第五章~静寂の森
「лⅶджШ」があるというその森は、うっそうと立ち尽くす木々で覆い尽くされていた。
「わー。何が出てきてもおかしくないですね……」
マージュはそう言って奥を覗く。
盛大に茂る葉で、陽の光など殆ど差し込まない深い森だった。
下草も背が高く、まるで森への侵入を拒んでいるようだ。
「私たちが付いてるんだから大丈夫よ」
テュリは不安そうなマージュを笑顔で元気付ける。
「そうだよ。行こうか」
ヴィーザはそう言うと草を掻き分け、森の中へと入っていく。
他の三人も銀髪の彼に続いて木々の間を歩いていった。
ここに来るまでに一行は何人もの魔王の追っ手に行く手を遮られた。
しかしこの魔族3人にとってそれらは所詮、雑魚なお相手だった。
ヴィーザとラドゥは本来なら直接、魔王側近の役に付くほどハイクラスの魔族だ。
故にその個々の能力は高く、今までの追っ手では二人に敵うはずがなかった。
それにテュリも持ち前の身軽さと弓の腕で、皆をサポートして頑張っている。
どういう事情かはマージュには判らなかったが今この二人はその守るべき魔王に背き、自分たち人間の為に力を貸してくれている。
マージュはこの二人に出会った自分の幸運と運命を信じていた。
暫く奥に進むとヴィーザは立ち止まり辺りを見回す。
「この森のどこかに石碑があるらしいんだけど……いったい、何処なんだろう?」
ヴィーザは後ろを歩くマージュたちに聞こえるよう、ワザとらしく独り言を言った。
「何ですって?」
テュリは不確かなヴィーザに少々怒る。
「こんな森の中で迷子なんてイヤよ!ねー、マージュ!」
「ええ。ちょっと困ります……」
不安そうにマージュも小さい声で言った。
「ははは。嘘だよ、テュリ」
からかわれた事に気付かないテュリたちに、場所を知っているラドゥはクスクスと笑う。
「えー!嘘なの?ひどーい!」
テュリは騙されたと知り、膨れた。腰に両手をやり、ヴィーザを目を眇めてみていた。
「悪い冗談だな。ヴィーザ」
ラドゥはそう言ってヴィーザを嗜めた。
「あはは。ごめんね。あまりにもテュリたちが静かだったから」
笑いながらヴィーザは二人に謝った。
先ほどから森に圧倒されるがごとく、何時もは賑やかなテュリが何も喋らなかったのだ。
マージュもそんなテュリにつられたか、無口だった。
普段と違う二人にヴィーザはつい、悪戯心を起こしたと言う訳だった。
「ほんとに冗談なの?」
疑わしそうにテュリはヴィーザを軽く睨む。
「ちゃんと進む方向は分かっているよ、テュリ」
そしてヴィーザはマージュに鍵を出すように言った。
「『鍵』ですか?」
疑わしげにしながらもマージュは言われたとおりに、「鍵」を胸ポケットから取り出した。
「そう。その『鍵』を辺りにかざしてごらん」
マージュはそう言われ、皮紐で繋いだ鍵を少し上にかざす。
ゆっくりとそのまま手を左右に動かすと「鍵」がとある方向に対して光った。
「そっちへ行くと石碑があるんだよ」
サヴァンに教えられた方向で間違いはない。ヴィーザはニコリと笑った。
騙されてしまった二人を安心させるため、目に見える確認方法を取って見せたのだった。
小一時間ほど歩くと茂みにうっすらと陽の光が当たっている場所に突き当たる。
「あ!あそこですね?」
マージュは待ちきれないとばかりに茂みを抜け、その先へ行ってしまった。
その後にテュリも続こうとするが、何かに阻まれ茂みを抜ける事が出来ない。
「やーん、なんでぇ?」
見えない壁と格闘するテュリ。
「ちょっと待ってて」
ヴィーザがサヴァンから聞いた呪解の言葉を詠んだ。
「さあ、これで進めるよ」
そしてテュリを先頭にヴィーザ達も茂みを抜ける。
その小さな開けた空間には話しに聞いたとおり、古びた石碑が建っていた。
