表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/427

転:急 ≪双刃≫

 居間の窓から身を乗り出したリンリャは、息を()んで地上を見つめる。

 遠すぎて判然としないが、明けない夜に(とも)っている炎だけは、(まぎ)れもなく認められた。


「おばあちゃん! 草原から火の手が!」


 振り返るも、長老は()して占い盤に見入るばかりで、火事の対応に人を出す段取(だんど)りすら付けようとしていない。


「おばあちゃん!」


「……行っては、ならん。住民は誰一人、世界樹から出てはならん」


 しわがれた返事に、リンリャはほとんど怒声のようにして叫んだ。


「牧場中で羊が鳴いてるの! ねぇ! ここまで聞こえるのよ! おばあちゃん! 夜だって明けないまま! 

 もしかして、うぅん絶対そう! 先代様が帰って来たんでしょう!」


「行っては、ならん」


 あくまでこちらを見ない祖母に、少女は確信した。


「やっぱり、そうなのね……。私、行かなきゃ!」


 腕を(つか)まれた。リンリャは、はっとなる。

 今まで座ったまま微動だにしなかった祖母が、わずか一瞬のうちにそこにいて、孫娘の手首を握っているのだ。

 とても老人の身のこなしとは思えない、とても老人の握力とは思えない。

 ()(ほど)こうとしても(かな)わず、またその(しわ)だらけの手が、指が、細く震えていることにリンリャは気付いた。


「おばあちゃん……」


「行ってはならん……行かないでおくれ。お前は、行かないでおくれ」


 祖母と孫の目が、初めて見つめ合う。

 未来を視るという老練(ろうれん)な瞳に鏡のように映る自分の姿、それから渦巻いている哀色(あいいろ)の感情に、リンリャは息が詰まった。


「おばあちゃん……。でも、これは、私の役目だから」


 二百余年、ドゥノーが生まれてからずっと、続いてきた(ことわり)

