言葉について
日本語と多少の英語、それがオレに扱える言葉の関の山。
イグナはずっと上等で、日英独伊仏露中韓西は当然のように会話読文でき、もっとマニアックな言語もボキャブラリーにあるというが。
異世界言語はさすがに想定・準備されていないらしい。
それでもオレたちが現地人と話すのに困っていないのは、オレに力を授けた神様のおかげだ。
原理としては神智文字と同じだとか。
神の名代たる者の言葉が、万民に理解されないのでは仕方ないと。
オレやイグナが話すと、それはこの世界の人間には母語と変わらない滑らかさで伝達される。逆もまたしかり。
……いま思いついたんだが、神智文字と同じってことは、もしかして動植物とも話せる?
ただ、話すのにはそれでいいが、読み書きについてはさすがにフォローがなく、自力で習得するよりない。
イグナの電脳は辞書を一瞬で呑みこんだが、オレのおつむじゃそんな芸当はとても出来ない。目下、時間をかけて勉強中だ。
イグナに翻訳してもらえばいいってのは邪な考え。
一から十まで彼女に読んで読んでじゃ、格好つかないなんて騒ぎじゃないよな。
なおここで断っておくが、オレたちの世界とこの世界とで、酷似したものについては、同じ名詞で認識するし手記にもそう書く。
何が言いたいかっていうと、この世界にも『犬』がいるわけだ。
が、これは生物学的にも進化論的にもオレたち世界の犬とは全くの別物で、『よく似た生物』でしかない。
……が、しかし、だ。見た目は犬だしワンて鳴くし、犬は犬だろうよ。オレたちが犬って言うとこの世界の人間にもきちんと理解されるし。
だから犬でいいやな。
興味深いのは、この世界の言語はほぼ単一ということだ。
神智文字から劣化・派生したのが人の言語であるという説。
『扉の樹』のおかげで距離や地方という観念が曖昧なためという説。
言葉を司る神様がいるという説。
様々な学者が種々を唱えているらしいが、はっきりしたところではないらしい。
まぁ人言語の誕生から今日まで千年も経っちゃったら無理もなかろう。
オレとしては覚えなきゃいけない言葉が一つで助かる。
いずれはこの手記も異世界語で書けるようになってみたいもんだが……いつになることやら。




