転 ≪修行≫
陸歩たちから遅れること、実に四日。
ユノハは扉の樹でカシュカ大陸まで、そこから渡し船を用いて、ついにトレミダムの地を踏む。
「…………ぅえっぷ」
今までどこにいたのかといえば、歓楽要塞だ。
今まで何をしていたのかといえば……女の子の腰を抱いて、酒を飲んでいた。ひたすら。
夜がふけるまで鯨飲し、翌朝に訪れる地獄の二日酔いを、迎え酒の酩酊で塗り潰す。
そんな爛れた生活を、財布が空になるまで堪能したユノハは、さらに身ぐるみの大半を質に入れてまで粘り、素寒貧となってからようやく重い腰を上げた。
陸歩たちはカプリティズを出るに際し――そのまま置いて行ってもよかったというのが彼らの本音だが――ユノハに次の目的地を伝えてあった。
もっとも、それが無くとも回路神の神託者は、その神威ゆえ、目当ての人物を追うのに困ったりはしなかっただろうが。
それにしても。
トレミダム。
吹き付ける、冬の潮風。
酒漬けの身体には、その生臭さが、堪える。
「……きもちばるい……」
「兄ちゃん、船酔いかい?」
地元の漁師か。
船を下りるなり、青い顔をして口元を押さえているユノハに、通りがかりの青年が声をかけてくれる。
「いや……っうぶっ」
大丈夫、大丈夫と手振りで示したユノハは、喉までせり上がって来たものを根性で飲み下し、意味もなく何度も頷く。
ポケットから出すのは酔い止めの薬瓶で、それをぐいと呷ってから。
「ごめん……最寄りの便所ってどこ?」
――胃の中のものを散々ぶちまければ、身体から酒気も抜けて、ようやく少しマシな気分になる。
さっきの青年はさんざん「医者を呼ぶか?」と訊ね、背中をさすって手伝ってもくれて、分かれ際には水まで。相手は男だが、あとで礼に行かねばなるまい……さすがのユノハもそう決める。
気を取り直し、深呼吸。
海の匂いはさっきよりもずっと香しく、気分を浮かせる。
空は鈍色、じきに雨か、もしかしたら雪になるかもしれない。
身を切るような寒さ。でもそれが、今のユノハには心地よかった。
「さて、と。リクホくんは……」
感覚を澄ませる。
神託者は、その気配で大よそ、互いの位置が分かるものだ。
同じ街の中なら、出会うのは簡単。
トレミダムへ来るのは初めてだが、ユノハは迷うことなく、陸歩の元を目指す。
そこは道場のようだった。
そういえば、陸歩は剣の師匠を訪ねるとか言っていたような気がする。
生来、気後れというものと無縁の質であるユノハだ。
知らない場所でも、一切の遠慮も物怖じもなく、戸を引いた。
「ごめんくださーい。リクホくんいますー?」
「――っわっぶねぇ!」
いた。
陸歩は、両手にそれぞれ短刀を持ち、今まさに足元へ三本目を落として、それが床に突き刺さったところ。
道場内、壁際には子どもたちがたくさんいて、「リクホへたくそー」とかなんとか、きゃあきゃあと笑い声を上げている。
「ん……おう、ユノハ。来やがったか」
「来やがったけど……なにしてんの?」
「見りゃ分かるだろう。剣の修行だ」
「剣の修行かぁ……」
見たところは完全に曲芸の修行だ。
陸歩は短刀を都合三本、代わる代わる宙へ放って、ジャグリングの練習中である。
あんなものがポンポン舞うのだから、たしかに、他の人間は壁まで下がっていなくては危なっかしくて仕方がない。
陸歩は、また落とした。
十本目ぇーっ、と子どもたちが大合唱。
師範らしき、鮫頭の女性が檄を飛ばす。
「分かってるだろうなリクホぁ! 床に付けた傷一本につき、素振り千回だからな!」
あれが何度か話に聞いている、師匠のマチルダだろう。
