起 ≪手記≫
手記No.29:『鍵師の隠れ里』ビックキップ
――琴の月/裏鼻の曜――
ノイバウン大陸には、山頂部を雪と針葉樹で覆われた霊峰がある。
一年を通して溶けることのない氷の世界だ。
その中心にありながら、極寒にも凍結せずに流れ続ける一筋の川。
これを辿ると、行きつく源泉は扉の樹の根元にあり、ここがビックキップ。
この街には、鍵師の一族が住む。
都市、というほどの規模ではない。せいぜいが集落だ。
川のほとりにテント状の住居が三々五々。
住民は全員が厚着の上に引きずるほどのローブを羽織り、フードを目深に被って、仮面で素顔を隠している。
どうやら亜人らしいが、その氏を知る者は他所には誰もおらず、またビックキップの人たちに訊ねても答えてくれない。
なんとも謎めいた一族。
『鍵師』と呼ばれるのはこの人たちが、扉の樹の鍵に装飾を施すことを生業としているからだ。
紋様を彫り込んだり、キーホルダーを付けてくれたり。
これがまた、精巧かつ繊細な仕事で、実に見事。そもそも鍵は高価だが、ビックキップの加工を経たものは市場価格が十倍以上になるという。
だが彼らの真髄はその程度ではない。
この地に住まう一族には、扉の樹について、神より賜った特別な知識が伝来している。
……という、噂だ。
あくまで噂。
でも、信憑性のある噂。
そもそも普通なら、鍵に手を加えるなんて、出来る芸当ではないんだ。
鍵は下手な刃じゃ歯が立たないほど頑丈だ。
だけでなく、ほんのわずかな出っ張りを削り落としただけでも、使えなくなることがある。
扉の樹については、千年を経た今でも、判明したことより不明なことの方が多い。
ビックキップの人々はそれを自在にしている。
特殊な道具を持ち、客のどんな要望にも完璧に答え、かつ鍵の神秘を損なうようなヘマは絶対にしないそうだ。
少なくとも、鍵について訊ねるのに、この街以上はない。
……ダンブリールで魔女から受け取った鍵。
これを扉の樹に挿してみたところ……ノブが回らなかった。
どういうことか。
元の持ち主であるアインを問い詰めるも、奴も分からないらしい。「最後に使った時は確かに使えた」と言うばかりで、それ以上の返答はついに得られなかった。
魔女に何らかの細工をされたか。
それとも――可能性は低い気がするが――外的要因による不具合か。
何にせよ、この鍵は今のところ一番の手掛かりに違いないんだ。
調べられる知恵と技術を持つ人を求めて、オレたちはビックキップへやってきた。
多少は雪中を、街を探して彷徨う羽目になったが。
どうもオレたちは雪とは相性がよさそう、という新たな発見をした。
オレの炎で寒さは凌げる。
太陽が出さえすれば、雪に日光が反射して、オレとイグナのエネルギー効率が抜群に上がった。
溶かせば無限に水が手に入るのも素晴らしい。
イグナのワスプを用いれば、遭難の心配もないしな。
そうして見つけたビックキップ。
まず驚いたのは、街の大きさかな。
もう言ったけど、ほんの集落くらいの規模。
ここにしかない技術があるのだから、もっと派手に栄えていてもいいのに。
――というのが第一の感想だったが。理由はすぐに分かった。
ビックキップの鍵師たちは、仕事を選ぶ。
納期も気まぐれ。
完全に芸術家気質で、インスピレーションの赴くほうへしか動かない。
市場価値十倍は、このせいでビックキップ加工鍵が稀少なためか。
ちなみに、『隠れ里』と称されるのは、街の人の風貌が隠者みたいだからってだけ。
実際には彼らは隠れてなんかおらず――まぁ態度は完全に世捨て人のそれだけども――街も秘匿されたりしていない。
訪ねるには険しい道を通らなくてはならないが、決して閉ざされてはいなかった。
あと、ここの人たちは自炊しない。自炊って文化がない。
毎食が扉の樹で他所の街に行って食べるか、出前を取るか。
なのでキアシアの来訪はとても歓迎された。
さらに、ここの人たちは掃除をしない。掃除って文化がない。
一応「家の外に個人のものを置いておいてはいけない」と定められているらしく、街の景観は辛うじてって感じだけど。
各々の自宅は、まるで物置で、どこで寝てどこで仕事してどこで生活してるんだ?
せめてゴミくらいまとめて捨てろよ……。
なのでオレとイグナは片付け代行を買って出た。
これもまた歓迎を受け、街の人から真新しいテントセットを頂戴した。ビックキップの好きなところに張って、好きなだけ滞在していいってさ。
ついでにここには鍵師以外の職業人が存在しない。
だから、裏を返せば住民の数だけ仕事の依頼が出来るんだけど。
はてさて。
オレの鍵を診て、アドバイスをくれる鍵師がいるか。
ちなみに現在のところ、そういう人は見つかっていない。
片っ端から頼んではみているけれど、誰も彼も「もっと適任がいるから他を探せ」と言うばかり。
炊事も掃除もしてるのに……。
金銭になびく人らでもないだろうしなぁ。
どうしたものか。




