ウガンダ 少年兵
『奴らが来た、逃げろ!』
『お兄ちゃん、どこにいるの?怖いよ!』
『いやーーっ!』
『どけよ、邪魔だっつってんだろ!!』
『痛いよ、誰か…助けて』
『お父さん、お父さんっ!』
『うあぁぁぁーっっ!!!』
悲鳴と銃声がこだまする中、僕は母さんと姉ちゃんと、息を殺して家の中で隠れるだけだった。
ベットの下に僕と姉ちゃん、キッチンの暗がりに母さん。ここに隠れていたって見つかってしまうかもしれない。でももう逃げられる場所なんか無かった。
怖い。
いつドアが開くかわからない。いつ銃を向けられるかわからない。いつ殺されるかわからない。それが僕らの日常だった。
この辺り一帯の家は木造で脆いから、壁を貫通した流れ弾に命を奪われてもおかしくない。
「姉ちゃん…」
「しっ」
僕は姉ちゃんに話しかけたが、刹那、がん、どす、というドアが外れた音にふさがれた。
息をのみ、僕は必死に気配を消した。汗ばんだ姉ちゃんの手をしっかり握った。汗が背中を伝っていった。心臓が、痛いほど脈を刻んだ。握り返す震えるその手だけが、僕と姉ちゃんを繋いでいた。
差し込んだ光が、地面に銃を持った人影たちを映した。足音がいやに大きく聞こえた。……男だ。そいつらはキッチンのほうに入っていった。
『ぁ……』声を出しかけた僕の口を、またすぐに姉ちゃんが塞いだ。
向こうで何かが動いた。
『いやぁっ』母さんの声がした。
『黙れババア!子供はいるか!』
『い、いません』首根っこを掴まれているのか、その声はこもっていた。どすっ、という鈍い音の後、呻き声がした。姉ちゃんの顔がゆがんだ。
『いるんだな。吐け!』
『だからいま…』
さっきよりも大きい音がした。刹那、嗚咽と嘔吐しているようなくぐもった声がした。
本当は探したほうが早いのだ。だけどいたぶって怖がらせて陵辱して、それを眺めるのだ。この国で安全なところなんか無い。少なくとも、僕の周りには。僕らの行けるところには。
僕は唇を噛んで嗚咽を堪えた。今ここで声を出したら、母さんが耐えてくれた意味がなくなってしまう。少なくとも、この手で潰すことはしたくなかった。
しばらく、蹴ったり殴ったりするような音と声が聞こえた。
僕らは搾取される側だ。
ただ暴力に身を委ねないことがその理由。
世界はただただ理不尽で、平和なんてほざけるのはテレビの向こう側だけの話。
『そのへんでいい』
別の声がそう言うと、彼らは僕らを探し始めた。
ごそごそと右側で音がした。嗚咽はまだ聞こえている。僕と姉ちゃんは身を縮めた。音が近づいてくる。足音が、すぐ前で止まる。
がばっ、とシーツが捲られた。
『出て手を上げろ!』
姉ちゃんは泣きそうな顔をしながら這い出した。静かに僕も後に続いた。
『こい』男の一人が、銃を向けたまま姉ちゃんに言った。姉ちゃんは腕を掴まれ、無抵抗で外に連れて行かれた。
僕は別の男にナイフを渡された。僕は後退り、同時にいぶかしんだ。
『これで、母親を殺せ。』
『!いやだっ!』
『お前が母親を殺すか、俺がお前と母親を殺すかだ。』
『いやだぁっ』
『どうせ母親は死ぬんだ。だが抵抗しなければお前は殺さない。お前は生きたいだろ?』
『っ……!』
『これで母親を殺せ』
男の目は、闇に包まれて見えなかった。僕に選択肢は無かった。だから静かにキッチンに向かって歩いた。鳥肌が立つ。
そこは母さんの吐瀉物で酷いにおいだった。そしてその真ん中に、話すこともままならない母さんが倒れていた。
目は合わせないようにした。見なくても怯えているのが、悲しんでいるのがわかる。
『う…そ……い、ゃ………』
『うあああああああああぁぁーーーーーーーーっ』
全体重をかけてナイフを振り被り、母さんの腹に突き刺した。肉の手応えがした。手に伝わる熱で、鮮血が溢れているのがわかった。
『足りないな』男は冷徹に言い放った。『殺されたいのか?』
『うぐあ、あ、ぁ…っ』
呼吸が荒くなっていた。
僕はナイフを両手で持った。
