結 ≪深手≫
激情の炎が、陸歩の顔を仮面のように覆う。
「ユ、ノハぁっ! てめぇえ!!」
「あー、待った待った。待ってよリクホくん」
「そこぉどきやがれぇ!!」
混沌の刃が、今は緋一色、溶岩さながらにポコポコと粘りのある泡を立てていた。
鈴剣を翻す。
今度はユノハを狙って、明確な殺意をもって。
しかし跳ね上がった神球が立ち塞がり、斬撃はまたしても阻まれた。
「ユノハぁあ!」
「だから待ちなって」
やれやれ、と呆れた風に頭を振る。
「いいかい、リクホくん、これはね、」
神球が、二玉に別れた。
一方は陸歩の剣を受け止めたまま、もう一方は主の頬の傍まで跳ねる。
まさにそこへ撃ちこまれてくる、フランベルジュ。
その波打つ刃もまた神球が防ぎ、ユノハは心底から面倒くさそうな顔をする。
対して羅刹の笑みは深く、深く、それを裂けていると表現したとしても外れていない。
「いるじゃねぇか、いるんじゃねぇかよぉ魔女殿ぉ、面白そうなのがよぉっ!」
「あたしが呼んだんじゃないんだけどぉ。
何しに来たのユノハくん?」
「何しにじゃないよ、まったく……いったいどういうつもりで、」
アインは鍵で偽神の神威を解放し、背にセピアの翼を広げた。
陸歩も怒りに任せ、極光の羽根に権能の紫電を漲らせる。
それらにユノハは、今度ははっきりと言葉にして「めんどくさいことに……」とため息をついた。
吹き荒ぶ殺気と闘気。
その中では、さすがに眠っていられなかったのか。
原初神が眩しがるように寝顔に皺を寄せたかと思えば、薄く、目を、
ちっ、とユノハが舌を打つ。
ぱっとユノハは右手で指揮する。
神球がまたも分かれ、一際巨大なそれは、卵のように魔女と原初神を包み込んだ。
ぱちん、とユノハの指が鳴る。
それを合図に、魔女と原初神を含んだまま、一瞬で点になるまで収縮した神球は。
最後に輝きを残して消失。
後には二人の女の影すら残っておらず、一体何処へ去ったのか。
ひとまずはこれで……とユノハが息を吐く暇もない。
周囲の森の、木々が次々に、灰燼へと帰していく。
迸る紫電。
本当に、魔女は面倒を起こしてくれた。
「やれやれ……問題はこっちか」
もはや我も言葉も忘れたか。
仁王立つ陸歩は前傾。
背に負う神威の翼は威嚇するように広く高く立つ。
表情を覆う火炎は、赤さが過ぎて黒く染まり、牙持つ獣のシルエットを描く。
右手に携えた鈴剣。その柄の周囲には極光の光輪が巻き付き、その刃は持ち主の心を映して今また形を変えた。
鋸……否、それは翼。
三本目の翼を、振り上げる。
鈴の音を伴った翼刃の、斬撃。
神球がユノハを包み上げる。
神威同士の激突に、地は叫び、天が戦慄き、春空にはあっという間に叢雲が立ち込めた。
「――聞きな、リクホくん。事情は説明できないんだけど、これは君のためでもあって、」
咆哮が返ってくる。
元より期待などしていないが、説得は不可能か。
ユノハは鼻を鳴らした。
更地と化していく周囲。
その中で、一本の剣が天を衝いた。
聳えるほどの大剣が、空の裂け目から降りてくる。アインの塔剣。
「俺も――」
振り下ろされる刃は天災の類。
「――交ぜろや!」
神球に深々と塔剣が食い込む。
ユノハは不快に顔を歪めた。
この防壁には回路神の権能が幾重にも織り込まれ、突破には『手順』を強いる。
あれをして、これをして、それをして。
相手には明示されない条件を正しい順序で全てこなしてからでなくては、傷一つ付けることは適わない。