 当代として引き継ぎ、世界樹を未来へと(つな)いでいくことが、今リンリャに課せられた使命だ。

 そこに恐怖や悲哀を差し挟んではいけないと、少女はずっと教えられてきて、老婆はずっと教えてきて、二人は他の誰よりも覚悟してきた。


 なのに。


「いいや、いいんだよ」


「え?」


「お前は行かなくていいんだ。行かなくていい。代わりの狩人をやったから」


 幾重(いくえ)にも皺の刻まれた祖母の顔は、ひどく不恰好に笑っているように見えた。


 意味するところをリンリャは、しばらくかかってようやく察し、さぁぁと青ざめていく。


「代わりって、まさか……」


 今度こそ力任せに祖母の手を振り払って、リンリャは家中に声を張り上げた。


「リクホさん! イグナさんっ! いたら返事してください!」


 客間の(ふすま)を乱暴に開く。


 誰もいなかった。

 布団は敷かれてさえいない。

 隅に荷物が積んであるだけで、部屋の中には体温の名残(なごり)もなく、今晩ここに人がいた気配がまるでない。


「そんな……」


 廊下で床板の軋む音がする。

 立っているのは祖母で、腰から上は闇に溶けるように紛れていた。

 ただその双眸(そうぼう)だけは、青く、青く、意志に(らん)と輝いて。


「行ってはならん。リンリャ、行かないでおくれ。お前は行かせない。

 大丈夫、出迎(でむか)えはあの二人がする。彼らはきっと、先代様を討つだろう」


「おばあちゃん!」


>>>>>>


 骨剣の切っ先が喉元をかすめた衝撃が、鎧の内側で何度も跳ね回る。

 その冷たさに、陸歩は思わず身震いした。


「――ちぃ!」


 反撃のEブレードを振るう。

 けれども魔物は、体躯に見合わぬ繊細かつ機敏な動きで(すで)()退(すさ)っており、電熱光の刃は空をのみ()いた。


「こいつっ、」


 再び魔物が肉薄してきた。

 足さばきは熟達として陸歩に狙いを定めさせず、乱れ舞う双刃は常に視界の外から、意識の外から襲ってくる。

 装甲にあられが(ごと)く突きが食らわせられた。

 返し刃はぬるりと(くぐ)られる。

 魔物の動きに陸歩は完全に翻弄(ほんろう)され、波か風か、実体ないものと(たわむ)れている気にすらなる。


「くっ! ……お、らぁあぁ!」


 さらに攻め立てられるのを嫌い、陸歩は装甲の隙間という隙間から、紅蓮を吐いた。

 赤の奔流(ほんりゅう)()みこまれた魔物はしかし、クルクルと宙転することで身体の炎を消し止め、同時に距離を取る。


 陸歩は、いつの間にか止めていた呼吸を再開する。

 そして脳へ酸素と思考を巡らせた。


 魔物のあの、優美繊細かつ苛烈な太刀筋。

 舞踏がごとく淀みなく躍動する体さばき。


「……イグナ。オレの勘違い、じゃないよな」


「はい。対象の剣術にはリンリャさんの儀剣との類似点が、現状までで四十二、検知されました。間違いなく同門かと」


「こいつは一体、誰で、何なんだっ!」


 魔物から右の斬撃が飛来した。

 本当に飛んできたのかと思った。

 相手の長い腕に長い剣、陸歩はそれを見越した間合いを取っていたはずなのに、(むち)のようにしなる一閃がその外から叩きつけられた。


「やっぱ速ぇ強ぇ、けど!」


 ついに捕らえた。

 陸歩の左手が今、骨剣の刃をがっちりと掴んでいる。

 彼はそのまま魔物を、渾身の力でもって宙へと放った。


「もらったぁ!」


 逃げ場のない空中へ、陸歩はEブレードを突き上げる。

 翼でもなければ避けようもなく、胴体を両断する一撃だった。


 ……魔物は、あろうことか、身をよじって(たく)みに避けて、陸歩のEブレードを握る手、その甲へと片足立ちで着地してみせる。


「んな馬鹿な!」


 そのまま降ってくる突きが、二十、三十。


「お、りろ、っつぅの!」


 陸歩が強引に腕を振り回す。

 と魔物は、その勢いに乗じてふわりと飛び、またしても距離を取った。


「イグナ! ダメージはっ」


「損傷率5パーセント以下。レベル2以上のダメージはありません。装甲を()()かれている程度です」


「そうか……。でもこれじゃ、千日手だ」


 魔物の剣は、イグナの装甲を貫けない。

 しかし陸歩の剣もまた、魔物にかすりもしない。

 持久戦となった場合、不利なのは果たして、こちらかあちらか。


 陸歩はしゃにむに突っ込んだ。ブレードを振り下ろした。

 だが。

 まるで舞う紙片(しへん)でも相手にしているようだ。彼の振るう刃は、魔物にひらひらと避けられる。

 あの巨体が陸歩の剣圧に、はためくみたいにして、軽やかにすり抜けていくのだ。


 せめて受け太刀してくれれば、骨剣ごと真っ二つにしてやるものを。

 陸歩は歯噛みする。


「パワーはオレのほうが上なのに!」


 魔物の斬撃がまた、絶え間なく装甲へ降り注ぐ。

 まるで剣の(おり)だ。

 陸歩の反撃を(さえぎ)るように十数打が突き立てられ、彼が(かわ)すべく動かした脚を、あらかじめ置かれていた一打がまた制す。


 陸歩の行動はほぼ全て、魔物の剣技によって掌握されていた。

 読まれている。応じられている。

 先の先も、後の先も、取られている。

 いま振った一撃も、誘導されてのことだ。

 いま引いた左足も、導かれて。


 これでは、魔物の手順で、動かされているに過ぎない。


「スピードだって、オレのほうが上のはずなのに!」


 師匠の言葉が、陸歩の脳裏に思い起こされた。

 

