序:起 ≪手記≫
手記No.8:『億法都市』ヴェルメノワ
―― 印の月 / 裏目の曜 ――
カシュカ大陸南部。
気候は一年を通して温暖。
総面積は約三十五キロメートルで、杉並区と同程度とのこと。東京で例えられてもピンとこない。
『扉の樹』の樹齢は466年を数える、歴史ある街だ。
風景について特筆すべきは建物。
その全てが下から石材、木、煉瓦の繰り返しで出来ている。
家も、塔も、神殿でも、どんなに高い建物でもそう。
ファンタジックな景色はこれまでにもいくつか目の当たりにしてきたが、この街全体へ渡るボーダーには息を呑んだとも。
夕暮れの中でなど、特に。
『億法都市』との通り名のくせに、このヴェルメノワに敷かれた法令は、億どころか二億でも利かない。
ここの人々が最も重視するのは『正則』なのだという。合言葉は平穏、作法、品格、調和。
それを乱す者は罰を免れない、というわけだ。
ペンの持ち方、靴紐の長さ、歩く場所にまで厳格なルールがある。
魔法文化は低、カラクリ文化も低。
それはつまり、ヒトがありのままで生活できる穏やかな環境と言えるのだけど。
この街からの学術的収穫は薄そうである。
用が済んだらさっさと次へ行くとしよう。
高名なのは『百腕天秤』。
なんとこれ、共鳴神ナルナジェフが賜わした神器なのだとか。
全ての悪事を白日にさらし、完全公正に裁く力があるのだそうだ。
実物を見物させてもらったが、冗談のようにデカかった。
四畳半の天秤皿が、百の腕それぞれに一つずつ下がっていて……それらを中央で支える柱のスケール、想像つくだろうか?
神威を示すような黄金色が美しかった。
名物は、ある植物の丸っこいデンプン質の地下茎を、スライスして油で揚げたもので、要するにポテトチップである。
それを塩だけでなく、バリエーションに富んだソースで食す。
中でも鴨肉と合わせて頂くのが絶品だそうだが。
残念なことにオレはまだ口にしていない。
だってオレ、この街について二時間もしてないのに、牢屋にいるんだもん。