『ぅああああああああああああああああああああああああああーーーーーっっ!』
僕は目をそらして泣きながら、母さんの身体中をめった刺しにした。その血が全身にかかった。手が、腕が、胸が、顔が熱くて、涙と血でずぶ濡れになった。
目の前には血だらけの母さんがいた。
僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は
『うあ、ああああああああああぁぁぁぁーっっ!』
*
「起きろ!飯抜きにされたいのか!」
いきなり後頭部に激痛が走った。僕は頭を押さえながら答えた。
「ちっ、違いますっ!」僕らは文字通り叩き起こされた。銃の端で叩かれると、僕はよくこぶができてしまう。
僕は涙を拭った。もうあのことに囚われちゃいけない。仕方なかったのだから。最善とはいえないが次善ではあった。悩んでも何も変わらない。忘れろ。
母さんは僕が殺さなくても死んでいた。僕が止めようとしても姉ちゃんが結局慰安婦になることに変わりは無かった。不可抗力だったんだ。
そう思わなければ、死んでしまいそうだった。
罪悪感で、人は殺せる。人はそれほどに脆く、それほどに罪深い。
男が叫ぶ。
「訓戒を唱えろ!」声に従い、僕らも叫ぶ。
「戦いは勝利するためのもの!戦死は名誉である!最前線で戦えることに、僕らは感謝すべきである!」
「明日には地雷圏まで進む。お前ら、先頭に立て。それからお前は、荷物を運べ。わかったか!」
「イエッサー」
「朝食だ。一人ひとつ。」
差し出された袋に、皆が群がった。今日の朝食は、ぱさぱさのパンひとかけらだ。少ないけれど、出ない日に比べれば今日はまだいい。
貪るようにそれを食べてから、僕は荷物を担いだ。何日も水を飲んでいなくて、飲み下すたびに喉が痛んだ。
指定された荷物を背負うと、ひどく重かった。六十キロくらいだろうか、肩に紐が食い込んだ。足がふらついたが踏ん張った。倒れたり怪我をしたりしたら殺されてしまうのだ。僕らの役目である、地雷圏で前を歩くということは、人間地雷除去器になるということだ。自分の身体で地雷を爆破し危険を消し、代わりに手足を失う。そして手足を失うと殺される。怖くないといえば嘘になる。でも死ぬほうがもっと怖い。
僕らの代わりはいくらでもいるのだそうだ。そうやって死ぬことこそ名誉なのだそうだ。
それを思い出して、僅かに胸に痛みが走ったけれど、それがなぜかはわからなかった。
僕は立ち上がって向こうを見た。どこまでも砂漠が続くばかりだ。オアシスなんて無い。奇跡だっておきない。戦争はなくならないし、誰にも頼ることはできない。夢を見ても意味はないし、腹いっぱいになんかなりはしない。泣いても母さんは返ってこないし、喚いても姉ちゃんは、望まない妊娠をし続けるだろう。
その事実は、どうあがいても変わりはしないのだ。
うだるような暑さの中、砂に足をとられながら前に進んだ。何度も転びそうになりながら、僕らはただただ前に進んだ。
わかってはいたけれど辛かった。泣きそうになったけれど、水がないから泣くことはなかった。
戦争が正しいと言う大人たち。それに従うしかない子供たち。それを進めているのは、紛れも無く人間の欲望と醜情。正しいかどうかなんてわからないけど、僕はもう戦いたくなかった。もう戦ってほしくなかった。
僕は家族で暮らしたいだけだった。明日食べるものがあるだろうかとか、殺されはしないだろうかと心配したくないだけだった。僕は辛かった。死にたくて生きていたくて訳がわからなかった。
そしてこんな状態なのに、罪を忘れようと思ってしまうのが苦しかった。
これは、この生活は、僕が母さんを殺したことの、僕が姉さんを守ろうとしなかったことの。僕が父さんを忘れたことの、罰なのかもしれなかった。
戦争が無ければ罪を犯さずに済んだかもしれないけれど、それはわからなかった。
僕らは地雷圏の先の戦場を目指し、歩き続けていた。遠く銃声が聞こえたけれど、僕らは歩みを止めることは許されない。




