急:結 ≪報酬≫
元々陸歩は、特別に好んでもいなかった。
ジャンクフードもスナック菓子も。せいぜいが小腹を埋めるために食べていたくらい。
だから特に恋しいとも思っていなかったが。
最初の一口を、前歯が砕いた時点でもう感動した。
衝撃だった。
こちらの世界に飛ばされて以来、初めて口にしたポテトチップスは。
言葉にできない。
こんなに美味いものか。
寂寥感すら覚える。
「~~~っ!」
鴨肉なんてそっちのけ。
陸歩はバリバリと夢中で頬張った。
「お口にあったようで何よりです」
「んぐっ、」
テーブルの向かいでユスティーム法務官がニコリともせずに言い、陸歩は我に返る。
「……あの、ヴェルメノワって、飯にがっついちゃいけない法律、あったりします?」
「えぇ。頬張るのは禁止。食べかすをこぼすのも程度によっては違法。
それから直径21センチ以上のお皿を持ち上げるのも法令違反で牢屋行きになります」
「…………、」
「まぁ。この場は、目を瞑りましょう。天秤も許しているようですし」
「ありがたい」
陸歩は料理を口へ、詰め込めるだけ詰め込む作業を再開する。
その粗野な様は、隣でイグナが完璧なテーブルマナーを発揮しているため、余計に浮き彫りとなっていた。
法務官はため息を一つ。
「おかわりも用意してますので、どうぞ遠慮なく」
「おかわりっ!」
「ワタシも。おかわりを」
「……、」
ユスティームが手を振るとメイドが二人、それぞれ皿を受け取って下がった。
間もなく湯気立つ料理が運ばれてきて、陸歩とイグナは待ってましたとフォークを突き立てる。
彼らが大立ち回りを演じてから、一夜が明けていた。
あの直後に二人はさっさと街を出るつもりだったが、ユスティームに肩を掴まれ、あっさり連行されて。
そのまま彼女の屋敷へ。
そしてもてなしの数々。
さすがに昨日は街中が上を下への大騒ぎだった。
ユスティームもあちこち奔走せねばならず、戻ってきたのはほんの今しがたである。
陸歩たちと顔を突き合わせて食事する、なんとか時間を作って帰って来たらしい。
「さて――あぁ、食べながらで構いません――まずは感謝を。
貴方たちのおかげで、街の崩壊の危機を防ぐことが出来ました」
陸歩は本当に食べ続けているが、イグナは手を止めた。
そして静かに、わずかに厳しい態度で問う。
「保護した女性たちの治療はどのような様子でしょうか」
「貴女が提供して下さった解毒剤の調合法のおかげで、順調です」
「売られてしまった方々は」
「もちろん残らず救出します。外交で通らないようなら、武力も辞さない。四人ほどは既に、取り戻しましたよ」
「安心しました」
イグナの表情から、ようやく固さが抜けた。
もっともそれは、いつも身近にいる陸歩にしか判らないほど、微かな変化ではあったが。
ユスティームは間を測るようにグラスを口へやる。
「では。それはそれとして、貴方たちの判決についてですが」
「あー。さすがに暴れすぎましたかね。神器もボコボコにしちゃったし」
異を唱えるのはイグナだ。
「しかし、この街の暗部が暴かれ、悪党が一掃されたのは、リクホ様の御力があってこそ」
「いやぁ、イグナのおかげだって」
「いえリクホ様の……とにかく。ワタシたちの成果なのですから。
その際に多少の傷害や器物損壊があったにせよ、それは差し引きというもので、」
「話は最後までお聞きなさい。二人とも、早とちりですよ。
昨日の出来事について、貴方たちに罪を問うようなことは一つもありません」
「……では、何の判決でしょうか」
「貴方たちが踏んだ、大理石の件です」
あぁ、それ。と陸歩もイグナも大して関心がない。
正直なところ、今さらそれがどれほどの問題かとも思うし、そもそもそこまで悪いことをしたとも思ってないし。
だが突然、ユスティーム法務官が立ち上がれば多少は身構える。
そして深々と頭を下げるのを見れば、目は白黒だ。
「えーっと?」
「結果として、誤認逮捕でした。街と司法を代表して、深く謝罪します」
「はい?」
「こちらは不当に身柄を拘束したことに対する慰謝料です。少ないですが、納めてください」
メイドが盆に載せて運んできた巾着は、それ自体が絹と金糸の値打ち物。
そんなまばゆい袋をパンパンに膨らませている中身とは一体……。
最近すっかり、野宿上等の貧乏旅人が板についてきた陸歩には、覗くのも怖い。
「いや、え、なに、これ?」
