第一章~二人の魔族
Dual Moon
―それは魔物と人間とが同じく暮らす世界の話―
「はあ…はあ…はあ……」
荒い息が深い森の中に吸い込まれていく。
一人の少年が「何か」から逃れようと必死に走っていた。
そして少し開けた場所に来ると後ろを振り返り、何も追ってこないのを確かめると乱れた息を整えようと立ち止まる。
「はあ……はあ…も……もう、大丈夫かな……?」
両膝に手を着いて何度も深呼吸を繰り返し、額に流れる汗を拭う。
暫くそうしていたが、辺りに小鳥の声しか聞こえず、他の物音がしないことにようやく硬かった表情を安堵に変えた。
が、その瞬間。
「ウケケケッ!馬鹿な人間が!!このオレ様から逃れられると思っていたのか?」
巻いたと思っていた相手が、ゆらりと少年の目の前に再び現れた。
どうやら安心するのを待っていたらしい。
獲物を甚振る濁った眼球が、再び青ざめた少年をねめつける。
「もう『鬼ごっこ』は終わりか?」
“鬼人”はニヤニヤと笑っている。
「あ……!」
「ほら逃げろよ。今ならまだチャンスはあるぜ? 」
その言葉を聞くと、恐怖で動けなかった足を引きずるように少年が後ずさりをする。
そして逃げようと踵を返した瞬間、それよりも早く魔物の一撃が少年の背後を襲う!
「うわーーっ!」
容赦なく着ている服ごと、少年の無防備な背中は鬼人の鋼鉄に近い爪で引き裂かれる。
少年は森中に響く絶叫をあげ、為す術もなくおびただしい血を流しながらその場に倒れてしまった。
「へへ、初めからおとなしく『アレ』を渡していればこんな目に遭わなかったのによ」
楽な仕事だ、と目的をほぼ果たした鬼人は上機嫌な顔で、倒れた少年から渡す事を拒否された物を捜し始めた。
ズボンのポケットを隈なく探り、そこには無いと分かると暫し思案し、うつ伏せで倒れている少年の身体を持ち上げる。
そのまま引っくり返すと胸のポケットを弄り、ようやく皮紐で繋がれた小さなそれを見つけ出した。
「おっ!あったあった♪任務完了~」
目的の物を手にするとニヤリと笑みを浮かべた。
が、その時、ガサ……っと茂みの奥から何かが近づいてくる気配がする。
「この辺りで人の叫び声が聞こえなかったか?」
どうやら動物でなく、誰かが叫び声を聞いてこちらへ来るようだ。
(ちっ!)
舌打ちをすると魔物は姿を消して様子を見ることにした。
(ククク、間抜けな人間が後何人か食えるな…)
と、鬼人は喜んでいた。
だが茂みから現れたのは二人の若い魔族。
一人は吸血鬼族、もう一人は人狼族のようだ。
「あっ!」
大量の血を流し、倒れている少年を見ると当然の事のように助けようと足早に駆け寄る。
だが少年を襲った魔物が少年と近づく魔族の間に姿を現し、前に立ちはだかった。
「余計なことするんじゃないぜ、にーちゃん方よぉ!これは俺の獲物だッ!!」
そう言いながら鬼人は2人に襲いかかる!
己の戦闘センスに自信があるのか、2対1で分が悪いなど思いもしないらしい。
「何者だ!?」
応戦しながら問うが、襲撃者は答えようとはしなかった。
「問答無用という訳か?」
肩までの浅葱色した髪を束ねた人狼族が攻撃を受け流しながら呟く。
一応考えはあるのか、非力な魔術系の吸血鬼族の方を先に仕留めようと、狙いをそちらに定めたらしい。
だがその青紫の目をした吸血鬼は魔法を唱えず、腰から剣を抜くと応戦する。
「ぐわっ!」
そして長い銀の髪をした吸血鬼族の剣が相手を捉えると、あっさりと勝負はついた。
「ぐっ……な、ぜ…人間を…救おうと…する……?」
そう言い残すと魔物は跡形もなく消滅してしまった。
「おい!大丈夫か?」
襲ってきた敵を難なく倒すと二人は倒れている少年へ駆け寄り、助け起こした。
意識は無かったが幸いにも急所は外れている。
しかし非常に危険な状態で、このままでは出血多量の為に死んでしまうのは確実だった。
「たしかこの先に、今は使っていない小屋があったな。そこへ運ぼう」
応急の止血をしながら二人は相談する。
「う……か、鍵…は……?」
人の気配に少年はかすかに気がついた。
瀕死の息の下、自分のことより奪われまいと死守した「鍵」の行方を案じている。
「鍵?」
手当てを施している人狼族がその言葉を聞き、訝しげに吸血鬼族を見上げた。
その視線を受け、魔族の青年は辺りを見回す。
そして先ほど塵散した鬼人が居た場所まで赴くと、光る小さな鍵を拾い上げた。
「鍵って、…今倒したやつが持っていたこれかな?」
前後の状況から判断すると、これに間違いはないらしい。
「早く運ばないと……。一刻を争うぞ」
じっと掌の中の鍵を見つめる吸血鬼族を、人狼族が急かす。
「ああ、そうだね。急ごう」
そう応えると、2人は血まみれの少年を抱え上げ、治療できる場所へと向かった。
*☆*――…――*☆*――…――*☆*――…――*☆*――…――*☆*
パチパチと火のはじける音で少年は目を覚ました。
(ここはどこだ?それに確か…)
はっきりとしない頭で考えてみる。
そして、あの魔物に襲われた瞬間を思い出したのか、少年はゾクリと項を震わせた。
どうやら自分は助かったようだ。
(一体誰が僕を…?)
