序:後 ≪沢山≫
積み上がっていた食器や書付や食べカスやらを、なんとかどけたテーブル。
「どうぞ。座って」
「えっと……」
メディオに勧められ、陸歩は断るわけにもいかず、おずおずと席に着くが。
「あの、さ……メディオ……」
「きったねぇなぁ、なんだコレ?」
同じく椅子に掛けたアインは卓から、シミだらけのクロスを一切の容赦も遠慮もなく剥ぎ取る。
陸歩、内心で拍手。
メディオは、疲れたように笑った。
メディオは、洗いあげたばかりでまだ濡れているティーセットを、陸歩とアインへ出した。
カップとソーサーは不揃い。
メディオは、それぞれのカップへと紅茶を注いだ。
メディオは、クッキーの缶を開けている。
メディオは、大皿に山盛りにされたゼリービーンズを出した。
その様子を見ていて。
陸歩の感想は。
「とうとう、やっちゃったんだなぁ……メディオ」
「あぁ、うん」
「いいでしょう」
「最近、ついに成功させてね」
無数のメディオが、口々に答える。
表情は一様に、自分の手柄を自慢する子ども、とでも言えばいいか。
無数のメディオが、口々に。
「自分を造るのって、技術的に難があってね」
「正確にスケッチを取ろうにも、対象が自分だと鏡に頼るしかないでしょ?」
「そうするとね、どうも造った自分の利き腕が逆になっちゃったりして」
「それじゃあもう自分じゃないからさ」
「っていうのが、まぁ詳しい理論と説明は省くけど、ある閃きで解決して」
「…………」
同じ顔の男がずらりと並んでいるのは、ざっくり言ってしまえば、不気味である。
単一の意識に、複数の肉体。
当代無比の人形師が実現したその偉業。あるいは異形か。
そこに潜む、自己同一性や倫理などの心の問題。
……陸歩も、そんなことを、今さらこの悪魔じみた天才には問う気もないが。
代わりに思い浮かんだ質問は、先にアインが口にした。
「それでなんで部屋が散らかんだよ。人手は足りてんなら自分で掃除すりゃいいじゃねぇか」
「まぁそうなんだけど。
全部のボクで、研究をしたいんだよね。身体が増えた分、並列してたくさんの実験ができるし。
せっかく自分の手が何倍にもなったのに、家事に費やしたら意味なくない?」
言葉通り、テーブルに付いたメディオ以外のメディオたちが、ぞろぞろと引き上げていく。研究室に戻るのか。
ふと、陸歩は、怒るべきだろうかと思う。
考えようによってはメディオは、片手間で来客の相手をしようという態度、と言えなくもない。
そんな客の腹の内は露とも知らず。
天才は満足げに相好を崩す。
「今のボクは、すごく調子がいいよ。思いついたことがすぐ試せるんだ。前までは、タスクの処理に順番を付けるしかなかった。
あれも、これも。試行回数を稼ぐのだって訳ないし。
自分自身だから指示するまでもない、指導もいらない」
「そらまぁ結構なことだがよ」
アインはゼリービーンズを一掴み、もっちゃもっちゃと咀嚼しながら。
「嫁さんが篭っちまった原因って、絶対そのへんだろ」
ざっくりと言い放つ羅刹を、陸歩が慌てて窘める。
「アイン。もうちょっと、こう、オブラートとかさ」
「やっぱり、研究に没頭し過ぎたせいかな……」
「いやメディオ、そこじゃあない、と思うんだけど」
まぁ、詳細についてはイグナとキアシアに任せるしかない。
「ところでリクホ、何かボクに用事だった?」
「オレっていうか、イグナがね。
いいよ、こうなったらもう、それは後でで」
>>>>>>
この見事なレースのテーブルクロスは手編みだと言う。
「時間ばっかりあるもので」
アイネは微笑んだ。
イグナとキアシアに出されたのは、老舗工房のカップへ注がれた高級紅茶。
焼きたてのマドレーヌにフィナンシェが、香ばしく食欲を誘う。
卓の中央に生けられた花は瑞々しい。
「どうぞ。召し上がって」
「美味しそう」
「ありがとうございます。いただきます」