「道の大理石は、神のために敷かれたもの。であれば、貴方が歩くには、何の違法もありません。
ジュンナイ・リクホ。貴方は、神託者なのでしょう」
神託者。
陸歩が翼を広げたとき、ユスティームらは天使か訊いたが、それは正しくない。
天使とは、生まれながらに神性を帯び、神の傍に侍る『種族』を指すからだ。
対して生まれがヒトであり、後天的に神に見いだされて神威を下賜された陸歩のような存在は、神託者と呼ぶ。
「神託者は、神より権利権能を委譲されし者。ならば神の道を歩いたとて、それは至極正当なことです」
「はぁ。まぁ、許してくれるなら、こっちは何でも良いんですけど」
「気にかかるのは貴方が、ただの神託者でないことです。
……あぁ、ただの、だなんて変な言葉。神託者がそもそも只者ではないというのに……。
とにかく。
あの炎熱の力、あれは何なのです? 翼も魔力も伴わない、あれは一体?」
「あー……」
「それからそちらの彼女、イグナは……カラクリ?」
「……、」
ここで全てを打ち明けてしまおうか。
陸歩は、ひどく迷った。
――オレは、ここではない世界から来ました。
――ここでない世界は神様の代わりに物理と経済が支配し、魔術の代わりに科学が蔓延しているんですよ。
――オレは、向こうの世界で超人薬を浴びて死にました。火炎の能力はそれです。
――オレは、向こうの世界でイグナのユーザーとして登録されていて、だからこの子も一緒にこっちの世界に引っ張られたんだと思います。
「…………、」
真実を聞いて、愚者は笑い、賢者は畏れた。話の通じた相手は狂人だった。
目の前の法務官が、どの人種かは判らない。
判らない、から。
「話すと、とても、長いんですよ」
いつかの言葉を繰り返す彼に、ユスティームは息をついて目を伏せた。
「……そうですか。では、聞き出すような真似は止めておきましょう。
ただ、それらの力を持ったのが、貴方のように清い人で良かった」
「えぇ?」
陸歩はその言葉があんまり思いがけなくて、目を見開いて固まってしまった。
清い。誰が? ……オレ?
「何を驚いているのです。だってそうでしょう。
それだけの力があれば、街の一つくらい軽く滅ぼせるはず。正直者でもなければ、素直に牢になど入らない」
「あぁ、いやいや。それは完全に損得勘定あってのことで。
オレが善人ってことじゃないんですよ。
単にオレたちにとって街と敵対するのは、大変都合が悪い」
「というと?」
「イグナ」
促すと、少女は羊皮紙を取り出す。
あらかじめ用意していたもので、陸歩たちはいつ交渉を切り出すかをずっと見計らっていたのだが、ついにタイミングを得た。
受け取って、紙面を検めた法務官が、ことりと首を傾げる。
「設計図?」
「そう。オレの神様の、社を建ててほしいんですよね。
古い古い神様で、誰からも忘れられてしまったとかで。信仰心を集め直さなきゃならないから、オレにこうして神威を与えて行脚させてるってわけなんです」
「なるほど。この神の名は?」
「それも喪失中。信者が増えれば、いずれ自然に取り戻されるってことらしいから。今はとりあえず名無しで構わないって」
「了解しました。このミネルヴァ・ユスティームが承ります」
仮にも宗教勧誘だというのに、思いの外あっさりと受け入れられた。陸歩とイグナはつい顔を見合わせる。
もっと押したり引いたりプレゼンしたりと、手間があると思ったのだが。
ユスティーム法務官が、ふっと微笑んだ。
陸歩はへぇ、と思う。
この人、笑えるんだ……そんな無礼なことを、口には出さないが。
しかしメイドたちも目を剥いているから、やっぱり相当珍しいのだろう。
「これでも貴方たちには、本当に感謝しているのです。少しくらい恩返しがしたいじゃないですか。
それにどんな形ででも、この街の英雄の一助となれるのであれば、ヴェルメノワの民としてこれほどの幸せはない」
「英雄って……、」
柄でもない。
ダメだ、面映ゆい。
陸歩はまた料理を頬張って、せめて誤魔化した。
「おかわり、もらっても?」
>>>>>>
暮れなずむヴェルメノワを、旅装束の陸歩とイグナが、外門へ向かって歩く。
二人ともが満悦至極の様子だ。
「いやぁ、食った食った。二週間分は食い溜めたな」
「満腹なんて久しぶりですね」
「な。最後の方はユスティームさん真顔だったな。オレたちが実は飯食わないでも平気だって知ったら、何て言うかな」
「また牢屋に戻されてしまいますね」