ゆっくりと首を動かして辺りを見る。何処か、小屋の中のようだった。
どうやら手当てを受け、簡素なベッドに自分は寝かされてるらしい。
そして火の前にいる、長い髪をした人物の後ろ姿が目に映った。
(あの人が僕を?)
少年の起きた気配を感じたのか、その人が振り返り近づいてくる。
(あ、…あれは……魔族!?)
途端に少年の顔が恐怖に強張るのが手に取るように分かった。
「ああ、やっと気がついたね?よかった…」
しかしそんな少年の様子に気づいているのかいないのか、柔らかな口調で話し掛けたのは、少年を襲ったのと同じ“魔族”だった。
しかも魔族の中でも人間が1,2を争うほど恐れている吸血鬼族…。
(まさか僕を追って?いや、それなら『鍵』が手に入れば僕に用はないはず……)
少年は慌しく考えをめぐらす。
(……そういえば『鍵』は?)
「君は3日間、意識がなかったんだよ」
銀色の髪をした魔族はじっと見つめる少年に、悪意のまったくない笑顔を向ける。
「傷は痛むかい?」
この彼は今まで見たことのある他の魔族と違って荒々しさがなく、落ち着いた雰囲気をまとっていた。
本当に自分を気遣っていてくれる。口調からもそう感じられた。
「……」
自分を見て何も言わない少年を見て、魔族の青年(だろうか?)は自己紹介を始めた。
「私はヴィーザ。そして後一人、私の友人でラドゥという魔族がいる。今は薪を取りに行っていないけどね」
そう言うと、ニコリと微笑む。
「私も君を襲ったヤツと同じ魔族だからね、信用できないのも、警戒するのも解るよ」
少年に掛かる毛布を直しながらヴィーザは傷の様子を見る。もう出血は止まっていた。
「でもせっかく塞がりかけた傷が開くから、絶対に動いちゃダメだよ?」
ヴィーザは少年にこのまま安静にしているよう言った。
「……あなた方は……信用できると思います……。どう……とは言えないけど、何より僕を……助けてくれました……」
少年はようやくゆっくりと喋り出した。だが出血の所為か、顔はまだ少し青ざめたままだ。
「もし良かったら何故、君が襲われたか教えてくれないか?」
ヴィーザたちが人間を襲う魔物に出会うことは初めてではなかった。
しかしどうも何時もの人間狩とは違う。目の前に居る彼が襲われたのは、単に獲物としてではないような気がする。
それにあの魔物が最後に呟いた言葉に引っかかるものがある…。
疑問に思ったヴィーザはようやく気づいた少年に問いかけてみた。
「……」
しかし少年はヴィーザの問いかけに答えることが出来ず、苦しげに目を閉じ、受けた傷の痛みに耐えていた。
急に動いた事が堪えてるらしい。
「あ、今すぐにとは言わないよ。傷も痛むだろうし……」
ヴィーザはまだ意識が戻ったばかりの少年に無理をさせまいと、側を離れようとした。
だが少年は「……いいえ……大丈夫です」と、ヴィーザを呼び止める。
「僕……マージュ、マージュ・マクトといいます……」
そういってマージュが追われていた理由を語り始めた頃、もう一人の魔族、ラドゥが大量の薪を携え帰ってきた。
人間と魔族。この他にも数多の一族が住むこの世界は、一人の魔王によって支配、統一されていた。
そしてこの魔王は500年毎に新しい王に生まれ変わる。
だが生まれ変わると言っても全てが変わるわけでは無い。
王の魔力はそのまま受け継がれるが、姿形、考え方、中でも特に人間に対する扱いは変わってみないと解らなかった。
今の王を「現王」と呼び、前の王を「前王」と呼んで区別をしているが、前王はそれは人間を愛し、慈しんでいた。
しかし、現王は前王の慈愛があまりに深かった反動からか、人間に非常に冷酷な王となった。
その為現王になってからというもの、人間にとって悪夢のような時代の幕開けとなる。
魔族に安住の地を追われ、破壊された村や町は数知れず。
そうかと言って魔族に反乱の刃を向けることは、更なる復讐を呼び、その一帯の人間は根絶やしにされる。
そして現在。