風雨に晒され、何百年も人の訪れを待ち続けていた前王からの人間への贈り物。
ここは魔族によって荒らされた形跡がない。サヴァンの対魔族への結界は完璧だった。
「マージュどうしたの?」
テュリは黙って石碑を見ているマージュに声を掛けた。
「ほ、本当に伝説は真実を伝えていたんですね」
マージュはこの目で石碑を見るまで正直、半信半疑だったのだ。
しかし今目の前に伝え聞く“石碑”が建っている。その事実に言葉を失っていた。
ヴィーザは石碑に近付くと「ん?何か文字が……」と石碑に刻まれた文字を声に出して読む。
風化はしていたがかすれて読めないほどではない。
<我を求めし者はその証を捧げよ>
その文字の下には鍵穴らしき穴が開いていた。
「マージュ、ちょっと鍵を貸してくれないか?」
そう言われマージュはヴィーザに鍵を手渡す。
「ありがとう」
鍵を受け取るとヴィーザは穴へ鍵を差し入れた。
カチ……。
『……我を永き眠りから呼び起こすは誰ぞ?』
いきなり頭の中にそう言われ、ヴィーザ達は辺りを見渡す。
「上だ!ヴィーザッ!」
ラドゥが何者かの気配に気付き、頭上を見ると堂々とした「守護竜」が長い髯を揺らめかせ浮かんでいた。
目を細めるようにして、ヴィーザ達をじっと見下ろしている。
『魔族か……』
そう一言だけ言うと突然「守護竜」は襲い掛かって来た!
暗雲を呼び寄せると稲妻を轟かせ、鋭い鍵爪はヴィーザたちめがけ空を切る。
息をつくまもなく、矢継ぎ早に竜は攻撃を仕掛けてきた。
「こ、こんな物いるなんてサヴァン言ってたの?!」
テュリは竜の攻撃を避けながら叫ぶ。
「いや!言って無かったし、聞いてもいないよ!!」
ヴィーザも驚いていた。しかし今はそれよりこの「守護竜」を何とかしないと全滅だ。
「マージュはどこだ?」
この激しい攻撃がまともに当たると人間であるマージュはひとたまりも無い。
そう思いラドゥはマージュをここから逃がそうとする。
しかしマージュは果敢にも立ち向かっていた。
自分だけ逃げる訳にいかないとマージュは必死だった。
「気を付けろ!また来るぞ!!」
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「はあ、はあ。な、何とか倒した……?」
テュリは座り込んで肩で大きく息をしている。
マージュは大きな怪我こそないものの、地面に大の字になり荒い息をしていた。
「ああ、ヤツの気配が消えたよ……」
ヴィーザは剣を収めながら辺りを見回し、「守護竜」の圧倒的な気配が消えたのを確認した。
いきなり襲われたため体制を立て直すのに時間が掛かったが、整うと後は力を合わせなんとか守護竜を退ける事に成功した。
「でも何故?サヴァンはそんな事言っていなかった……」
ヴィーザとラドゥは、ちゃんと手順を踏んでいたはずなのにと「守護竜」の出現を訝る。
「ちょっとマージュ!あんた違う『鍵』を持っていたんじゃないの?」
テュリはマージュが「鍵」を間違えた為、竜が出現したと言い出した。
「ま、まさか!ちゃんと伝説の『鍵』ですよ!」
起き上がったマージュはそう言われ、珍しくムキになっている。
「じゃあ何であんな物が出てくるのよ!間違ったとしか思えないじゃない!」
「僕は絶対間違っていません!」
と、両者は一歩も譲らない。
「そう。『場所』も、『鍵』も合っていたのに……何故?」
二人の喧騒をよそに、腕を組みヴィーザは考え込んだ。
「……そうか!解った!」
納得の行く理由が見つかったのか、ヴィーザが大きな声で叫ぶ。
「何が解ったの?」
テュリはまだマージュと言い争っていたが、その声を聞きヴィーザに振り向く。
「ねぇ、早く教えて」
そう言いながら近づき、ヴィーザに答えを急かす。
