表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/427

起:転 ≪姉妹≫

 ずいぶん昔の思い出だから、記憶は人生の中でだいぶ摩耗(まもう)してしまった。

 どういう経緯(いきさつ)でどこへ向かって何のために、だったか……もはや全てが、夢のようにおぼろげだ。

 それでも確かに覚えている。姉妹でつないだ手のぬくもりだけは。


 街へお使いに行ったのだ。

 姉と。

 妹と。

 二人だけで。


 さらさらと()れる、姉の金髪を覚えている。

 陽光を豊かに反射するそれを(なが)めていると、子どもだけで出かける不安が、すっと()けていくようだったこと。よく覚えている。

 気遣(きづか)うように振り返った、姉の眼差(まなざ)しを覚えている。

 にっこりと微笑んで、優しさを(つむ)いだその唇を――永遠に忘れない、自信があった。


>>>>>>


 姉はまだ気付かない。妹の声にも、存在にも。

 それに苛立(いらだ)ったキアシアは()()りながら、さらに強い語調で繰り返した。


「お姉ちゃんっ! お姉ちゃんでしょ!? 何してるのこんなところで!」


 ようやく姉は視線を向けるが、しかし……なおもきょとんとしている。

 その表情に得心(とくしん)の色が浮かぶまでは、もう少し時間を要した。


「あぁ……キアシア。貴女、キアシアじゃないの。キアシア、よね? うん。あらぁ、奇遇(きぐう)ね」


 あんまり呑気(のんき)で、温度差が(ひど)い。

 キアシアも姉の(さま)に、もう(あき)れていいのか怒っていいのか再会に驚いていいのか、判断が付かなくなったのか、身悶(みもだ)えすらしていた。


「奇遇じゃないわよ奇遇じゃ……っ! お姉ちゃん、今まで、どこで、なにを……っ!」


 放っておいたら姉に掴みかかりそうな勢いのキアシアを、(なだ)めるつもりで陸歩は肩に手を置いた。


「落ち着けって。……お前にお姉さんがいるのは何となく聞いたことあったけど、それが、そちらの?」


「…………そう。ゼアニア・ノートン。あたしの、お姉ちゃん」


「はぁい。初めまして。貴方は妹の?」


 妹の、で質問を切られて陸歩は困惑(こんわく)した。

 妹の、仲間だとか、恋人だとか、続く語があるべきだろうに。


 が、気付いた。気付いてしまった。

 「お前は妹のものか」、所有物であるか。そういう意図の質問だったのだ。

 このゼアニアという美女は、男を、女が普段遣(ふだんづか)いする道具と(とら)えている……。


 なぜ気付いたかと言えば、そりゃあ気付く。

 だってゼアニアは、青年の一人を地べたへ()つん()いにさせ、腰を下ろすような女なのだから。


「…………」


 陸歩は開いた口が(ふさ)がらない。


 そんな姉を見られたキアシアは、恥ずかしさからか耳まで真っ赤だ。

 必死で呼吸を整えて、もう一度(たず)ねた。


「それで……お姉ちゃんは、ここで何してるの?」


「んー。なんかね、さっきの人たち、みんなアタシと結婚したいんだって。だから、ダンジョンを踏破できるくらい強い人とならいいわよーってことにしたの。面白いかなーって思って」


「面白かないでしょうが、そんなもの……っ。

 ……いや、いいわ。

 それで、じゃあ……今まで、何してたの?」


 キアシアが修めた、神への献上(けんじょう)料理の調理術。

 これは本来、彼女たち一族の継承順位に照らせば、姉のゼアニアこそが継ぐものだった。

 が、姉はそれを拒否。理由はなんと、「爪を短く切るのが嫌だから」。

 そのまま家を出て、行方(ゆくえ)(くら)ましてしまったのだ。

 結局、調理術は継承順位を繰り上げた妹が相続。

 その後キアシア含む一族は、魔眼を狙った支配者に捕らわれ、ついには滅亡の憂き目に。


 だから彼女たちは、この世にたった二人生き残った、家族というわけだ。


 ――キアシアとて、一人だけ(とら)われの日々を回避した姉を、(うら)むようなつもりはあるまい。

 一緒に苦しめばよかったのに、なんて言う気はないのだ。それは逆恨み以上に筋が違うから。

 が……それでも、まるでゼアニアに一族丸ごとを見捨てられたような気持ちは、胸の中に拭い難くあって。(とむら)いを一人でした哀しさと辛さが(よみがえ)って来れば、どうして(そば)に居てくれなかったのかと思わずにいられない。

 

 だからせめて、今日までをどう過ごしてきたか、()いたのだが。


「何してたって……何してたかしら? まぁ、色々よ、色々」


「なによそれ……」


「えー? あっちこっちの街で美容術(めぐ)りしたり? 仲良くなったお金持ちにおねだりして、洋服とか宝石とか集めたり? お茶会とか舞踏会とか? そんな感じだったかなぁ。細かくは覚えてないわね」


「なによそれっ!」


 たまらず感情を破裂(はれつ)させた妹に、ゼアニアはまたきょとんとする。

 陸歩が肩に手を置いていたおかげで、キアシアはすんでのところで殴りかかるのは留まったが。

 裂けるほどに唇を噛みしめながら、怨嗟(えんさ)のように姉へ伝えた。

 家族のこと。故郷のこと。最も知らせるべき、重大な訃報(ふほう)を。


「お姉ちゃん……あのね。私たちの一族は、滅びたの。

 生き残ったのは、あたしと、お姉ちゃんだけ。他はみんな……亡くなった」


 ぱち、ぱち、と。ゼアニアは二度、(まばた)きをする。

 相変わらず、背筋が凍るほど見事な、きょとん顔のまま。

 答える。


「あ、そう」


「あ、そう……って……、……っ」


 そこが我慢の限界だったのだろう。

 キアシアが右手を大きく振りかぶり、姉の頬へ平手を放った。

 が、その手はゼアニアに(はべ)る青年の一人ががっちりと掴んで(はば)み、固く離さない。

 それにすら構わず、キアシアは血を吐くように叫んだ。


「あっそうって何よ! お姉ちゃん! あっそうって何!