その隣にはイグナ。ユノハはにこやかに手を振るが、彼女は視線さえも一瞬しかくれない。
にべもない態度だが、めげるユノハではなかった。
初めての場所だというのに、勝手知った風に近づいて。
「やぁ、イグナちゃん」
「……。お酒臭いですよ、ユノハさん。神聖な道場で」
「ごめんごめん。
マチルダ先生ですよね。重ねて失礼」
たいして申し訳なさそうでもなく、くにゃくにゃと微笑みながら手を合わせて拝んでくるユノハに、マチルダは息を吐く。
「回路神の神託者、ユノハとか言ったか」
「初めまして。やぁ、やっと会えましたね。リクホくんが羨ましいなぁ、噂よりもずっと美人な師匠じゃないか」
「…………君も、話に聞いてたより筋金入りのようだ」
もう一度、牙の間から呆れた息を吐く。
その間に、陸歩はまた短刀を落とした。
子どもたちが駆け寄っていって、違うこうだよああだよと、次々にアドバイスを浴びせて、蜂の巣をつついたみたいな騒ぎである。
それほど興味がないながらも、世間話の口ぶりで、ユノハはマチルダへ。
「あれって、何してるんです?」
「手先を柔らかくしている。あいつは指も手首も固いからな」
「ふーん……」
それがどう役に立つのか、剣に疎いユノハにはさっぱりわからないが。
面白そう。
ずんずんと進み出る。
見知らぬ青年、それも酒と女ものの香水の匂いを沁みつかせた男が寄ってきて、子どもたちはぱっと逃げていった。
陸歩も鼻の頭に皺を作りながら。
「あんだよユノハ」
「ねぇ、僕にも一回やらしてよ」
「はぁ? 出来るかよ、あぶねぇぞ」
「ままま。いいじゃない。一回だけ一回だけ」
陸歩が渋々と渡す短刀を受け取ったユノハは、気軽にひょいと放った。
次の一本も。
最後の一本も。
落ちてきたのを捕まえると、即座に宙へ戻す。
右手で投げて、左手で取って、左手で投げて、右手で取って。
次、次、次。
げ、と陸歩は顔をしかめた。
ほう、とマチルダが口をすぼめる。
「やるじゃないか」
「ねぇ! 剣、もっとないの? 投げ込んでよ」
ユノハが手を止めないまま声を張れば、子どもたちは顔を見合わせる。
そして面白がった数人が、自分の腰の短刀を抜いて、ぽいと彼へ投げた。
投げると受け止めるとの隙間で器用にキャッチしたユノハは、ジャグリングにそれらを加える。
ついには八本もの刃が、忙しなく彼の手で跳ねた。
終演、とばかりにユノハは両手の指の間それぞれで順番に、短刀を捕まえていく。
ただの一度、ただの一本すら落とさずに、だ。
驚き喜び手を叩く子どもたちに、大袈裟に礼をしてから、ユノハは陸歩を見て目を眇めた。
「案外簡単だね」
「っんのぉ!」
ずんずんと道場の真ん中まで戻った陸歩は、短刀を奪い返して鼻息も荒く、練習再開。
ユノハは「じゃあ」とイグナたちへ手を挙げる。
「僕はこの街を一回りしてくるから。
イグナちゃん、マチルダ先生、また後で」
からかうだけからかって、好き勝手に去っていく彼に、イグナの表情は固い。
反対に、マチルダは見直したとでも言いたげに、朗らかだ。
「どうしてなかなか。気の利いた男かもね」
「そうでしょうか?」
「あぁ」
師匠の視線の先を、イグナも追う。
さっきよりも、ずっと何倍も奮起して、修行に取り組む陸歩。
師匠としては、子どもたちの野次と応援で発奮を促す意図だったのだが。
陸歩にとっての一番の起爆剤は、ユノハへの対抗だったか。
それをユノハが自覚して、あえてそうしたのか……。
イグナの電脳は、その判定に、だいぶ手こずる。




