結 ≪師弟≫
反復とはえらいもので、しつこく続けていれば人間は、大抵のことは出来るようになるものである。
ぽんぽんと宙を弾む、短刀はついに九本。
「ほい、ほい、ほい、ほいっ」
しかも陸歩はそれを、左手だけで回している。
さらには短刀には流体操作剣技が含まれていて、ボールほどの水の塊が重力を無視し、飛び交う刃の間を行ったり来たりしている。
一本の刀から、すれ違う刀へと水が渡って、また次の刀へ。まるで宇宙に解放したみたいに、一滴たりとも零れない。
これには流石の師匠も唸った。
「短剣三本に、あれだけ手こずってたくせに。
基礎さえ呑み込んでしまえば、お前ってやつは、応用は早いんだよなぁ」
「今日こそ、素振り、しなくて、よさそう、ですっ!」
「よーし。じゃあそのまま右手に変えろ」
「はいっ!」
食事が足りていれば――なんなら日光だけ十分あれば――陸歩の体力は底なしであり、彼にはオーバーワークというものが存在しない。
修練において、これは彼最大の強みである。
このお手玉も三日三晩、寝ずの練習の成果だが、陸歩は身体を痛めるどころか、肉体的な疲労すらほとんどなかった。
だからこそ、マチルダはこっそりと心中で、旅に急ぐ弟子を惜しく思ってしまう。
たった数日でこれなのだ。こいつが数年、まとまった時間を修行に明け暮れたならば、どれほどの高みまで辿り着けることか。
しかし翻って、陸歩が剣を求めたのは、まさにその旅のため。
ならば……時間を寄越せとは、とても言えない。
むしろ今すぐ役に立つ、実戦的な術を可能な範囲で授けてやるのが、師匠の務めというものだ。
「――どうした。ほーら。進んでないぞ」
「ぐににににににに…………」
暗く深い青は、藍色か墨色に近く、月夜に静かに凪いでいる。
陸歩とマチルダが、小舟で漕ぎ出したのは、そんな海だ。
舟の先端にはマチルダ。後端には陸歩。それぞれが自分の剣を海面へ突き立てて、周囲の流れを別々に操作し、舟の進行方向を奪い合っている。要するに、剣技を用いた引っ張り合いである。
陸歩は必死に力を込め、トレミダムを目指していた。街まで戻れれば今晩の修行はおしまいだ。
だが、マチルダの剣によってその場に釘付けにされた舟は一向に進まない。師匠は欠伸まじりだというのに、弟子が歯を食いしばっても太刀打ちできなかった。
「リクホ。力み過ぎだ、刀身が濁ってる」
「あ、っべ、すんませんっ」
「そう。もっと柔らかく。おおらかに。ただし緊張は解くんじゃない」
「はいっ」
力を緩めないまま深呼吸、という難しい試みを、陸歩は苦労して時間をかけて、なんとか行う。
彼の心に応じて姿を変える魔剣の刀身に、薄く痣のように浮かんでいた模様が消え、刃は再び曇りなき銀を示した。
この状態のほうが明らかに陸歩の剣技は精彩を帯び、剣への力の通り具合が違う。
「いろいろ便利だなぁお前は。普通の剣士はそんなに正確な鏡は持ってないもんだ。
実戦でも、刃の色には注意するんだぞ」
「はいっ」
「つっても、戦いの最中にチラチラ刀身を確かめてるようじゃ、全然上手くないからな。
自分の心の状態は、自分の腹の内側で探れ。刀身の色は、あくまでその答え合わせにだけ使え」
「はいっ」
舟はわずかずつ、牛歩の速度で、トレミダムへ向かっていく。
陸歩は顎から汗を滴らせながら海面を凝視しているが。
マチルダはゆったりと星空を眺めていた。
「――なぁ、弟子よ」
「っ、はい?」
「お前は工夫と応用ができる奴……自分で気付くことのできる奴だから。今さらうるさく言うことでもないんだろうがな。
その剣は、もうお前の剣だからな」
思わず振り返った陸歩は、未だ星を読んでいる師匠の背中を、まじまじと見た。
そして己の剣握る手を見て、視線を刀身まで滑らせ、剣技によって複雑な波紋を描く海面を見る。
剣。
己の、剣。
……師匠から学び取り、今まさにこの時も、より深く己に刻もうと腐心している、剣の道。
「私から習ったからって、私に義理を感じることもないし、流派のことを背負う必要なんてない。
お前はその剣を、お前の思うように使っていいし、使わなくたっていいんだ。
入用になったのなら、他に新しい剣を積んだって構わないんだぞ」
「…………それは、」
アインヴァッフェ・イリューに対し、むきになったことを諫められている、のか。
「お前には目的があるんだろう。だったら常に、一番いい手段を求め続けろ。私はそれを肯定する」
「でも。師匠。オレは……」
憧れを否定されたままなんて、許せないんです――
ぽん、と陸歩の頭に掌が触れる。
あ、と彼は呟いた。
師匠の手。
師匠の手はしなやかで、子を慈しむのに慣れた手だった。
「私には、それで十分だよ。師匠冥利だ」
マチルダが太刀を海から離したため、楔を無くした舟は帆でも張ったように進み始める。
だが陸歩は、あえて停止した。
「…………。師匠、オレの手首、だいぶ柔らかくなりましたか?」
「うん? あぁ、よく上達した」
「じゃあ……次は頭を柔らかくする修行を、つけてもらえませんか?」
上目遣いに見つめてくる弟子に、マチルダは目を丸くする。
そして、苦笑のように、愛おしそうに、ため息。
「仕方のない奴め」
「……すみません。聞き分けのない弟子で」
「いや。いいさ。私も若い頃は、そうだった」
結局、師匠から何と言われようとも、陸歩の意地はもう曲がらない。
概して、弟子とはそういうものだ。
目的のために手段を選ばない……口で言うよりも、それはずっと難しい。
彼はこの手段を、とっくに誇って愛しているのだから。
この剣の素晴らしさを、この師匠に巡り合えた奇跡を。
見せつけてやらなきゃならない相手がいるのなら。
身命を賭すのが、弟子の矜持だ。
「なら、勝てよ。己を通し、己を示すことが出来てこそ、強さの甲斐があるというもんだからな」
「はい。必ず」