前王の保護があった人間は数の上では今だ魔族に勝ってはいるものの、特別な力の無い人間は魔族には逆らえず、反対に魔族は人間にやりたい放題の暗黒時代……。
だが、人間を愛した前王はこのような受難の時を迎えたときの為にと、人間にある“魔法”を創り上げ、授けておいた。
“人間を救う大魔法”として、それを発動するのに必要な「鍵」と共に……。
けれども人間の寿命は短い。
その“大魔法”も現王に変わる頃には「鍵」伝説として語られるだけの存在となってしまっていた。
人間が前王から授かった“大魔法”。それも今では肝心の人間にとっては「おとぎ話」でしかない。
とうに人間に忘れられたこの“大魔法”だったが、いつの頃からか現王の知る処となり、事実、“大魔法”が存在すると知った現王の怒りに触れた。
こうして各地にばら撒かれた魔法を発動するのに必要な「鍵」の回収が、魔王の命令によって行なわれていた。
そしてその「鍵」のひとつを持つマージュが渡すのを拒否したため、魔王の追っ手に襲われたのだった
「僕は…人間を救うと…言われている魔法の存在が……単なる伝説には思えなかったのです……。だから『鍵』を持って旅に出て……。でも、途中に……あの魔族が現れ『鍵』…をよこせと……。後は…ヴィーザさんの…方が詳しいでしょう」
「そうだったのか」
話を聞き終わった2人は顔を見合わせると、そっと息を吐いた。
漸くヴィーザ達はあの鬼人が2人に問答無用で襲い掛かり、何故、マージュが狙われたのかが解った。
あの魔族もそのまま「鍵」を持ってその場を離れていれば、消滅することもなかったろうに…。
ヴィーザは思わず苦笑いを漏らす。
「あの…それで『鍵』は……?」
マージュはおずおずと聞いてきた。
ひょっとしたら「鍵」を奪った魔族がそのまま姿を消してしまったかもしれない。
だが、心配そうにベッドの上からヴィーザたちを見上げるマージュに、銀髪の青年はニコリと笑う。
「ちゃんと返してもらって君の枕もとに置いてあるよ」
ほら、と言いながら身体を動かせないマージュの為に、件の「鍵」を持ち上げ見えるようにしてやる。
「そうですか……よかった……」
話し終わるとマージュは疲れと「鍵」が無事であるのを確認し、ほっとしたのか再び眠りに就いた。
(鍵伝説?……確か以前そのような“魔法”を、超命族の一人が創ったと言う噂を聞いたことがあったな……)
ヴィーザたちは今聞いたマージュの話に心当たりがあった。
しかし、魔族である二人は以前この話を聞いたとき、人間が生み出した「希望」だと思っていた。
「ラドゥ、単なる噂話かと思っていたけど、どうやら本当に“人間を救う魔法”は存在するらしいね」
ヴィーザは眠ってしまったマージュを起こさないよう、ベッド傍から離れる。
その後を歩きながら、ラドゥも相槌を打った。
「そうだな。現王が躍起になって「鍵」を探してる処を見るとな」
(創造した超命族か……)
超命族(別名、時の傍観者)は魔族より更に長いライフスケールを持つ一族で唯一、この世界において魔王の支配を受けない一族でもある。
しかし、非常に少ない人数でしかも一人一人が隠れるようにして暮らしているため、その所在を知る者も稀であった。
「ラドゥ、彼を看ていてくれないか?私はちょっと食料の調達と、何か情報が無いか魔族の町まで行ってくるよ」
そう言うとマントを羽織り、腰に剣を帯びる。
「判った。気を付けてな」
暫く考えていたヴィーザは、ラドゥにマージュを頼むと一人、町へ向かった。
*☆*――…――*☆*――…――*☆*――…――*☆*――…――*☆*
魔族の町に来ると、早速超命族に関する話がないか尋ねて回る。
「超命族?あんな希少な一族あったこと無いよ」
「さあ、聞いたこと無いな」
人々から聞く話はあまり芳しくはなかった。
しかし「酒場に行けばいろんな旅人も寄るから、何か情報があるかもしれないよ?」と、教えてくれた魔族がいた。
確かに酒場だと色々な噂話が集まってるかもしれないな。
ヴィーザはそう考えると表通りにある酒場へと足を向けた。
