承 ≪片付≫
魔女から借りた鍵で、ビックキップへとフェズは飛ぶ。
単身だ。
自分も行く、とカナがあまりにもうるさかったから、隙を見て置いてきた。
レドラムダ以降の彼はどうにも過保護で、その様子を他人に――特に陸歩には――見られることに、フェズは何かとても抵抗があったから。
鴉が教えてくれるには、陸歩たちはノイバウン大陸の雪山にいるそうだ。
鍵師の隠れ里を訪ねているところだという。
常冬の街と聞いていたからあらかじめ重ね着してあり、元の場所だと汗が滲むほど蒸したが。
扉を開けた途端、吹き付ける粉雪まじりの風が、身体を冷まして心地いい。
意外、というべきか。
通りがかるビックキップの民は、誰一人としてこちらへ注意を払って来ない。
普通の街なら扉の樹で訪れる客に対して、注意なり警戒なりが向けられるものなのだが。
「職人の街って感じ」
フェズはぼそりと呟いてそれっきり、相手方がそうであるように、自分も彼らへの興味を切った。
周囲を見回す。
この雪景色の中だ、黒い鳥は探すまでもなく目立つ。近くの針葉樹の枝に鴉が一羽いて、フェズのことをじっと見つめていた。
それに先導されて、雪を蹴立てる少女。
自分がつい駆け足になっていることに、彼女は気付いていない。
すい、と滑空する鴉が、やがて一軒のテントの屋根で止まる。
出入り口の垂れ幕を押して、巨大な箱を抱えた陸歩が出てきた。
「リクホっ!」
「お? フェズ?」
飛び込んだ少女は彼の手から荷物をひったくり、半ば投げるように脇へやって、鉄の両腕で抱き着いた。
「生きてたね! 生きてた!」
「あぁ、まぁな」
それから弾かれたように離れて、陸歩の周りを何度もグルグル。
彼の頭の天辺から爪先まで、納得のいくまで検めて。
「五体満足だね」
「おかげさまで」
「首もちゃんと繋がってるね……?」
「なんで疑問形だよ」
陸歩が苦笑で返すと、フェズはまた抱き着いてきた。
「よかった……本当に……アインさんに殺されちゃうんじゃないかって……あたし……」
「なんとか生き延びたよ」
「あたしのため?」
「ん? んー。約束したしな」
よく懐いた猫のように、胸元へフェズが頬擦りしてくる。
陸歩としてはいささか複雑なのは、この少女が身を案じてくれた理由が理由だからで、けれども本心から心配してくれていたとなると邪険にするのも憚られて……。
引き剥がすタイミングを逸していると。
「おや、フェズさん」
テントからイグナが出てきた。
そういう訳でもないのに、強烈にバツの悪い陸歩は、少女の抱擁を強引に振り払う。
「やっほ、イグナ。あんたも無事だったんだ」
「おかげさまで。
神器修復の進捗報告ですか。今日ですものね。今回も貴女とは」
「あんたたちと差し当たって揉めないで話の出来る人が、うちにはあんまりいないの。
はいこれ」
放られた巻物を、イグナは首から上を一切動かさずにキャッチする。
それを広げる彼女の態度。所作。
イグナは主にも報告内容が見えるように、陸歩の傍らへそっと寄り添う。
思わずフェズは首を傾げた。
「イグナ、あんたさ」
「はい?」
「いや……なんか、変わった?」
「と、言いますと」
何と具体的にフェズは指摘できない。それなりに場数を踏んだ女性なら苦もないことだろうが、まだ若い彼女には。
ただなんとなく、イグナの陸歩へ対する距離というか、柔らかさというか、そういったものが以前より近いというか、深いというか。
イグナ自身もそれは自覚しておらず、しかし陸歩のほうは察している。
ダンブリールで彼女に『手当て』をしてからだ。
その際にきっぱりと宣言された、「ワタシはより完璧でよりリクホ様に相応しい機体になります」と。
以来、彼女は陸歩の一挙手一投足を確かめるように殊更傍にいて、なんともこそばゆい。
すん、とイグナが鼻を鳴らす。
呼吸のいらない身体でのそれは交渉術の一環で、相手への威圧である。
「あまり進展があるようには見えませんが」
「ペースは上げてるよ。あとはひたすら、当たりを引くまでの作業だってさ」
「こちらは貴方がたの仲間二人の心臓を、握っていることをお忘れなく」
「当ったり前でしょ」
ちらりと視線を寄越すイグナに、陸歩は小さく頷いた。
神器の件も重要だが、それよりも今は、フェズに優先して訊ねるべきの事柄がある。
「なぁ、フェズ。こいつ分かるか」
見せるのは鍵だ。
アインが破門されるにあたって、魔女に取り上げられた鍵であり、そのまま陸歩が受け取った鍵である。
そして現状、機能していない鍵。
あ、とフェズが口を半開き。
「え、それ、なんで? アインさんから取ったの?」
「聞いてねぇのか」
「なにを?」
少なくとも魔女は、フェズには何も伝えていないらしい。
根城へのチケットを敵に渡しておいて、仲間へ何の連絡もしない、というのはどういう企みか。
親玉自身が組織を裏切るような真似を何故する?
それとも単なる気まぐれで意図などないのか……。
迷走しかかる己の思考を、陸歩はあえて今は止め、フェズに問う。
「これ、なぜか今、使えねぇんだ。扉の樹のドアノブに挿しても回らない。
なんか、心当たりがあったりしねぇ?」
むしろ何をやらかしたら使えないなんてことが有り得るのか。
そう言わんばかりにいぶかしげに、フェズが首を横に振る。
アインも似たような反応だったから、無理はないか。
陸歩の袖をイグナが引っ張った。
言われずとも、彼も従者と同じところをちょうど考えている。
すなわち、今ここでフェズが持っているであろう鍵を、取り上げてしまえば。
しかし。
相手は年端もいかない女の子だ。
そりゃあ、一度は命のやり取りをしたし、いつか決着をつける約束もしているけれど。
陸歩は思う。
羅刹に仕掛けたのと同じ展開を彼女にも、というのは、さすがにどうなのか。
テントから呼ぶ声が響いた。
「おぉい、掃除は終わりかい」
仮面越しのくぐもった、老人の声だ。
そうだ、と陸歩とイグナは思い出す。片付け代行の真っ最中だった。
今回の依頼人は誰あろうビックキップの長老様。粗相があってはいけないのに。
「あ、すんません! ただいま、」
「あー、ええよええよ。休憩にしぃ。
ほれ、戻ってきて、鍵、見してみぃ」
一瞬、呼吸すら止まる。
硬直が解けると、陸歩はたちまちテントへ飛び込んで。
「あ、あの! 今なんて!?」
「鍵。見してみぃ」
背中がすっかり曲がってフェズより小柄な長老が、皺だらけの手を差し出している。




