破:急 ≪検証≫
雲は分厚いが、雪は止んでおり、地上に積もった白が乏しい陽光を反射して殊の外明るい。
見渡すかぎりの雪原には、他に人はもちろんのこと、建物や木々、動物の気配も一切なく、なるほど実験場には最適か。
「さむーい!」
今朝の温泉とのあまりの落差に、キアシアが悲鳴を上げる。
重ね着の上に厚手のコートを纏い、マフラーを何重にも巻いて、手袋と耳当てまで完備しても、吹き付ける風にガタガタと震えていた。
真っ赤になった鼻が不憫だ。
「モンプに戻ってるか?」
「…………。うぅん、大丈夫」
一方、ガル博士はこの土地の住人だから、環境に慣れているのか。
あるいは興奮しきりでそれどころでないのか。
いかにも軽装なのに、ちっとも寒がる素振りがない。
「さぁ。さぁ! では! 思いつくだけ試してみようじゃないか!」
「はい。何からします?」
確かに、いい機会ではある。
専門家の監修の下で、検証が出来るのは。
原初神より贈られた錠前。
これに不思議な力があることは疑いの余地なく、この前遮二無二振り回した時には、回路神神託者の権能による結界を突破してみせた。
使い方があるのなら、理解しておけば今後の戦力になり得る。
それに。
大事な人――によく似た人――からのプレゼントだ。
知るべきことは、ちゃんと知っておきたい。
「では、まずは。雪を詰めてみようか!」
「…………はい?」
「雪を詰めるんだ。鍵穴にな」
「…………」
もしかして、ふざけているのか。
声に出さずとも陸歩のその思いは表情に浮かんでいて、博士は「とんでもない」と大袈裟な身振りで否定する。
「この鍵穴が、『虚無』であるということを最初に確定させるためだ。
賭けてもいい。この小さな空に、どれだけ何を流し込んでも、絶対に埋まるまいよ」
「…………」
まぁそう言うなら、と陸歩は足元の新雪を、片手で掬えるだけ掬う。
そして鍵穴へと。
「ほら! ほら! いくらでも入っていくだろう!」
「……、いやこれ、入ってるのか、入ってないのか、よく分かんないんですけど」
周りから溢れたり、陸歩の体温で溶け出したり。
「リクホさま、貸して頂けますか」
手渡すとイグナは、人差し指の先を鍵穴へと当てた。
彼女はそこから、自身の肉体を構成するナノマシンを流し込んでいるらしく、すぐに眉を上げる。
「これは。
なるほど」
「何か分かったのか」
「穴に触れることが出来ません。触れているはずなのに、触れている感覚がないのです」
我が意を得たり、とガル博士が指を鳴らす。
「そう、有は無とは接触できないんだ! 両者の間には次元以上に深い境界が横たわっている!」
「底無しのようです。注げども注げども、一向に手ごたえがありません」
諦めて逆さまにした錠前の穴からは、滝のように黒い砂、ナノマシンが零れだしてくる。
明らかに容量の辻褄が合っていない。
博士の興奮が雪原に響いた。
「これで証明されたな! つまり、虚無を満たすには量的手段では駄目なんだ! あたかもそれは、有限をどれほど多量に集積しても、無限にはならないように!
有限と無限は質的差異なんだ!」
やっぱり哲学じゃないか、と陸歩は内心でため息を吐く。
神懸かりな彼だが、哲学も神学も専門ではない。
横からキアシアが疑問を差し挟んだ。陸歩もちょうど考えていたところを。
「あの、博士。それって鍵束の篭手とは、違うんですか?
陸歩とイグナのそれとかも、外からは想像もつかないほどたくさん入るけど」
「うむ。違う。
篭手は亜空間を利用した魔具だ。スペースをここではない場所に確保しているだけのこと。収納限界も決まっているしな。
だがその錠前の鍵穴は、存在の欠落だ。その部分にだけ、何も、空間すら、存在していない」
「つまり?」
「つまり、その欠落を満たすには、然るべき手段が必要だということだな」
錠前を満たす、と来たら、一つに決まっている。
陸歩が呟く。
「鍵、か……」
ガル博士が深く首肯。
「神器にせよ祭器にせよ、魔具だろうと呪具だろうと、形状には必ず意味がある。錠前の形だというのなら、その通りの使い方で間違いあるまい。
ちなみに、それの鍵は?」
「いや。貰ったのはこれだけなんで。心当たりもありません。そもそもあるのかどうかも」
ふむ、と博士は髪の先をいじりつつ、しばし思案。
が、ほどなく。
「うん、考えても仕方ない。
とりあえず手持ちの鍵を突っ込んでみようじゃないか」
「えぇ?」
この博士、スマートな見た目とは裏腹に、発想はごり押し気味。
いや、それこそ研究者に最も必要な姿勢かもしれない。
実は、錠前に適当な鍵を挿してみる、ということを陸歩たちはまだ試していなかった。
思いつかなかったわけではない。
扉の樹の鍵がいずれも貴重品だからだ。
鍵こそは旅人の財産。万が一、抜けなくなった、折れたなどということになったら大変な痛手だ。
好奇心はあったが、無謀にトライする気には、ついになれなかった。
しかし一流の学者はそういう及び腰とも無縁のようで、自分の鍵――ガラム・カインの鍵――を懐から出し、逆の手は錠前をくれと差し出している。
陸歩は、逡巡、後。
「どうぞ」
「よし。いくぞ」
もうちょっと勿体ぶればいいのに、ガル博士はさっさと鍵を挿してしまう。
鍵を、挿した。
回す……回った。
「開いた……っ」
いっそあっけないほど簡単に、錠前は外れ、そして。
きんと光り輝く。
「お、っ、」
目を焼く眩さ。
それでいて暖かくて偉大で、害あるような手触りでない。
一瞬後には輝きが収束し。
そこには。
ガル博士がいるのみで錠前がなく。
代わりに一人、星色に煌めく看守が、立っていた。