酒場のドアを開けるとここには店も併設されているらしく、にぎやかであった。
食べ物や酒に混じって、言いようのない匂いも若干混じっている。
魔術に使う香料の取引も行っているんだろうか…。
つれづれに考えながら辺りを見回してみると、顔見知りの同族が座っているのを見つけた。
ヴィーザは躊躇わず、自分と変わらない年恰好の魔族のいる席へと歩いていった。
「ハーディ、久しぶりだね」
近づいていくとニコリと笑いながらヴィーザは挨拶をした。
「あっ!ヴィーザじゃないか。何百年ぶりだ?」
そう言うと思いがけない再会に喜び、相手も笑みを浮かべながら自分の前の席を勧めてくれる。
「えーとあの事件以来だから……」
最後に会ったのは何時だったか、とハーディは記憶を辿っている。
だが椅子に座りながらその言葉を聞くと、ヴィーザの顔が微かに曇った。
自分が魔法に頼ることをやめ、剣を手に取るようになったあの忌まわしい“事件”……。
ヴィーザはほぼ相手に気取られることなく表情を変えたつもりだったが、長年の知り合いには当然のごとくばれてしまう。
「あ、すまん。嫌な事を思い出させて……」
旧友の様子にあわててハーディは謝る。
しかしヴィーザはゆっくりと、気にしていないと言う風に首を左右に振った。
「あれは『事故』だったんだ。気にするなよ。それよりヴィーザ、こんな所でどうした?」
ヴィーザは自分を気遣ってくれるハーディが、そしてあの事件を知っても、友達で居てくれる彼がありがたかった。
「いや、実は超命族を捜しているんだが君、知らないか?」
問われた事にそう返すと、ここへ来た理由を説明し始めた。
「超命族?なんでまた」
殆ど魔族と接点がない超命族を探すという友人を、ハーディは訝しげに見る。
「いろいろあってね」と、ヴィーザは肩を軽く竦めるようにした。
「ふーん。また魔術研究の事かなんかだろう?超命族に会いたいって、大方そう言う理由だろうな」
目の前の友人を良く知っているハーディは、探す理由を研究の為と推測する。
「ま、お前はオレと違って研究熱心だったからな」
ハーディは昔を思い出して笑っていた。
「悪いがオレは知らないな。力に成れなくてスマンな」
本当に申し訳なさそうにハーディは詫びる。
「いや謝ることはないよ。こちらこそ楽しんでいる所に悪かったね」
「今度会ったら飲もうな」
そう言いながらハーディは自分のグラスをヴィーザへと掲げる。
「うん、勿論」
ありがとう、と最後に言って席を離れるとヴィーザは他の客に聞いて回った。
「えーと、たしかこの店の誰かから、昔猫族の誰かが会ったって話、聞いたことあるぜ」
隅の目立たない壁際で飲んでいたこの常連の客は「超命族とは珍しい事」と覚えていた。
僅かながらもようやく手がかりがあった。
そして常連客が教えてくれたカウンターの中の女の子に聞くと、彼女が会ったことのある魔族を知っていた。
「超命族?ええ、以前知り合いの“猫族”から聞いた話なんだけど、その子が旅先で逢ったって言ってたわよ」
「何処で逢ったか聞いていないかい?」
「残念だけど忘れちゃった」
女の子は申し訳なさそうにしながらも、クスッと笑う。
「猫族か……。それで“その子”のいる所はここから遠いのかい?」
彼女が覚えていないなら、直接その本人に聞けばいい。
「いいえ。そんなに遠くはないわ。ちょっと待ってて…」
そう言ってカウンターの奥から地図を出してわざわざ説明してくれた。
丁度店も暇な時間なのか、空いているテーブルにその地図を広げる。
「猫族の村はここから西に少し行ったところにあるわ」
彼女が「今はここ」と言いながら現在地を示し、そのまま指をずらすと猫村のある場所を示してくれた。
見ると確かに近い。
(早く帰らなきゃいけないけど、ここまで来たついでに話を聞いて帰ろうかな……)
往復しても充分夕方までには帰れそうな距離だ。
ヴィーザは礼を言うとその足で猫族の村に向かった。
[ 第一章~二人の魔族 ]
END