結:結 ≪宿縁≫
――それは神がまだ、ヒトに知恵を授けるより以前から存在する、原初の縁。
運命、またはそれに類するものを司る神は数多い。
宿命神、幸運神、未来神、時節神、因果神……。
そのうちの、誰かが敷いた法には違いない。
――それは神がまだ、ヒトに知恵を授けるより以前から存在する、原初の縁。
あたかも呪いだ。
「神託者同士が争えば必ず決着をつけなければいけない」という定め、その類型と呼べる。
避けがたい衝突を課され、いずれはどちらかが潰える決まり。
抗い得た者は、未だかつて存在しない。
魂に負う、永劫の縛り。
――それは神がまだ、ヒトに知恵を授けるより以前から存在する、原初の縁。
もうずいぶん以前から、『それ』によって互いに結ばれていたのだ。
循内陸歩と。
義四肢の少女とは。
あまりにも、強固な鉄鎖によって。
――それは神がまだ、ヒトに知恵を授けるより以前から存在する、原初の縁。
――片や仇。
――片や報復者。
――復讐の表裏が繋ぐ、暗き因縁。
互いに自覚し切ってはいない。
ただそれぞれの胸に、漠然とした感覚感情が、押さえ難く沸き上がっていた。
少女には、沼のように底の知れない憎しみが。
陸歩には、彼女へ贖わなければならない負い目が。
由来のわからない感情は混乱を招くだけだ。
混乱を伴った闘争は、戦闘と呼べるだけの精細を持たず、携わる者をただの獣まで押し下げる。
「――――っ!!」
城の窓から蹴り出された陸歩は、宙を舞い、数十メートルの高所から花畑まで落下する。
少女もまたそれを追い、飛び降りていた。
未だ感情に振り回されて意識の大半を取られ、ろくに受け身も取れない陸歩は地面へと叩きつけられて、衝撃で弾み上がる。
少女はそこへ合わせて、篭手に包まれた左拳を見舞った。
「ぅああああああああっ!!」
「…………っ」
陸歩はそれを、受けなければいけないような気になる、させられる。
何か魔術でもかけられたのかと、本気で思った。
そして辛うじて理性が感性をねじ伏せ、少女の拳に自らの拳を撃ち合わせた。
「ぐぁっ!」
「ぃうっ!」
膂力は伯仲。
驚くべきことだ。落下の勢いを乗せているとはいえ、少女の拳は陸歩に撃ち負けない。陸歩のほうは不自然な体勢からの拳撃であったことを加味しても、尋常でないパワーである。
少女のほうは打ち上げられたように上空へ。
陸歩は放られたかのように地面へ。
だが今度は、陸歩は両足で着地した。
少女は見事に姿勢を制御し、そんな彼へ鞭のようにしなる右の蹴りで追い打ちをかけてくる。
握ったままの鈴剣をとっさに抜刀……しかけた陸歩は、この名も知らぬ少女へ白刃を向けることに、どうしてだか、どうしようもない罪悪感を覚えた。
爆撃のような、鉄の蹴りが迫る。
衝撃。
濛々と立ち昇る埃は土でなく、塩と草花の粒だ。
そんな只中で、地面へ深々と脚を突き刺した少女。その頬には、涙さえ伝う。
その喉へは、鈴剣が突きつけられている……ただし、鞘込めのまま。
蹴りを紙一重で回避し、殺意なき剣を向けた陸歩の瞳には、焦燥。
「君は――」
「あんたは――」
「「いったい誰なんだっ!?」」
陸歩が叫ぶ、少女も叫ぶ。
少女のほうは分からない、分かるはずもない。
血とへその緒しか繋がりを持ったことのない母――目の前の男がその仇であるなどと、どうして知り得ようか。
陸歩のほうは、まだヒントが多い。
少女の髪の色、角からは羊を強く連想し、そしてこれまでの旅の中で羊といえば……。その赤がちの肌色、作り物の四肢も予感に拍車をかける。
だが、そこまでだ。
世界樹にて遭遇した、あの魔物を想起したとして。そこから目の前の少女へ、想像が繋がらない。
あるいは魔物が化けて出たか、ぐらいが関の山。
よもや死骸から産み落とされた娘とは、いくらなんでも。
二人ともが硬直する。
心の曇りを晴らすことばかりが、頭の中で雷鳴のように響いて、呼吸と心拍を天井知らずに上げながら。
殺すか、さもなくば殺されるか――少女が思う。
殺されるか、さもなくば殺すか――陸歩が思う。
――そうでなければ、収まりがつかない。と。
そのとき新たな影が、二人を目がけて降った。
「リクホ様っ!」
イグナだ。
が、その姿はまるで異形。
両腕の肘から先はEブレードを展開し、それは無数の刃を重ねたもので、まるで光の翼に見える。
足は猛禽を模した鋭い爪に変形しており、さながら女面鳥身の幻獣だ。
垂直滑空からイグナは、主を害する少女を八つ裂きにかかる。
