序:急 ≪面会≫
次の日、朝風呂に、他の全員が乗り気だった。
それでみんな思いのほか長湯なので、先に上がった陸歩は一人、身支度をしてガラム・カインを訪れる。
本当に一人で出歩く、というのも珍しい。
募集をかけた知恵に対して反応があるか、我知らず逸っているのかもしれない。
とはいえ、まだ昨日の今日だ。
収容されている賢者たちは、別に掲示板を見る義務があるわけでも強制されているわけでもないそうだから。そもそも目に留まったかも怪しい。
過度に期待しても虚しいだけ。
そう思ってカウンターに話しかけたのだが。
その学者は、まだかまだかと待っているという。
「マドだ。ジニア・マド」
いかにも、学者然とした男性だった。
最後に鋏に近づいたのはいつか、つい問いたくなるような、ボサボサで長い髪。
最後に剃刀に……無精髭。
ガリガリに痩せているのは、きっと寝食に頓着していないからだ。
まん丸の目はどこか危うい。
「初めまして。ジュンナイリクホです」
握手を交わすと。
意外にも、力が強かった。
談話のために通された部屋は、監獄時代そのままの、面会室。
さすがに二者の間に鉄格子は挟まれてはいないものの。
床や壁の石はともかく。椅子や机の年季の入り方は、どうやら過去に一度も取り替えたことがないらしいと伺える。
収容者側には看守が着いて、卓で会話の内容を一言一句まで詳細に記録し始めていた。ここまでいくと『ごっこ』の匂いがしてきてしまうが、これはガラム・カインの配慮で、依頼者が教わった内容を過たず振り返ることが出来るようにするためだ。有料のサービスではあるが。
マド博士は、『イトケウス』という単語に心当たりがあるという。
挨拶を済ませ、椅子に掛けるなり、彼は。
「元気だったかい?」
「は?」
初対面の相手に投げる問いではあるまい。
だが博士は、顔の前で手を振りながら。
「イトケウスさ。会ったんだろ? 元気だった?」
「あ、いや、」
「あの子は今、『彼』だった? それとも『彼女』だった?」
「は?」
いろいろ情報を飛ばされていて、さっぱり話が見えない。
陸歩はしばらく説明と理解に苦心する羽目になる。
ひとまず。
イトケウス、というのは人名であるらしい。
性別も不詳……亜人だろうか。
胸に刻まれた印も晒して、陸歩は何故その名を知り得たのかを伝える。
マド博士は実に興味深げで、ともすれば、楽しんでいるようにも。
「それで、差し支えなければ、イトケウスさんについて、お伺いしても?」
「あぁ。もちろん。
イトケウスは、ボクがつくった子さ」
息子か。それとも娘ということか。
……なにか。陸歩は、博士の言葉のニュアンスに、妙な騒めきを覚える。
「ボクの子」とだけ言えば、よくないだろうか?
強調するように、マド博士は、「ボクが、造った」と繰り返した。
半ば確信めいた、嫌な予感が陸歩を貫いた。
「イトケウスさんの、母親は……?」
「いないよ。親はこのボクだけ」
「まさか」
「数種のヒトと、幻獣の細胞を触媒に、魔術的に産み出した、ボクの最高傑作――それが、イトケウス。人造の天使」
「そ、」
それは禁忌ではないのか。
思わず陸歩は叫びそうになるが。
とっさに自制する。
――落ち着け。相手の背景も知らずに糾弾するのは不躾だ。
処が異なれば、文化が違えば、道徳もまた別になり得るもの。
『この』倫理観は、クローンすら忌避される自分の世界の感覚。
こちらの世界、この大陸、あるいは魔術業界では、単に研究の一ジャンルでしかないのかもしれない……そう、無理やり思い直す。
現に、聞いているはずの看守は身じろぎもしないのだ。
「……その、博士ご謹製の天使さんは、今どこに?」
「分からない。もう何年も前に旅へ出して、消息は知らないんだ」
「最高傑作の居場所も分からない?」
「放っておいても、いずれはあの子の名が轟いてくるだろうからね」
無邪気としか言いようのない態度の博士に、何とも言えないモヤモヤが湧く陸歩ではあるが。
感情は脇へ押しやって。
「それは、どういう?」
「勲を立てるよう言ってある。
あの子の使命はあちこちの大陸、各地で、偉業と呼ぶべき行いを成し遂げることなんだ。
人を救い、人を導き、人から憧憬を集め、人に愛されるために」
「ご立派な目標で」
皮肉のつもりだったけれど。
マド博士は、然り、と頷く。
「あぁ。立派でなくては。
立派でなくては、神様に相応しくない」
「……神?」
「そう。ボクはね、イトケウスを神様にしたいんだ」
やっぱりこの男はとんでもない冒涜者かもしれない。
「ボクの家系はね、曽祖父の代からずっと、神格について研究してきた。
知ってるかい? 神の大半は生まれながらに神であったのではなく、生涯のうちに神格を得て、後天的に神の座へ昇ったんだ。
ボクはそのプロセスを、現代で再現したい。
イトケウスを、新たな神様にしたいんだ」
「……そんなこと……可能なんですか?」
「可能だとも! 理論的には可能なんだ!
必要なだけの信仰と尊敬を集めることができたなら、その者は神にならざるを得ないと言ってもいい!
これはこの世界というシステム、法則、仕組みを検めれば、疑いようもないことなんだ!
だから、あとは、あの子には、突破すべき試練だけあればいいっ」
「なるほど」
聞いている分には如何にも誇大妄想だが、それはいい。
神に唾する行為なのではないか、と懸念も浮かぶが、それもいい。
とにかく、陸歩にとっての収穫は。
イトケウスというのが人造天使の名であり。
諸大陸を漫遊していて。
目下、行方が分からないということだ。
名誉を求めて旅しているらしいから、巷の噂を手掛かりに探し出すしかないだろうか。
陸歩がそんな風に考えたとき。
「っ、」
かっと、胸に熱を感じる。
突然身体をくの字にした彼に、マド博士も驚いていた。
燃えるようだ。痺れるようだ。それはユノハに刻まれた印から伝わってくる衝動で。
ほどなく収まる。
「だ、大丈夫かい?」
心配そうな博士。
心配そうな看守。
わずかに息を乱しながら、陸歩は頷いた。
何事か。
シャツをめくって確かめる。
そこには。
印はそのまま。
ただ、『イトケウス』の文字がない。
代わりに。
「……『ナルメルク』?」
もしかして。
こうやって単語をたらい回しにされるんじゃ。
陸歩はうんざりと、天井を仰いだ。




