転 ≪混沌≫
原初神の胸元が、寝息に合わせて上下する。
微風が冷たかったのか、両手を膝の間に挟んだ。
裸足の裏に土が付いているのは、きっとこの森をはしゃぎ回ったからで、遊び疲れて眠ってしまったのだろう。
原初神が。
ナユねぇが。
「……訊きたいことが山ほどある」
静かに、陸歩は静かに、押し殺した声で言った。
しかしそこに含まれる業火のような感情は、向けられた魔女はもちろん、周囲の仲間たちにも熱となって知れる。
握りしめた両の拳は、理性が必死に軽挙妄動を抑えている証拠。
握りすぎて裂けた掌から滴った血が、地面に落ちて焦げを作り、黒い煙を上げている。
魔女は、対して、昼下がりの寛ぎを崩さない。
春風と、揺れる木の葉の香りを楽しむ素振りのままだ。
「えぇ。あたしも貴方に訊きたいことがあるの」
陸歩が何か言葉を返そうと、口を開いた時。
目の高さをアインの、鞘を着たままのフランベルジュが図々しく遮る。
「…………おい」
「まぁまぁまぁまぁ待て待て、待てよリクホ。
どうせお前らの話はややこしいし、長くなるだろ?
俺に先を譲ってくれな」
「あのなぁ、」
「いいじゃねぇか、ここまで来れたのも俺の協力あってだろぉ? その報酬だと思ってさ、すぐ済むから。
――おい、魔女殿!」
「なにかしらぁ」
横槍にすっかり興が覚めた、と言いたげに魔女は肩を竦めた。
羅刹はそんな態度を意にも介さない。
「あんたの子飼いどもはどこだよ? 一人くらい連れて来てんだろ? フェズでもカナでもいいよ」
「残念だけど、ここはあたしと原初神様のプライベートな空間なの。
それに、皆はそれぞれ仕事中」
「……じゃあ、何か? 今のあんたには護衛もいないってのか?
大切な貴賓ってーのも膝でスヤスヤさせてんのに?」
「そんな物々しいものが傍にいたら、彼と話すのに邪魔でしょう」
「…………」
がっくり、とアインは大袈裟に頭と肩を落とす。
「そりゃねーだろ……俺がどれだけ楽しみに……くそっ」
「なんならあたしの首でも狙ってみる?」
聞き捨てならない問いに、陸歩の方が反応する。
それを真に受けたアインが、ここで魔女に手を出すようなら、それは獲物の横取りも同じ。
もしフランベルジュの刀身が陽気を反射することがあれば。
だがそれも杞憂で、羅刹は落胆したまま弱々しく下がった。
「いや……いいや。もう米の口になってるときに、麺食う気はしない」
そのまま手近な、気に入った樹の根元にどっかりと座り込み、どころかごろんと寝転がった。
「俺もういいや」などと宣う。
水を差すだけ差して、そのふてぶてしさに、陸歩の熱量が増大するが。
とにかく。
「――どう? この街は」
質問するより前に質問を浴びせられた陸歩は、口を円にしたままぴたりと止まる。
魔女に機先を制されてしまった。
「頑張って創ったのよぉ。
でも正解を知ってる人がいなくってぇ。
ねぇ。よく出来てる?」
「…………。
あぁ、悪趣味なほど、見事なもんだよ」
返事がお気に召したのか、覗く魔女の白い歯。
赤く紅を引いた唇の隙間から、犬歯の鋭さが光り、ぞっとするほど蠱惑的である。
蛇が嗤ったみたいだ、と陸歩は思った。
そしてその連想をすぐに自分で打ち消す。
リャルカ・エナムガを思い出したため。彼が笑ってもこんな風にはならないだろうから。
この女は、どんな比喩よりももっと邪悪な何か。
「疑問なのは、これをどうやって創ったのかってことだ」
「別に、それほど難しくはないわぁ。まずは適当にダンジョンを生み出して、中をせっせと改築、」
「違う、そうじゃないっ」
絶対に分かっていて、わざと回答をずらしている。
腹芸に付き合わない意思を、鈴剣に手をかけて示す陸歩。
その反応を可愛がるように深く笑んだ魔女は、人差し指を立てた。
女らしく長い爪でちょいちょいと、触れるか触れないか、優しく原初神のこめかみを突く。
「もう察してるのかしらね? 設計図は、ここよ」
「やっぱり、その人は――っ!」
そのとき、確信を抱いたのは陸歩ばかりではない。
魔女の側も、また。
「あっそ。やっぱり貴方、原初神様と同じところから来たのね」
「っ!!」
鈴剣が鞘より放たれる。
その刀身は燃え盛る炎、猛る雷、うねる濁流、礼賛の光、底無しの闇、あらゆる混沌なるものを纏っていた。
彼の心中を正確に写し取って。
だがその刃が斬撃を描くことはない。
魔女の爪に、力がこもったからだ。
その先で、未だ眠り続ける原初神のこめかみに、ぽっかりと穴が開いた。
それは鍵穴で、爪は鍵の歯に形を変えて、いつでも挿してしまえる格好に。
どういう意味があるのかは分からない。
ただし意図だけはよく分かる。
陸歩は鬼の形相で、石のように動きを止めた。
いい子ね、と魔女は高い声で言う。
「ねぇ、提案なのだけど、ジュンナイリクホくん、あたしたち手を組まない?
故郷が恋しいでしょう。あたしなら君を元の世界に帰してあげることだって、」
「ふざけるなっ! なに企んでるか知らねぇが、あんたがナユねぇから引っ張り出そうとしてる設計図はこの街のだけじゃねぇだろ!」
図星か。
魔女はにんまりと笑みを深める。
原初神が、
「ん……」
原初神が寝返りを打った。
こめかみの例の箇所が痒いのか、手をやって、鍵穴が一瞬隠れる。
陸歩は軛を解かれたも同然だ。
一閃。
「――困るんだよなぁ、魔女」
魔女の首へ正確に撃ちこまれた太刀。
しかしそれを、受け止める者、あり。
刃を阻むのは、回転ごとに色を変える神球だ。
「この二人はまだ会わせるなと、言ったのに」
なぜこいつがここに。
陸歩は目を剥いた。
「お前っ!」
カゲロウの翅を背に、回路神の神託者が、そこにいる。