「旅は順調ですか?」
「それなりに、ですかね」
「この前はグィンガルム大陸の砂漠地帯に赴きまして」
「まぁ。暑かったでしょう」
お茶の間、アイネはしきりに、イグナたちが立ち寄った街のことを聞きたがった。
一日の大半を自室で過ごしている――メディオはそう言っていた。
茶葉や菓子の材料や、花を買いに出るくらいはしている様子だが。
それなり以上に深刻に、閉じこもってしまっているらしい。
「そういえば、アイネさん」
折を見計らって、少女たちは予め打ち合わせていた通りに口火を切る。
「メディオさんと、結婚なさったんですよね」
「申し訳ございません。お祝いもせず」
「いいえ、いいんです」
自分のカップで唇を湿らせたアイネは、困ったように歯を見せた。
「あの人に泣きつかれたんですか?」
「え?」
「と、言いますと」
「私を部屋から引っ張り出してくれって、あの人に呼ばれて、いらっしゃったのでは?」
「あぁ、そういうわけじゃなくって」
「別件で訪ねてきましたところ、近況を聞きまして」
「そう。さぞ呆れたでしょう、新婚で家庭内別居なんて」
「いえ、そんな」
「差し支えなければ、何が原因か、伺っても?」
しばしの逡巡の後。
アイネはティーセットのワゴンの下から、瓶を取り出した。
中身は濃い琥珀の液体……どうやらブランデー。
二人に断ってから、彼女はそれを、自分のカップへ並々と。
ぐいと呷って。
熱い息を吐いて。
「結婚ね。あの人から言い出したんですけど。プロポーズがどんなだったか、想像できます?」
「はて。見当もつきません」
「メディオさん、なんて……?」
「私、解雇されたんですよ。見てこれ!」
立ち上がったアイネは自分の衣服を引っ張って見せる。
それは、簡素ながら上品な仕立てのロングドレス。
以前に彼女が着ていたメイド服とは完全に別物だ。
「それで結婚か、この屋敷を出ていくかの二択を迫られて!」
「なんと」
「うっわ……」
「選択肢なんかないじゃないですか! 私には行く当ても、帰る郷もないのに!」
イグナが横から、完璧なタイミングで酒瓶を取った。
キアシアは棚から見つけたグラスをアイネに差し出す。
多少の憂さはアルコールで吹き飛ばしてしまうのも手と、少女たちは連携して次のブランデーで杯を満たした。
「まぁそれはいいんです。私はあの人に尽せれば、立場が従者だろうと嫁だろうと。
――なのに! あの人、私以外の私を全部破棄しちゃったんですよ!
使用人じゃなくなったんだからって、なにそれ! これからの二人の関係は、尽くす尽されるの主従じゃなくて、新たに築いていこうって! なにそれ!
自分はたくさんになっちゃったくせに!」
それで、アイネは一人しかいないわけか。
イグナたちは謎が解けた思いだ。
あの大勢のメイドが全て自室に閉じ込もるなんてことが可能なのか――始めはそう思ったが。
「自分はたくさんになっちゃったくせに!」
「アイネさん」
「自分は、たくさんに、なっちゃったくせにぃ!」
「あー、いいですいいです。泣いてください。遠慮はいりませんから」
「わ、わた、私は、」
早々に酔いが回ったのか、しゃくり上げ始めるアイネ。
「なんて、勝手なんでしょうっ。
あの人には、唯一無二で、いてほしかったっ。
でもっ。
だけどっ。
無数だった私がっ、それでも愛してもらえた私がっ、どうして愛する人が単一であってほしいなんて、どの口が、言える道理がっあるっていうんですっ!?」
テーブルに突っ伏して、クロスを涙で濡らすこの新妻を、少女たちは二人掛かりで、頭を撫で、背中を撫で。
「あの人は、あの人はっ。
私がどんなにたくさんいても、本物の私を、元の私をっ、間違えたりしなかったっ! なのにっ!
私はっ! たくさんのあの人がっ!
全部!
同じにしかっ見えないっ!」
私の愛が、足りないせいか。
花嫁の慟哭に、花瓶が倒れ、生花は破片に沈む。