 お父さんも、お母さんも、他のみんなも、死んじゃったんだよ! 死んじゃったんだよ!」


「キアこそ何よ。だから――それが一体アタシに何の関係があるっていうの?」


「――っ、冗談、でしょ……」


「冗談って、何が?」


 信じられないものを見る目、蒼白(そうはく)な妹。

 対して姉は、こちらも理解の及ばない異物でも見る目をしていて、不快感いっぱいに美貌(びぼう)をしかめている。


「アタシ、一族なんてキレイさっぱり捨てたんだけど。

 過去のこととかイチイチ覚えてないし、取っておかないのよアタシは。だって『今』だけあれば十分じゃない。昔のこととか、むしろ邪魔なだけ。

 お父さん。お母さん。……はぁ。どんな人たちだったっけ?」


「いい加減にしてよっ!」


 一度引っ叩いてやらなくちゃ気が済まない。

 その一心でキアシアはもがくが、右腕は青年に掴まれたままで、振り解けもしなかった。


「は、離してっ! 離しなさいってば! 離せ……いたっ! 痛いっ!」


 握る力を強められて、顔を苦痛に歪める。


 そこまでだ。陸歩が、姉妹のやりとりを見守る立場に甘んじていたのは。

 抜刀。

 青年の首筋へ刃を当て、髪の先からは怒気の火の粉を立てつつ、低い声で言う。


(いて)ぇってよ。離せや」


「そうそう。女の子に手荒い真似は、男の格が下がるよ」


 武器を突き付けるのは陸歩だけでなかった。

 ユノハもまた、(てのひら)(だい)にした神球を青年の耳のすぐ(そば)に突き付けて、言葉の軽薄さとは裏腹に殺意(みなぎ)る視線で射抜いている。


 青年は、しかし、対して物怖(ものお)じすることもなく、しかもキアシアの腕を離すことすらなく、平然と見つめ返してた。

 その目には、感情の色すら怪しい。


「キアを離せっつってんだろうが。腕ごと置いてくか、あぁ?」


「それとももしかして、いらないのは頭? 吹っ飛ばしちゃおっか?」


「…………」


 しばし、肌が粟立(あわだ)つほどの殺気と緊張が(ほとばし)る。


 やがてゼアニアが飽きたように、「いいわ」と言うと。

 ようやく青年はキアシアの腕を離した。


 それと同時に陸歩はキアシアの胴を抱え込み、後ろへパス。

 受け止めるのはイグナで、そのまま背中に彼女を保護するように、ずいと前に立つ。


 陸歩はまだ納刀しない。

 ユノハも戦闘態勢のままだ。

 その様子に、ゼアニアは全く落胆したようにため息を()いた。


「せっかくの姉妹の再会だっていうのに」


「どの口が言うのっ! お姉ちゃんのせいで、」


「貴女のせいでしょ、キアシア。アタシに責任を押し付けないで」


 ぴしゃりと言う。

 その声音に何か、幼少期の思い出でもフラッシュバックしたのか、キアシアは息も言葉も()んだ。


「貴女のせいよ、キアシア。貴女のせいで再会が台無し。貴女が過去なんて無粋(ぶすい)を持ち込むからよ。

 今この瞬間の、再会だけを楽しめば、それでよかったのに……あああ、もう。吐き気がする」


 立ち上がったゼアニアは、青年の一人から渡されたハンカチを口に当てる。

 この場はもう、直接空気も吸いたくない、汚らわしいと言わんばかりの目だ。


「次に会うことがあるなら、もうこんなことには無しにしてよね」


「……お姉ちゃん……っ!」


 (きびす)を返すゼアニア。

 に、ユノハが最後に声をかけた。


「そうだ、ねぇ。()きたかったんだけど。

 秘宝を持ち帰った人と結婚するって話、あれ僕も混ぜてもらえたりするの?」


 こいつは。何を言い出すのか。

 陸歩もイグナも内心で、彼を旅から叩き出すことを真剣に検討し始める。


 ゼアニアは、口はハンカチで隠したまま、ニッコリと笑った。


「えぇ。もちろん。歓迎するわ」


「そっかそっか。

 じゃあ秘宝ってのが、君より値打ちのないガラクタだったら、そうするね。一晩だけ夫婦になろっか」


「…………あ?」


 明らかに小馬鹿にした彼に対し、ゼアニアはハンカチの下で、どんな表情を浮かべていたか。

 いっそ今すぐに殺し合いすら始まるのでは、と思われたが。


「…………」


 結局それ以上は一言もなく、彼女は青年たちを引き連れて去っていく。


 残された面々は、誰も何とも言えないまま。

 ただ、キアシアの嗚咽(おえつ)だけが響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