 ――剣士が比べ合うのは膂力(りょりょく)でも、体力でも、策略でもない。武具の優劣などもっと関係ない。

 剣士の格を決めるのは、剣だ。

 剣技であり、剣術だ――


「これが、『剣』か……っ!」


 陸歩は歯噛みした。

 まだ何の応用も効かない、型通りさえおぼつかない初心者の自分には、あの無限に自由な骨の双剣は追えない。


 全身発火で魔物を遠ざけ、陸歩は(かせ)いだ時間で問う。


「……イグナ、戦闘プランは」


「構築済みです」


 打てば返るようなイグナに、陸歩は長く長く息をついた。


「指示してくれ」


「かしこまりました」


 兜の中、彼は渋面をいっぱいに作っている。


「師匠に知れたら、どやされるな」


 炎のオレンジの中、陸歩の視界にライトブルーの矢印が浮かび上がった。

 同時にカウントが表示される。

 「2」、「1」、「Go」。


 示されるまま飛び込んだ。

 脚は、胴は、鎧によって引っ張られ、それに合わせるだけでいいのだから、タイミングにもルートにも迷うことはない。


 イグナに戦闘を(ゆだ)ねれば、どんな未熟者でも、あっという間に歴戦の武者だ。


 腕が篭手(こて)に引っ張られる。

 陸歩はそちらへ、思いっきり振り抜いた。


「せっ!」


 横薙(よこな)ぎにしたEブレード。

 魔物の背中は、神輿(みこし)を背負っているとは思えないほど柔らかく、のけぞるようにして陸歩の刃の下をくぐった。

 そのまま地面へ仰向けに倒れたかと思うと、ゴロゴロと転がって間合いを取った。


 遅ればせに飛散した、黒い血液が、瘴気に蒸発する。


 斬った。

 鎖骨のすぐ下を一文字。

 だが浅い。


「悪いイグナ、振り遅れた」


「いえ。再計算いたします」


 コンマ以下で修正されるイグナの戦闘プラン。

 それに(とも)って画面に推奨モードが表示される。


 ―― Mantis ――


 陸歩は自分が、完全に『着られて』いることを強く自覚しつつ、言われるがままを愚直に発声する。


Order(オーダー). Code(コード)Mantis(マンティス)


 右腕の機構が変形し、(てのひら)を包み込んで、もはや剣を握るのではなく手首から先自体がブレードとなる。

 同様が、左腕でも。

 さらに腰部からはマニピュレータが二本展開し、これらもEブレードを(とも)した。


Code(コード):Mantis(マンティス)受諾(じゅだく)