少女はハッと我に返り、陸歩の足元とすれ違う形で前方へ飛び込んで、地面を転がって回避しつつ距離を取った。
羽をはためかせ、陸歩の前に立ちはだかるイグナ。
そこには、愛する者を守るという、確固たる意志の強さが漲っていた。
「リクホ様、Orderを!」
イグナの激情はEブレードの迸りとして火花を散らす。
それを目の当たりにした義肢の少女もまた、意を決したように表情を改めた。
少女は明確な戦意を持ち、篭手の左腕を立てた。
篭手の小指側側面に、手首から肘まで等間隔で四つ並んだ平べったい鋲。その一番上のものを、右手で力強く掴む。
それだけで少女から放たれる、圧力とでも呼ぶべき気配が、弾けるように膨れ上がった。
「リクホ様、Orderを!」
再度、イグナが主へ要請する。
だが。
陸歩は鈴剣の、柄に右手、鞘に左手を掛けつつも、未だ抜刀できない。
未だ決心できない。
殺されるか、さもなくば殺すか……殺されるが有り得ぬにしても、自分がこの少女を殺すのは、正当とはまるで逆。そんな、実感だけが、胸の真ん中に。
少女の右手が鋲を、かちり、と捻る。
少女の腰へ、虚空より結晶と化していくのは、大仰なベルト。
イグナのAIは、陸歩を頼らず、自らの武装と能力だけで少女と斬り結ぶことを決断する。
それによる勝率を計算すれば、お世辞にも高いと言える数字が出て来ない……そうだとしても。
――風が一陣、吹き抜けた。
後を追うように、もう一陣。
瞬きの間に、少女の連れである、長身の剣士がそこにいた。
少女の篭手の左腕を掴み、宙吊りにする格好で。
彼女の右手は鋲から離れており、腰のベルトは霧散し消失していく。
「あ、アインさん!?」
「こんなところでソイツを使うかね」
「離して! アインさん! 離せ! 離せっての! あたしは、あたしはぁ!」
「落ち着けよフェズ。今のお前は俺と比べても短絡だぜ。大好きなママに怒られちまうんじゃねぇの」
「……っ!」
場にはもう一人増えている。ユノハだ。
陸歩の前に立つイグナを、さらに庇う位置。
手には神球と光輪、そして背には翅。
「ユノハ……」
陸歩が呟くと、彼はふんと鼻を鳴らした。
そして言い訳のように。
「別に君なんかどうでもいいんだけど。イグナちゃんのピンチだったからね」
その目に、いつもの軽薄はない。
目の前の男と少女。ユノハはそれらを、明らかに強敵として認識していた。そういう態度だ。
対して、ユノハの姿を見た男は、手の中でもがき続ける少女を意にも介さず、ほうと感心したように息を吐いた。
「神託者か」
「まぁね」
「もしかして、そっちの剣士の兄ちゃんも」
「ご明察」
男は今度は、ふぅむ、と息を吐く。
「そいつは是非とも手合わせ願いたいところだが……あまりここで、派手をやるのも差し支えるんだよなぁ……。
くそっ。これだから群れに交じるのは煩わしい」
その後も男は散々に逡巡を見せ、そのたびに逆手で掴んだ剣を鞘から少しだけ抜いて、また戻して、抜いて、戻して、ガチャガチャとさせていて。
やがて諦めがついたのか、少女を米俵のように肩に担ぎ、やれやれと首を振る。
「まぁ、お前たちが神託者だっていうんなら、これにて因縁もついたことだし、また必ず会うことになるんだろう。お楽しみはそれまで取っておくことにするよ」
「こっちはまだ、逃がすとは決めてないよ」
ユノハが揶揄うような口ぶりで言うと、男は面白くもなさそうに目を眇めた。
「そうかい。それならそれで構わないんだ。別にやり合ったって、悪いのは都合であって、旗色じゃねぇんだしよ」
「…………」
むしろ現状は、どちらに不利かをユノハは思案したのだろう。
おもむろに翅と光輪、それから神球を引っ込め、軽く両手を挙げてみせる。
男は肯定のように目を伏せると、踵を返した。
その肩の上で、少女は固く唇を噛み、瞳はただ陸歩だけを射抜いている。
陸歩は、今は、その目を見つめ返すことが、出来なかった。
……と。男はまた立ち止まる。
そしてもう一度振り返って、陸歩たちの後方、塩の城を指差して、言った。
「待った。そっちだった。帰りは歩く必要ねぇもんな、扉でいいんだもんな」
そしてさっさと花畑を横切り、入城していく。
玉座の間へと戻り、ダンジョン最奥に芽生えた扉の樹から、鍵で帰還するつもりなのだろう。
そこにはまだキアシアが残っているはずで、この得体の知れない少女と男がそこへ行くというのなら、陸歩たちも心配故についていかざるを得ない。
即席の一団となった五人は、なんとも気まずい空気を引きずったまま、しばらく同道する羽目になる。