「多分、『場所』も『鍵』も合っていた。でもね、『使う者』が違っていたんだ」
「え?どう言う事?」
ヴィーザは何を言っているのか?テュリは全然解らない様子だ。
「『使う者』が違うってどういう事ですか?」
マージュもヴィーザの言おうとしている事が理解できないでいた。
しかしラドゥは、「その鍵を使うのは“魔族”でなく『人間』でなければ為らなかった。そう言うことだな?」と正解を告げる。
「そう。私が『鍵』を使ったからトラップが作動したんだ」
「は?まだわかんない?」
テュリは小首をかしげて眉をしかめていた。
「つまり、サヴァンは万が一、『鍵』が魔族に渡り、そして鍵を使ってここの魔法を取り出そうとする魔族がいた時の為に<罠>を仕掛けんたんだ」
ここへの侵入を阻む結界を張ってはいたが、それが破られてしまった時を考えての防御策だった。
「魔族がこの『鍵』を使って魔法を取り出そうとして何度やっても、恐らくあの龍が出てきて無理だろうね」
と、ヴィーザは龍が出てきた理由についての考えを語った。
「て事は、私たちはその罠にまんまと引っ掛かったって訳?」
「そういうことだ」
ラドゥはテュリの言葉に頷く。
「サヴァン、この事すっかり忘れてたみたいだな」
覚えていたら教えてくれたはずと、ヴィーザは苦笑いを浮かべる。
「でも、今度は判ったんですから僕が鍵をつかえば良いんですよね」
「うん。頼むよ」
そう言ってヴィーザは再びマージュに「鍵」を手渡す。
鍵穴の前に立ち、マージュは思わず(ごくり……)と唾を飲み込んだ。
「今度こそ……」
ヴィーザは「人間が鍵を使えば大丈夫」と言ってはいたが。
マージュは深呼吸を一つする。そして鍵穴に「鍵」を差し込み回した。
途端に眩い光があたりに一面に広がる。
「わあぁ……」
また竜が出てこないかと、上を見上げたマージュから感嘆の声があがった。
先ほど「守護竜」が出現した虚空から一冊の「本」が姿を現す。
やがてそれはゆっくりと一片の羽根が舞い降りるが如く、静かにマージュの手の中に降りて来た。
マージュは手にしたその本のずっしりとした重みを感じる。
この一冊の魔法書の中にサヴァンの「大魔法=лⅶджШ」が収められていた。
「これで人間は救われるんですね?」
本をしっかりと握り締め、泣きそうになりながらマージュは言った。
「そうだよマージュ。でもこれで終わりじゃない」
ヴィーザは喜ぶマージュに申し訳なさそうに告げる。
「え?どう言う事です?」
その言葉を聞くと、マージュの嬉々とした表情が落胆の表情に変る。
「それを発動するために、まだこれから行かなければならない所がある」
ラドゥもまだ旅の終わりでない事をマージュに説明する。
「まだ何処かに行くの?」
テュリも「これで終わりだ」と思っていただけに、続きがあると聞いてガッカリした。
「まだ終わりじゃなかったんですね……」
寂しそうにマージュは俯く。
「じゃ、そこへサササ~と行って、サササ~と終わらせましょうよ」
すこしヘコミ気味だったマージュを励ますように、おどけてテュリは明るく言った。
「ここまで来れば後少しだ」
微笑を浮かべてラドゥもマージュに「もう少しだ」と励ます。
だがヴィーザは一人、想いに耽っていた。
「忘れられた城」
そこに行けば全てが終わる。
そして人間は今のように魔族に苦しめられる事は無くなる。
そうあと少しだ。でもこれからの方が危険が増す。
「本」を手に入れた今、一刻も早く最終目的地である場所へ行かなくては。
追っ手にこの「本」を知られ、奪われないうちに……。だが……。
「そうだね。早くこの旅を終わらせたいね」
ヴィーザは誰に言うとも無く、そう呟いた。
[ 第五章~静寂の森 ]
END