どけアインっ! キアが! キアシアを!!
イグナの腕まで! よくも!!」
「いいからぁ……、
聞けっっ!!」
「っ」
達人が本気で喝破すれば、その衝撃は頭蓋の内側まで容易く貫く。
陸歩の鼓膜は破壊、持ち前の治癒力ですぐに再生したが。
その一瞬の強制的な静寂と、酔うほどの耳鳴りによって、わずかに冷静さを取り戻す。
アインが、ため息を、吐いた。
「いいか。オルトは強敵だ。
あの野郎の能力は、俺やお前とは別な意味で万軍に匹敵する。種類としては搦め手だし、猪みたいに突っ込むのは下手くそだ」
「だからって! 手をこまねいてたらキアシアが!」
「すぐにどうこうはされねぇだろ。あの嬢ちゃんはゼアニアの妹でもあるんだし、オルトも捕虜を弄ぶ下衆ではねぇ。
それより、分かるだろ? あいつはお前を、自分有利のフィールドに誘い込もうとしてる」
「望むとこだ!」
「その意気やよしだがな。
オルトは直情径行の強い奴で、せっかくの能力よりも正面切ってのガチンコを好む。
そんなやつが、今回は奇襲に人質だぜ? 主義を曲げてまでの行動は、万全を期してるからに違いない。お前のことを、それだけ重く見てるからだ。
そんなところへ、お前は無策で飛び込むかよ」
「…………っ、どうしろってんだ」
ようやく話を聞く気になったか、という意味でのアインのため息は、これまでのものとは色が違う。
「戦力は整えていけ。
分かるだろ、イグナのことを言ってんだぞ」
「……イグナ、腕はいつ直る?」
「完全修復は明朝かと」
アインが「それだけじゃ不十分だぞ」と注意を差し挟んだ。
「お前たちは、メディオなんかになんでわざわざ会いに来たんだ?」
「この。人の亭主を『なんか』とは」
「まぁまぁアイネ」
「こっちは七面倒くせぇ夫婦のお悩み解決までしてんだぞ? 貰うもん貰おうぜ。当初の目的を果たせ。
殴り込みは、それが済んでからだ」




