転:序 ≪重量≫
一挙手。
一投足。
ただそれだけで地が揺れ、ひび割れがどこまでも走る。
アインヴァッフェ・イリュー。
彼一人の動作の一つ一つが、今、大山の鳴動に等しかった。
イグナの目が測定し、陸歩へ提示する、アインの現重量。
そこには数千トンという、身長193センチの男からは有り得ない値が算出されており、イグナの電脳は思わず赤い文字を添える。
そんな男が、変わらぬ速度で迫ってくるのだ。
そんな男が、剣を力任せに振り回してくるのだ。
「リクホ様っ、警告――」
「ぐあっ!」
打ち合うことも出来ない。受け太刀すらも。
陸歩の身には炎熱の異能と共に、無双の剛力が宿っている。
巨大な家畜を背負ったこともあるし、岩を片手で砕いたことだって、船を引っ張ったことさえ。
だというのに。
アインから閃く波型の斬撃を、辛くも鈴剣で受け止めるたび、陸歩は足の裏で轍を作りながらどこまでも地面を滑るのだ。
――完全に、
「追撃、リクホ様、来ますっ」
――押し負けてるっ!
もはや防御は悪手でしかない。
意識を回避へ切り替えた陸歩は、どうしようもない攻撃のみを鈴剣で捌く。
鍔迫り合い、なんて意地ももう張らない。刃が触れ合ったら、むしろアインの剣に乗ずるように、風にそよぐ柳のように、イグナが計測し導いてくれる通りに自ら跳ぶ。
こうして健気に衝撃を和らげていなければ、鈴剣か、イグナか、あるいは陸歩自身がバラバラになってしまいそうだ。
豪腕。
アインの剣は、まさに豪腕。
なんたる力技。
剣筋自体は、いっそ単調だ。速すぎるわけでも、何らか妙手が織り込まれているわけでもない。
だというのに、防御が出来ない。意味を成さない。
力技による防御不可。
「このっ、」
鎧の脚部・肩部ブースターを轟かせ、陸歩はアインの後ろを取った。
振り下ろした鈴剣は、羅刹の背中へ食い込む。
……それ以上、刃が進まなかった。
簡素なシャツを羽織るのみの肉体に、陸歩の剣は阻まれ、骨までも届かない。
硬い、のとは質が異なる。
重い――これは、重いのだ。
アインは今、重い。
「……わかったろ」
低く、アインが呟く。
陸歩は間合いを取ろうと、下がろうと、抜けない、鈴剣が、アインを斬りつけた刃が、傷口にがっちりと咥えこまれて抜けない。
羅刹の血が滴る。
「お前のその剣じゃ、俺は斬れねぇよ」
ぱっと鈴剣が離された。
瞬間、アインの蹴りが突き刺さる。
イグナが電磁シールドを三重に張り巡らせるも虚しく、陸歩たちはもう何度目かも分からないが、吹き飛ばされて荒野を身体で抉った。
「こ、れが……」
這いつくばり、耳にイグナのアラートを聞きながら、陸歩は吐くように言う。
「重量自在の剣術……ってやつか……」
陸歩とて剣士だ、師匠から習っている。
曰く――武の極み、その一端は、自らの体重の扱いにこそ、あり。
攻撃の威力は、乱暴に言ってしまえば、剣にどれだけ自身の重量を乗せられるかで決まる。
剣士たちが型や構えの稽古に心血を注ぐのも、刃に重さを伝える術を習得するために他ならない。
達人ともなれば得物に体重の全てを預け、本人は空気に座ることすら出来るという。
刀身の重さは、数百グラムから、数キログラムがせいぜい。そこへ剣士の数十キロが加算されたうえで弾き出される斬撃の威力は、鎧すら容易く両断する。
そしてそれをこそ主眼とした剣術の存在。
北方発祥という、世界に重量を誤認識させる剣技。
本来はどこにも存在していない重さを、刀身に宿らしめる、剛剣の中でも特筆すべき剛の道。
だとしても。
アインのあれは、どう考えても辻褄が合わない。剣術の域をはるかに超えている。
ただ立っているだけで滲みだす圧力。存在感。
「…………さっきの、あの、鍵、か」
ぜぃぜぃとした呼吸に紛らせ、陸歩はぼそりと呟く。
しかしそれを、アインは聞きつけたようだ。聴勁というやつかもしれない。
「沽券のために言っとくがよ。ドーピングってわけじゃないんだぜ」
言って、左腕にはめた篭手の掌を見せる。
鍵穴が深い。
手の中心に穿たれ、しかしそこから肌が露出するでもなく、ひたすらに昏い虚無を湛える鍵穴。
その深淵は、いったいどこへ繋がっているのか。
「元から俺にあったもんを、魔女さんに鍵の形に封じてもらったんだ。
こうでもしねぇと、他の連中と間尺が違い過ぎるからなぁ俺ぁ」
「……っつーことは、あんた今、本気じゃねぇってことかよ」
ゆらり、と立ち上がった陸歩。
彼の表情は兜に隠れて明らかではない。
だがアインは声音と、立ち昇る剣気から、陸歩の腹のうちを正確に読み取った。
ほう、と羅刹が口をすぼめる。
そして、淡い喜びに、本心から微笑んだ。
陸歩はアインが全力でなかったこと、まだ上限を隠していることに、戦慄……など、一切していない。
憤っているのだ。
手を抜かれていることに。それでも歯が立っていると言い難い自分自身の体たらくに。
彼は深く怒り、肩を震わせている。
稀なことだ。
アインは嬉しかった。
剣の道を行かん者に限っても、陸歩のそれは、そうそうお目に掛かれる気概でない。
口で言うよりも、不屈はよっぽど難しいのだ。
敵の強大さを目の当たりにして、なお膝の折れない者は少ない。
こういう者をこそ、真の意味で『難敵』と、そう呼ぶべき。
「うん、うん。俺はお前を尊ぶぞ、リクホ」
「そんな余裕……ここまでにしてやる」
大きく脚を開き、陸歩はどっしりと重心を落とす。
剣握る左手を、顔のすぐ右へ。切っ先で真っ直ぐアインを指す。右手は柄尻を包むように。
彼の周囲で、地面から水がこんこんと湧き上がり、逆巻き始めた。
斬る。
師匠の剣で。循内陸歩の剣で。
鈴剣の刀身が、すぅっと透き通っていく。
――今この時、陸歩の心はかつて垣間見た境地に、再び踏み込もうとしていた。
フェズとの死闘の最中、ほんの束の間、辿り着いた極意の一端。
一刀の下に、あらゆる敵を退ける。
それは特定の流派ではなく、あらゆる剣の道が目指す、至高の一閃。
秘剣『二の打ち要らず』。
かの絶技を、今再び、ここに。