陸歩は頭の後ろで手を組んでケラケラと笑い、イグナは淑やかに微笑んだ。
そうしながら彼女は、主の視線がちらちら走る先にとっくに気づいている。
「リクホ様、大理石の上を歩きたいのですか」
「うぇっ? いや、そんなことない、そんなことないぞイグナ」
「法務官の許可は取り付けていますし、何も問題ないかと思いますが」
「うぅー、んー……いや、やめとくよ。なんか怖いし。周りの目もあるし」
街の遠くから、すぐ近くから、喧騒が聞こえる。
悪徳法務官の一派が裁判に不正を働いていたというニュースはヴェルメノワを大きく揺るがし、その勢いは昨日の今日では収まりきってはいない。
一部は暴動にもなりかけたとも聞いた。
そんな状態で、いたずらに刺激になることをしなくてもいいだろう。
「また来た時に、な。再訪の楽しみを残しとくのも、旅の醍醐味だろう」
「なるほど」
やがて巨大な外門が見えてくる。
沈みゆく夕焼けに炙られたその威容は、まさに圧巻の一言。
陸歩は立ち止まってしばし眺めた。それこそ、息も忘れて。
おかげで少年は間に合った。
「リクホさーん!」
「おお、ナック」
よっぽど急いで駆けてきたのか。
ナックは膝に手をついてゼィゼィと荒い呼吸をくり返していた。
その姿はすっかり見知った看守の制服でなく、年相応の半袖に短パンだ。
「リクホさんが、出発するって、聞いて……だから僕、せめて見送りに……」
「ユスティームさんから伝言聞いた?」
少年がこくこくと力強く頷いた。
世話になった、お前がオレの看守でよかった――そんな内容の伝言。
陸歩はナックの頭をくしゃくしゃと撫でる。
そして言葉を探した。せっかく会いに来てくれたのだから、もっとちゃんと伝えてから発とうと。
「ナック、あれな、あのとき嬉しかったぜ」
「あのとき?」
「オレが死刑になりそうだったとき。お前が法務官に反論してくれたやつ」
「僕は、えっと、あれは、ただ必死で」
少年はくすぐったそうに首をすくめた。
「でもリクホさん、あんなに強いんだったら、僕が口を出すこともありませんでしたね」
「なに言ってんだ。その必死になってくれたのが嬉しいんだから。
もう一回言うけど、お前がオレの看守でよかった。
またこの街に来たらさ、どうせオレたち何か仕出かして牢屋に放り込まれると思うから、そのときはまた頼むな」
「えぇ? もう捕まるようなことしないでくださいよ……あ、そうだ、」
ポーチをまさぐるナックに、陸歩は口の端から舌の先を出した。
「なに、なんかくれんの? 食い物?」
「違いますよ。えっと、あった、リクホさんほら、鍵」
ただの鍵ではない。『扉の樹』に生る、ヴェルメノワの鍵だ。
旅先で立ち寄るどの街の『扉の樹』にこれを挿しても、直ちにヴェルメノワに舞い戻ることが出来る。
街と街を、空間を超えて繋ぐ、天然の魔法。
言うまでもなく大変貴重なもので、『扉の樹』の鍵を譲る際は、厳しい条件や試練を課す街も多い。
きっとヴェルメノワなんか、特に。
「また来るって、これがないと不便でしょう」
「いいのかよ、貰っちゃって」
「はい。ユスティーム上級法務官様に、渡すよう言われたので」
陸歩とイグナは目くばせし、そして苦笑した。
直接渡さず、わざわざ少年に託すなんて、よっぽど怒らせたらしい。
二人の荷物は牢を出るときに返却されていて、例の鍵束の籠手ももちろん陸歩の左腕にあった。
彼は掌部分の穴に、少年から受け取った鍵の持ち手を突っ込み、グニグニと何周かかき混ぜる仕草をする。
と、中でチェーンが引っかかった。
後は強く引っ張って、手を離せば、引っ込む鎖に釣られた鍵は勢いよく穴へ吸い込まれていく。
「サンキュ、ナック。じゃあ、オレたち、もう行くよ」
「はい! あの、また絶対来てくださいね! 絶対!」
「あぁ、ユスティームさんの怒りが収まったらな」
手を振り、陸歩とイグナは開け放たれた外門をくぐる。
外は夕焼けに染まる平原がどこまでもどこまでも続いていて。
その端、空と大地とが交わるところには、わずかに夜闇がにじみ出していた。
振り返れば、まだ手を振っている少年の影。
「んじゃ、行くか、イグナ」
「はい、リクホ様」
「えーっと? どっちから来たんだっけ?」
「東、あちらの方角からです」
「じゃあ取りあえず、北上するかね」
「はい、リクホ様」
青年と少女が、長い影を落としながら、洋々たる世界を歩いていく。
その頭上では、一番最初の星が、慎ましく輝いた。