 Eブレード出力を36%に再定義。

 第二、第三、第四ブレードを解放。

 残存エネルギー通知は、ユーザー設定により、非表示となっています。】


 斬撃特化形態。

 四振りの刀剣を持ち出した今の姿は、この世界のどんな剣術と比べても、異様であることだろう。


「リクホ様。基本的には、手数で押し切る方向で参ります」


 イグナが陸歩の耳元へと告げ、それは今までよりもクリアに聞こえた。


「腰の副刃(ふくじん)はこちらでユニゾンさせますので、リクホ様は多少の誤差はお気になさらず、両手のブレードを思いっきり振るってください」


「オッケー。了解っ」


 手足の引っ張られる感覚。

 それに即応して陸歩は跳んだ。


 彼はもう目さえつぶっている。

 ただ知覚を己が内にのみ向け、鎧が引くほうへ、イグナが演算した勝利への道筋へ、より早く速く駆け抜けることのみに集中する。


「お、りゃあああああぁああぁあっ!」


 外から見る者があれば、陸歩の姿は竜巻に見えたことだろう。

 四枚のブレードが織りなす竜巻。激しく明滅する竜巻だ。


 魔物の絶技も、災害には及ばない。

 陸歩の剣――正しくはイグナの剣に、避けようのないものが交じり、次第に骨剣で受け止めざるを得なくなっていく。


 いいや、受け止められなどしないとも。


 相対する、剣士と剣士は異形と異形。

 それぞれが(たずさ)える、得物(えもの)もまた。

 だが直接に刀剣をぶつけ合えば、光の刃の鋭さが際立つだけのことだ。

 二振りの骨は、端から斬り飛ばされ、見る間に短くなっていく。


 右手のEブレードが魔物の腕を貫いた。

 追いかけるようにイグナの副刃が肩口へと振り下ろされる。


 魔物の金属質な悲鳴が耳に障る。


「イグナぁ!」


 左手のブレードに、もう一枚の副刃が平行に()う。

 そして二刃は互いに螺旋(らせん)を描くように、高速で回転しだした。


 電熱光のドリルだ。

 穿(うが)つのは魔物の、腹部。


 しかし魔物はそれを激しく嫌がり、自由な右手から骨剣を放り出して、突き出された螺旋剣を掴んだ。

 ただれる臭い。骨身を削る音。

 魔物は構わず、また貫かれている左腕にも配慮せず、無理やりに身体を(よじ)る。


「おっ、」


 陸歩が面食らうのは、赤黒い足の裏が視界いっぱいに迫ったからだ。

 どういう体勢から放ったものかも判然としない魔物の蹴りは、兜を(したた)かに打ち、その勢いを利用してブレードの刃渡りの外へと(のが)れる。


 だが魔物は、左腕は肩から丸ごとが千切れ、右手も指が弾け飛んでボロボロだ。


「両腕、いただきました」


 イグナが(おごそ)かに言い、陸歩は右のEブレードを振るって、ぶら下がったままだった魔物の左腕を捨てた。


 魔物の瞳に憎悪と、死に対する強烈な忌避(きひ)が浮かぶ。

 胴体の両側からどす黒い血が噴き出し、あまりにも痛々しい……危険な感情移入だ。

 陸歩は心を冷たく保とうと努めた。


「悪いな。恨みはないが……」


 陸歩は最後までイグナに唯々諾々だ。

 画面に示されるガイダンスの通り、右手と左手の機構を組み合わせる。

 すると一際巨大なEブレードが生まれ、彼は大上段に振りかぶった。


「討たせてもらうぞ!」



「だめぇーっ!」



 破裂するような少女の声が割って入った。


 イグナのセンサーが感知し、画面に映し出したものに、陸歩は息をのむ。

 駆けてくるのは非常によく見知った顔だった。


「なっ、リンリャ?」


「リクホさん、リクホさんですよね! だめ! 殺しちゃ駄目です!」


「リンリャ! 来るなコイツは!」


 駆けた魔物は矢のようだった。

 予備動作すらなし。

 その傷でどうやってと問いたくなるほどの加速に、完全に虚を突かれた陸歩は、リンリャの前へ魔物が仁王立(におうだ)つまでを、ただ見送るしかなかった。


「く、っそ! 逃げろリンリャ!」


 だが少女は覚悟に口を引き結び、目だけで陸歩を制するのだ。


「リンリャっ」


「大丈夫ですから。大丈夫。――これは、私の役目です」


 そしてリンリャは魔物へ、深々と(こうべ)を垂れた。


 陸歩とイグナには訳が分からない。

 魔物のほうも少女の礼を、じっと受け入れているのだから。

 ドゥノーを目指し、リンリャと同じ剣術を用いた魔物……その正体について、陸歩の思考に嫌な想像がいくつも(めぐ)る。


 リンリャは最敬礼を解かないまま、ゆっくりと述べた。


「お帰りなさい。三十六年の長きに渡ってのお役目、有難うございました」


 そして魔物へと抱き着く。

 陸歩の目は、イグナのセンサーは、(とら)えていた。

 リンリャの手には自らの剣が握られており、それは魔物の胸を深々と刺している。


「あとは、私が引き継ぎますので。安らかに、お休みになってください」


 あれほどまでに陸歩の剣をかい(くぐ)り、ひとたびは腕を捨ててまで逃れた魔物が今、リンリャの刃は受け入れるままとなっていた。

 その表情は(おだ)やかに凪ぎ、止めどなく流れる血、広がる傷を、噛み締めているようですらある。


 リンリャは、徐々に剣を下げていく。

 裂け目を(えぐ)られるのは想像を絶する苦痛であろうに、やはり魔物の瞳は平静を(たた)えたままだった。


「――っ!」


 その表情が一変した。

 リンリャの剣が、腹へ達しようかというところで。


 魔物にあの、生への狂おしいほどの執着が再び差し、荒々しい咆哮(ほうこう)を上げたのだ。

 

 死にたくない――陸歩だけが確かに聞いた。

 死にたくない、死なせたくない。

 守るためなら、殺してやる。

 

 大きく開かれた魔物の口が、リンリャへ迫った。


「あ……」


 それを、少女は何の抵抗もなしに待ち続けて。


 ついに。


 ついに、魔物の首が跳ね飛んだ。


「あぁ……リクホさん……」


 こと切れ、倒れゆく魔物の背後には、光の剣を振り抜いた、機甲の天使の凄惨(せいさん)な姿がある。


「なんて、ことを……」


 リンリャは涙の(こぼ)れる双眸を固く閉じた。

 それは、眼前の出来事を拒否したかったからでなく。

 自分の内に、打ち消しようもなく浮かぶ卑劣さを、せめて隠したかったから。


 背負うべき地獄の(ごう)が、自らが引き継ぐより前に、他人へと渡ってしまった……その安堵を。


 鎧が剥がれる中、陸歩は自身の異変に気付く。


「なんだこれ……鍵?」


 右の掌に、幾重(いくえ)にも(から)まった鎖。

 それに(つな)がれた、黒い鍵。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