そういう絶対防御であるはずなのに。
あの塔剣。
あの刃。
あの紫か。
破魔か退魔か知らないが、ヒトの及ばないものに対する、毒を持っている。
両断こそされないものの、手順の第何層までかが壊されてしまった。
陸歩の剣もよろしくない。
あれがいま帯びるのは、多きを滅する権能。
その作用する先は森の木のように実体あるものに留まらず、多重の『手順』まで食い破り始めている。
鎧を徐々に削ぎ落とされる中、ユノハは暗い覚悟を決める。
荒ぶる火竜を二匹、大人しくさせようと思ったならば、腕の一本や二本は捥ぐに止む無し。
両手に指鉄砲を作った。
人差し指の先、小さな神球が灯る。
「お、おぉお、おぉおぉ!」
陸歩の左手が防壁を叩いた。
斬りつけている剣がそれ以上進まない苛立ちからか、あまりみっともよくない――ユノハは、迂闊にも、そんな呑気を思う。
鈴剣の刃は今、確かに目を引く形だから、それも無理はないかもしれないが。
本当に注意を割いておくべきだったのは、陸歩がもう一方の手に、握っているもの。
防壁を叩いた。
防壁の致命的なところにまで、罅が入った。
「なにっ、」
そこでようやく気付く。
陸歩の指の中で、光り輝くものに。
錠前だ。
「ユノハぁあああぁああっ!」
「っ、」
左の拳が、振り上げられる。
ユノハは半ば、恐怖にかられて両手の神球を放った。
防壁へ錠前が打ち据えられる。
衝撃の多重奏。
「うぁ、っ!」
「キアシアさん!」
見守るばかりだった少女たちは、爆炎のように吹き上がった土煙に、一塊となってその場に伏せる。
抑えを無くし、二振りの剣が大地を抉ったのだ。
やがて、灰色の霧が晴れる頃。
一つの人影が、膝をつく。
「い……ったぁ……」
ユノハだ。
左腕を根元から失い、右の肩から胸にかけてざっくりと刀傷が刻まれている。
苦痛はいかほどか、男らしからぬ美貌が今は白く青ざめ、飛び散った鮮血で汚れ、見る影もない。
もう一人。膝をついた。
「かっはぁ!」
陸歩だ。
翼は消え、炎も掻き消え、剣すら取り落とし、苦しげに心臓の辺りを押さえていた。
喉は必死で何かを吐こうとしているものの、空咳ばかりが繰り返され――やがて彼は意識を失い、その場に倒れる。
唯一、アインだけが第二撃を持ち上げようとしていた。
その頬から耳へ、一本の銃創が駆け抜けており、ユノハは憎々しげに睨む。こっちは避けやがったのか、と。
大きく、息をするユノハ。
途端に彼の態度から、傷も流血もそのままに、苦痛だけがなくなり、けろりといつもの調子で問いかけた。
「君ってさ、命乞いは聞くタイプ?」
「聞いたことはあるが、今のところ全員、女だったな」
「ありゃりゃ、僕と同じか」
仕方ない、と残った腕を広げる。
受け入れると言わんばかり。
その潔さは悪くは無いものの、アインには退屈だ。
若干の不満を覗かせながら、塔剣がギロチンのように落ちる。
頭の天辺から両断されたユノハ。
ぱったりと、骸が左右に倒れた。
……その断面から出てくるのは、カゲロウの翅を持った人魂である。
神球がそれをすっぽりと覆うと、どこかへ飛び去っていくではないか。
「多芸なこって」
手も出さずに見送って、アインは呟く。
追い打ちを必要に思うほど、ユノハに恨みもなければ魅力もない。
それよりも。
「おーい、リクホ? おーい?」
昏睡のまま、滝のように汗を流す陸歩。
傍にしゃがみ込み、首筋に指を当ててみれば、脈も呼吸もずいぶん早い。
イグナとキアシアが血相を変えて走ってくる。




