起:破 ≪剣気≫
扉を抜けた先は。
鍵を間違えたのかと思った。
赤土の荒野でない。
そこは、円形闘技場の内側だ。
「――っ」
陸歩は呼吸も忘れた。
客席から、無数の瞳が見下ろしている。
詰めかけた群衆。彼らは――女もいる――年齢も人種もバラバラだが、全員がその格好や装備から、剣士と分かった。
今まさに、二人の剣士が死闘を繰り広げている真っ最中だ。
片や長剣。片や双剣。
血を零し、裂帛を上げ、己が刃へ培った技能の粋を通伝させてぶつけ合う。
「これは、」
陸歩とイグナが立ち尽くすのと、ちょうど反対側で、剣闘を見守る者、あり。
アインヴァッフェ。
彼は抜き身の愛刀フランベルジュを地面に突き刺して、それに手を置き、じっと闘争の行く末を眺めている。
その様子は、どこか寛いでいるようでもあり、たっぷりと感慨に耽るようでもあり……少なくとも殺し合いを見物する、真っ当な態度とは言い難い。
ふと、アインが陸歩たちの参上に気が付いた。
ふ、と微笑んだ彼は、おもむろにフランベルジュを引き抜く。
血を払うときの所作で、剣を一振りしたアイン。
夢は、それで醒めた。
「あ、」
コロシアムなどどこにもない。
そこはザナムゥの荒野だ。
ごった返した群衆、決闘を演じる二人の剣士も、影すらない。
蜃気楼だったのか。狐に化かされたのか。
「……イグナ、今の」
「はい。ワタシにも、はっきりと」
幻覚の正体は、剣気だ。
ここへ来る前に、陸歩も師匠と道場で行った、剣術の精神修養。
互いの剣気は交流させることで、頭に浮かぶイメージは統一されていく。同じ景色を見る。
あの男は。アインヴァッフェは。それを、こんなにも濃く。
何の準備も心構えもない陸歩たちに、伝えるほどに。
まるで侵すような剣気ではないか。
「よう」
と、アインは気さくに手を上げた。
その長身の影から、小柄が飛び出してくる。
「リクホ!」
「フェズ?」
フェズだ。
十歳程度の彼女。その姿に、陸歩はほっと安堵する。
弾むように駆けてくるフェズ。
そのままの勢いで、じゃれつくように肩からぶつかってきた。
「リークホ!」
「よ、っと。元気そうだな」
「まぁね。
はぁい、イグナ」
「こんにちは。義肢、新調されましたね」
指摘され、フェズは見せびらかすように大袈裟に、その場でクルリと回ってみせた。
鉄で組み立てられた、ボール関節の手足。
肉体とは似ても似つかないカラクリ、それもまたメディオの作品だろうか。
少女がぶら下げるには相変わらず物々しいけれど、少なくとも年齢を捻じ曲げる機能はなさそうで、そこだけは前回のものより評価できる。
――などと感想を述べた陸歩に、フェズはぷくっと頬っぺたを膨らませた。
「そんなことより! リクホ、どういうつもり!?」
「なにが?」
「あんたの首は! あたしのでしょ! 誰にもやらないって、リクホが言ったんじゃん!」
「今でもそのつもりだけど」
「だったら何でアインさんと決闘なんて話になってるかなぁ!」
あぁ、言いたいことが何となくわかった。陸歩は息を吐く。
イグナも当然察したようで、少し棘を含ませた声で訊ねた。
「つまり、フェズさんは、リクホ様はアインヴァッフェ・イリューに敵わないと、仰っている」
「無理だと思う」
貶すでも揶揄うでもなく、フェズは不安げな表情すら浮かべて言う。
「だって、あの人は、本物の戦闘者。
生まれが違うの。過ごしてきた人生だって違う。打ち果たしてきた敵の数も、質も、多分……この世界の、誰よりも。
あの人は、戦いという儀式で磨き抜かれた、天性の魔なる者」
「そりゃあ、たいしたもんだな」
「真面目に聞いて!
あたしたち高弟十六人衆、そのほぼ全員が魔女様に恩があったり憧れだったり……あたしたちのほうが惹かれて集まった。
でもアインさんは違う。あの人だけは、魔女様が口説いて仲間に加えたの。
それがどういうことか……」
戦闘という一点においては、あの魔女に迫る実力の持ち主、ということだろうか。
そのとき、陸歩は唐突に気付いた。
さっきアインの剣気が見せた、あの幻。
あそこへ登場した架空の剣士たちは、きっと全員、過去にアインが戦った者たちなのだ。
おそらくは、アインによって斬り伏せられた亡霊たち。
闘技場を埋め尽くすほどの、猛者たち。
「……リクホ、死んじゃうよ……」
「かもなぁ。
でもよ。もうとっくに引けないんよ」
フェズの頭を軽く撫でて、下がらせる。
進み出た陸歩は、ようやくアインと言葉を交わした。
「悪いな。お待たせした」
「いやいや。こっちが早く着いただけさ。楽しみでなぁ……。
この二週間で、ちょっとは何か変わったか?」
陸歩は、答える代わりに鈴剣を抜刀。
そしてそれを、高速で回し始める。
右手で、左手で。掌から、手の甲を使ったり、手首を周回させたり。
そのたびに鈴の音が響き、刃は大きさも太さも千変として万化する。
修行の成果だ。
残像すら残り、剣が複数あるように見える。
今の陸歩は白刃を、まるで我が身の延長のように自在にしていた。
だがアインは、そのパフォーマンスに目を眇める。
「なんだよ。結局、曲芸の道に走ったのか?」
挑発には答えず、陸歩は回していた鈴剣の柄を握る。
そして回転の勢いそのままに、横薙ぎに空を斬った。
ぱっとアインの足元の地面に、一文字、刻まれる刀傷。
見えない刃が飛来し、そこで爆ぜたのだ。
ほう、と彼は眉を上げた。
陸歩の剣技、流体操作の応用である。
空気を切って風を生み、それを操って遠方を断つ刃とする。
気体は液体よりも、当然ながら希薄であり、手懐けるには熟練が必要だ。陸歩はわずか二週間で、ここまで辿り着いてみせた。
「あんまり、舐めるなよ。オレの剣を。オレの師匠を」
「あぁ、思ったより楽しめそうじゃないか。
――踊ろうぜ」
その無造作な一歩には、縮地の法でも込められていたのか。
アインが瞬きの間に肉薄してくる。
陸歩もまた、前へと踏み込み、渾身の剣を振るった。




