転 ≪紋様≫
住職は、名前を持たないという。
承院の住職。それだけが、自分を示す全てであるように。
役目を己が存在により強く癒着させるための、おまじないのようなもの、と語った。
この寺院を離れるようなことがあれば、その時点で自らは死ぬべきだし。
住職を譲ることがあれば、その時点で自らが真っ新に、生まれ直すように。
「それで、お客人」
座布団も無しに、床に座った住職は、何か期待を込めた目で問う。
「興味深い印を携えていらしたって?」
「…………」
ここまでの旅で、陸歩はたびたび痛感したものだが、女性は年齢が読みづらい。
この少女は、一体何歳なのだろう。
一見して自分よりも若そうに見える。フェズと同じか、少し上くらいか。
だが口ぶりや、素振り、その眼差しの深度。堂々とした態度。
見た目より、もっとずっと老巧かもしれない。
多少は強硬な姿勢を見せるべきか――陸歩はそう判断する。
「回路神の神託者に、厄介な呪いをかけられた」
「ほう」
「是非にも解呪したいので、ご協力願いたい」
シャツをまくり上げる。
陸歩のがっちりと筋肉のついた胸元、心臓の真上に刻まれた、薄く黄緑に輝く魔方陣。
それを、身を乗り出して眺めながら住職は、再び「ほう」と自分の顎を撫でた。
「はっはぁ。確かに、これは紛れもなく回路神の紋。
我らの神託者というと、ナクトンのユノハかな」
「ナクトン、ってのが何だかは知らないけど」
「奴の生まれ故郷さ。回路神の翼について伝承の残る地だ。
へぇー。あの小僧は息災か」
「あぁ。次に会ったら息の根を止めるつもりだけど」
住職は腹を抱えて笑った。
ジョークでなく、純度100%で言った陸歩は、対照的に体温が下がる気持ちである。
「っていうか、住職。やっぱりあいつと知り合い?」
「うむ、金を貸している。
奴を殺した暁には、ついでに身ぐるみを剥いできておくれ。借金の形にするから」
「…………」
「あぁ、印の話だったな」
おい、と住職が奥へ声をかける。
鏡を持ってきてくれないか、と。
待つ間に陸歩は、住職から服を脱いでおくよう促された。
周りが女性ばかりで、若干気が引けたものの、渋々と従って上半身を裸にする。
「お客人が、何故そんなものを張りつけられたのか……それについて訊ねれば、きっと一筋縄でない物語があるのだろう? ややこしい事情や、我らの神託者との深い因縁がお有りになるに違いないから、そいつは今晩の宴の席に取っておくとして」
「宴?」
「あぁ、うらぶれた寺院で大した持て成しも出来ないが、ぜひ一宿一飯の世話をさせてくれ。
で、だ。
簡潔に申し上げると、それは呪いではない」
何を言い出すかと思えば、この期に及んで言い訳か。
と、陸歩が思うのは無理もない。
この紋様を付けられてこの方、自由を大きく制限されている。
魔女やその仲間、何より原初神を探そうと意思して行動するだけで……神球に胸を貫かれたあの時と同じ、苦しみと呼吸困難がぶり返すのだ。
さぞ霊験あらたか、と思われる真円の姿見が到着する。
住職は弟子から受け取ったそれを、胡坐した脚と両手で支え、陸歩の胸を映して言った。
「その印の、そこ。その部分。それが、鏡文字になっているのは気付いているかな?」
問われ、陸歩はイグナと顔を見合わせて、頷く。
一番最初に気付いたのは彼女だ。
「えぇ。神智文字で、『イトケウス』と読めます。
ただ、その語に該当する名前や地名は、現在のところワタシたちには不明ですが」
「その通り。『イトケウス』には私にも心当たりはないが。
『イトケウス』だ。『イトケウス』が次に君たちの目指すべきものだ。
その印はね、祝福だよ」
「祝福?」
「祈りと言い換えてもいい。
古には回路神御自らもその印を胸に抱き、起承転結を巡ったと聞く。
断言しよう。それはお客人、他でもない貴方の益になる。逆らわず従うがよい。
そうでなければ刻むことのできない印なのだ」
「…………」
考えてみればこの住職も、回路神を仰ぐ人間。
となれば回路神の為すこと、その神託者がすること、全てを頭から肯定しても何ら不思議ではない。
それが宗教というもの。
この人が今、客観的にものを言っているか、それすら甚だ怪しいではないか。
陸歩のその、うっすらとした諦めを、住職は感じ取ったのか。
にっこりと微笑んで。
「もっともな懸念だな」
「……オレ今、声に出してました?」
「いいや。
だが『そう』考えるのが、筋道として正しい。整然とした理路は予測が可能だ。
我々は回路神の子なのでね」
「なるほど」
理詰めはいい。
現代人な循内陸歩は神よりも理論を好むし、そこにこそ説得力を見出す。
俄然、話を聞こうという気になる。
「では、御住職。その理路の次は?」
「お客人の信用を得ることだな。このまま回路神を斜めに見られ、祝福まで疑われていては、当院の沽券にも関わる。
茶室においで。お菓子もあるぞ」
それはそれは。
お手並み拝見。




