承 ≪遠泳≫
トレミダムは、イルカ漁でも名高い。
が、それも春の終わりから初夏にかけての話。
イルカたちはこの海に定住していないからだ。
時期になると、温かさを求めて北の海から魚群が渡ってきて、イルカたちはこれを追って来る。
漁師は長年の経験からその海路を心得ており、あらかじめ網を張っておく。こうすることで、イルカから逃げ延びるだけの力を備えた魚が次々に掛かるわけだ。脂が乗り、身も引き締まった、大変に美味な連中が。
今は冬。
イルカたちはとっくに次の海へ、出稼ぎに行ってしまい残ってはいない。
そんな海を独り占めする、一頭のイルカ。いないはずのイルカ。
獲物と見定めた魚の後にぴったりと付けていて、だが遊んでいるだけであえて捕まえる気がないのか、つかず離れずをゆったりと泳いでいる。
魚のほうは溜まったものではない。
死にもの狂いで尾鰭を振って逃げ、追い立てられるまま、ついに水面から飛び出した。
昼の陽光が、魚の鱗に反射して、きらきらと輝く。
その胴体を、撃ち抜く、一発の弾丸。
「――お見事」
千メートル以上の遠くからその様を、視界をフォーカスしてつぶさに見て取ったイグナが、ため息のように呟いた。
傍らで地面に腹這いだったキアシアが、起き上がりながら狙撃ライフルの薬室を開けて、薬莢を排出する。
彼女たちがいるのは、トレミダムの外縁だ。海を臨み、キアシアの銃の訓練中である。
イルカはイグナのワスプであり、今キアシアが仕留めた魚を回収して、ぐんぐんとこちらへ向かってくるところ。
「やはり目の良さでしょうか。短期間に素晴らしい上達です、キアシアさん」
「いや、まだまだだわ……」
本人はちっとも満足が行かない様子だ。
理由は、機械仕掛けのイルカが咥えてきた。
撃ち抜かれた魚は、弾丸に背中を大きく抉られている。
キアシアは顔をしかめた。
「一番美味しいところ、吹っ飛ばしちゃった。いけないなぁ……」
50センチがせいぜいの魚だ。
それを一キロ先から射抜くだけでも結構な芸当だろうに。
受け取った魚へ向かって、手を合わせたキアシアは、南無南無と謝罪している。
せめて残さず頂きますから。
料理人だけあって、彼女は他の命を獲ることに、いつも真摯だ。
思わず、イグナも一緒に、南無南無。
「感心だな、二人とも」
と、鮫頭の女剣士が声をかける。
「マチルダ様」
「先生。
あれ、リクホは?」
問えば、師匠は途端に不機嫌に。
「カシュカ大陸まで泳がせてる。ちょっとは頭が冷えるだろ。
ひどいもんだったぞ。稽古にさっぱり身が入っていない。
あの馬鹿弟子、なにかあったか?」
「えぇ。まぁ。
今度の決闘相手に、先日言われたことを、気にしているのかと」
「…………。決闘?」
マチルダのリアクションに、イグナとキアシアは顔を見合わせた。
「あいつ、先生に言ってないんですか?」
「言ってないな。いい度胸だ」
「言い出しづらかったのでしょう。マチルダ様には、特に」
「ほう?」
その心は、と目で問うマチルダに、イグナは逡巡する。
主人が師匠へ未だ秘していることを、従者の自分がべらべらと告げてしまっていいものか。
キアシアが助け舟のように、責任を肩代わりした。
「リクホ、決闘相手に言われたんです。『お前の剣は、お前に合ってない』って。『師匠に恵まれてない』みたいな言われ方までして。
それであいつ、だいぶキレてたし、気にしてるんだと思いますよ」
「ほう……」
「あ、決闘の理由っていうのは、また別なんですけどね?」
何やらまんざらでもなさそうなマチルダに、キアシアは慌てて付け足すが。
それによって師匠の態度が落胆に変わることもない。
「修行の足らんやつめ。そんなありきたりな挑発に乗っかって、怒っていたら世話がない」
とかなんとか、言う割には。
「……先生。なんか、嬉しそうですね」
「は? なにを。どこがだ」
どこが、って。
⇔
トレミダムからカシュカ大陸までは、船の距離だ。
泳ぎで行って帰ってこようと思ったら、平気で明日までかかる。
陸歩はそれを、頑健な肉体と無尽蔵の体力で、夜までに渡り切った。
ゴールまで残り数百メートル。
明かりの灯る、海上の華がよく見える。
束の間、陸歩は立ち泳ぎになって、それを眺めた。
トレミダムからカシュカは船の距離。
おかげで、自身を省みる時間がたっぷりあった。
稽古で師匠が怒ったのに、なんら無理も不思議もない。
気ばかりを逸らせた陸歩は、剣を遮二無二振り回して、ちっとも丁寧さに欠けていた。あれではとても、技と呼べたものでない。棒切れを拾った悪童のほうが、まだ様になっていたのではあるまいか。
つまりそれは、剣に対する尊敬を、失していたということ。
師匠に、謝らなきゃ。
決心して、陸歩は最後の一息を漕ぎだす。
「――ぶはっ」
トレミダムへ辿り着いた。
街から海へはあっちこっちから梯子が降ろされている。
陸歩はそのうちの一つを掴み、上がろうと……したところで、だ。
額を棒で押された。
「わっ?」
海へ再び、どぷん。
意地悪するのはどこのどいつだ、と思えば。
誰あろう、マチルダ師匠である。
愛用の太刀で、己の肩をトントンと叩いて、陸から弟子をじっと見降ろしていた。
「よう、馬鹿弟子」
「あ、師匠…………すみませんでした」
「どれについて、すみません、なんだ? ん?」
「どれ?」
謝罪すべきことが二つも三つもあっただろうか。
陸歩は首を傾げるが、すぐにピンときた。
これは、決闘の件が、バレたな。
「……あ、あの、師匠?」
「なんだ」
「ひとまず…………ひとまずは、せっかく付けてくださった稽古で、上の空だったことを謝ってます。
で、別件については、また説明の上で謝りますので……」
わざとらしくため息を吐く師匠に、陸歩は冷や汗が止まらない。
誠意を見せるために、今からもう一回カシュカ大陸まで行ってくるべきだろうか。
そんなことを考えていると、目の前に太刀が差し出された。
陸歩はそれを、まじまじと見てから、掴む。
と、ひょいと海から上げられて、まるで一本釣りだ。
「じゃあ、たっぷりと説明してもらおうか」
師匠が顎でしゃくる先を見ると。
星空の下、食卓の一式が持ち出されていて、イグナとキアシアが待っている。
ここまで漂う、晩餐のいい匂い。
「飯でも食いながら、な」
「はいっ。師匠、オレもう、腹ペコでっ!」
「調子のいいやつめ」




