結 ≪再開≫
キン、と澄んだ音が響き渡る。
「――言うまでもないことですが、」
対比のように低い声で、カナが言った。
フェズを背中に庇いながら彼が、片膝立ちで、剣のように構えているのはハンドベルだ。
陸歩は眉をひそめる。
「貴方を僕たちの城へ招く気は、ありませんよ」
止まっている。
この場の全てが、停止している。
イグナも、キアシアも、フェズも、長老も。一瞬前の姿勢のまま、呼吸も瞬きもせず、石像のように固まっている。
「この篭手も、絶対に渡しません」
どころか、空間のありとあらゆるもの――空間そのものが。
ぴたりと止まっている。
「……時間を止めた?」
「そもそも何の用があるというのです?」
カナは陸歩の問いをあえて無視し、質問を被せた。
「身体創造の神器を取り戻しに? それについての交渉は済んだはず。
あるいは回路神の神託者を探しているのなら、彼はもうとっくに、」
「ユノハ? お前らのところにいるのか?」
失言だったか、とカナは口を噤んだ。
ここでユノハの存在が持ち出されたことに、陸歩は目を眇める。
確かに、トレミダムで別れて以来、ユノハの消息は知らない。
ダンブリールにはついに現れず、このビックキップへも彼抜きで訪れた。
ユノハの単独行動はこれまでにも何度もあったことだ。今回もそれだろうと深く考えなかったし……仮に今生の別れとなったとしても、陸歩たちにとってあの男は友達でもなければ仲間でもない。
だが、魔女一派に接触していたとは。
いま陸歩の中で、ユノハの立ち位置は、敵側へ寄った。
カナは逡巡を見せてから。
「……数日ほど、僕らの下に滞在していきました。その間で魔女様と何らかの意見の交換があった様子ですが。すでに出発し、行き先は知りません」
「へぇ?」
「断っておきますが。彼のほうから押しかけてきたのであって、我々が呼び寄せたのではありませんからね」
「…………。うん。
まぁ、今は、それはいいや」
ユノハの動向をあっさりと保留にする陸歩は、カナには予想外だ。
では目的は何か、と改めて視線で訊ねると。
「用事は、お前らが呼び寄せたほうの女性に、あるんだよ」
燃える陸歩の瞳。
カナは束の間、彼の意図するところが分からない。
だがすぐに思い至る。
「原初神様……?」
「それだ。オレは、その人に会いたい」
「なぜ……?」
を、カナは飲み込む。代わりに。
「……いえ。どんな理由だろうと、それは出来ません。させられません。
あの方は我々の貴賓です。彼女は僕らの崇める神だ。
だけでなく、原初神様に万一のことがあれば……この世界すら、どうなってしまうか。
他所の人間、それも他の神の神託者など、会わせられるわけもない」
「そうかい。
――だとしても。オレにも、確かめなくっちゃならないことがあるんだよ」
一触即発の気配が濃く漂う。
「……その鍵はさ、魔女自身からもらったんだぜ。
なら、あんたらのボスは、許可してるってことじゃねぇの」
「……さて。気まぐれな人ですから、どうでしょうね」
「…………」
「…………」
「……ところで訊きたいんだけど、あんた、時間を止めるのに条件があったりする?」
「は、」
突如。
出入り口の垂れ幕を押しのけて、外から屈強な腕が突っ込まれた。
その手はカナの襟首を掴み、彼をテントから空の下へと引きずり出す。
「なっ」
ほとんど放られたカナはひとたまりもなく、雪の上を転がり、しかし身のこなしですぐさま跳ね起きた。
悠々とテントから出てくる陸歩。
その傍らに立つ、羅刹。
目を剥くカナ。
「あ、アインっ?」
「よーう、カナぁ。いると思ったぜ」
なるほど、と陸歩は思った。
いつの間にか降り出していた雪、その粒がこのテントの周囲だけ、空中で止まっている。範囲の外では世界は正常に進行中。
それと知る者ならば、時間停止の術者の存在に気付くわけだ。
「貴方、なぜ!?」
「あん?」
「なぜここに、なぜジュンナイリクホとっ!」
なぜってお前、とアインは自らの顎を撫でながら。
「別に理由もねーけど。魔女殿に破門されて行くところもなかったからなぁ。
強いて言えば、リクホの道行きには試練が多そうだし、面白そうだし。
それになんてったって――お前らとぶつかれそうだし」
カナは内心で舌を打つ。
よもや、ジュンナイリクホが羅刹を手懐けているとは。
こちらの手の内を、全部ではないにせよ、いくらか知っているアインを、ここで相手にするのは上手くない。戦闘の準備をそれほど整えてきたわけでもないのだ。
何より。これでジュンナイリクホは自分たちのアジトへの到達手段を、既に揃えていることになる。
一方、陸歩にしてみれば、実のところアインは味方と言うわけでもない。
扱いはユノハと完全に同じ。
ダンブリールからこっち、強引に旅にくっついてきたこの男は、信を置くにはとても足りず、今はかろうじて利害が一致しているだけの格好だ。
時間の停止が解けたのか、テントからフェズが顔を出す。
そして彼女もまた、アインの姿に驚嘆を上げた。
「え、アインさん!?」
「フェズ。お前もいたのか」
さっと目配せを交わしたカナとフェズは、それぞれ篭手に刺さる鍵を掴んだ。
あからさまな戦闘態勢に、羅刹は口角を上げる。
だが陸歩が、アインの肩を叩いた。もちろん諫める意味で。
「あの鍵について分かった。アイン、その篭手で握って回せば扉は開く」
「ほう? 気づかなかったな、そういう仕掛けか」
「すぐに行こう」
「うーん。俺はいいが」
アインはカナと、フェズとを順番に、鞘のままのフランベルジュで指した。
「こいつらがそれを、許すかね」
「…………」
陸歩の心中は渋い。
こんなところで油を売っている暇などないというのに。
また、テントの出入り口が捲られる。
イグナだ。
「リクホ様」
「あぁイグナ。キアシアを、」
「リクホ様。長老様がお呼びです。まだ話が終わっていないと」
「…………。何について?」
「はい。『懐の錠前も見せなさい』と仰せです」
「錠前、だって……?」
懐の錠前。
それは、ザナムゥで原初神から受け取ったもので。陸歩は正体が分からないながらも、今も大事に抱えており――だが、この街でもどの街でも人目に触れさせた覚えはない。
それを。どうして。
職人の嗅覚だろうか。
「……アイン、頼むから一旦待っててくれ」
「俺はいいよ。俺はいいがね」
羅刹は、白々しく言う。
「こいつらがね」
陸歩はカナとフェズへ、釘を刺す意図で一瞥ずつやって、テントの中へと戻った。




