閑話その三:shame on me!
唐突だが、波津野奈保は天然系お色気を振りまく、明るく元気な女子大生だ。
今日も今日とて「ぱらいそ」の入り口に立ち、ご来店されるお客様全員に愛嬌とお色気と笑顔を振りまく彼女。ある意味、無敵とも言える。
しかし、そんな奈保にも苦手な人物がいた。
これは一年前、奈保が大学二回生の時の、天敵とも言える人物との戦いの話である。
一、
「Shame on you!」
それはまだ大学に入りたての頃。運悪く当たってしまった英語の講義で立ち上がり、たどたどしくも健気に訳してみせる私に、英語の遠藤先生は厳しい顔をしていきなりそんな事をのたまわれた。
「はい? あー、もしかして『座っていい』って言われました?」
「違う! 『Shame on you!』をどう聞き間違えたら『Sit down』になるのかね、キミは?」
御年五十歳を迎え、すっかり髪が薄くなった頭皮に、血管を浮き上がらせる遠藤先生。ああ、そんなに怒っちゃ体に悪いですよぉ。頭の血管が切れてぽっくり逝かれても、なっちゃん、責任取れないですヨ?
だから、私は出来る限り穏便にすませようと、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、ごめんなさい、その『シェイム・オン・ユー!』ってどういう意味?」
私の質問に、思わず遠藤先生は頭を抱えた。
ヤバイ、切れちゃった? 逝かれちゃった?
「馬鹿たれ。『恥を知れ』って意味だ! それぐらい常識だと思うのだがね」
頭を上げて、苦虫をつぶしたような表情で答えてくれた。
私を見る目が侮辱に満ち溢れているような気がしないでもない。でも、私は「あ、良かった、生きてた」と、遠藤先生のご帰還に心の中で万歳三唱をしていた。
だから、思わず派手に後悔するようなゼスチャーをしながら、こんな軽口を叩いたんだ。
「おー、あいむそーりー。シェイム・オン・ミー(恥を知れ、私)! イエイ!」
この事件をきっかけに、私が遠藤先生にみっちりマークされてしまったのは言うまでもない。
とゆーか、毎回講義の度に当てられるのに、一回生の時は単位を貰えなかったんですけど、私。
いじめか? いじめなのか?
もっとも、これといい、アレといい、あと根本的に私の英語能力に問題があったりするわけで、思いつくところがいっぱいあるんだけど。でも、今年こそは単位を貰って、この講義から卒業したいなぁと思う。私のためにも、そして私とのやり取りで思わず遠藤先生が逝っちゃわないためにも。
二、
「奈保、ちょっと伺いたいことがあるんだけど!」
ゲームショップ『ぱらいそ』でバイトをしていると、店長の美織ちゃんがなにやら神妙な面持ちで話しかけてきた。
「うん? どうしたのかな?」
私はいつもと雰囲気が違うのを感じつつも、お気楽に応じる。
これはなっちゃんの性分、うん仕方ない仕方ない。
「常連から聞いた話なんだけどさ……あんた、大学の教授とヤラシーことして単位貰ってるってホント?」
さすがは美織ちゃん。どストレートだ。
突然の美織ちゃんの爆弾発言に、周囲の空気が一変する。ざわざわざわざわ。ああ、ぱらいその店員はみんなカワイイ子ばかりなのに、今は顎が尖がったグラサン男ばりにざわついてるよ。
うん、ここは先輩として、そんな誤解は奇麗さっぱり払拭しておかないとネ。
「あはは、いくらなっちゃんでもそんなことしないよぉ」
私はケラケラと笑って答える。
ホッとした表情を浮かべるのは、私のカワイイ後輩たち。
対して美織ちゃんは……あ、まだなんか疑ってる。
もう酷いなぁ、このなっちゃん、そう簡単に乙女の大事なものをあげたりしないんですよ?
「ホントに?」
「ほんとほんと」
だって。
「私がやったのはビキニ姿で先生の研究室を訪ねて『はい、教授、いっぱいどうぞ』ってお酌して回っただけだよ?」
あんぐりと驚く後輩や美織ちゃんたちをバックに、私は腰に両手をあてて、どうだと胸をはってみせた。
自分でも感心するぐらいたわわに実った果実がぽよんぽよんといい感じに揺れる。
さらにそこへフレンチメイドスタイルをさらに一歩推し進めた、おっぱいの谷間が無駄に自己主張されるジャパニーズメイドスタイルのメイド服を着ているなっちゃんであるからして、もう最強、今のなっちゃんは地上最強無敵モードなのですよ!
事実、可愛らしい女の子の姿をしているけれど、実は男の子(なんでも世間では男の娘と呼ばれるらしいよ。日本って色々なところでイっちゃってるよね)な司クンが顔を真っ赤にしながら食い入るように見つめているモン。
「あ、あ、アホかーーーーーーーーっ!」
なのにその最強な私に美織ちゃんがジャンプして脳天にチョップをかましてきた。
「あいたー」
「あいたー、じゃないわよ! ビキニ姿でお酌ってあんた、どこの水商売の人よ?」
「えー、それを言ったら『ぱらいそ』だってどっこいどっこいだよー。ほら、この前の夏だって『冷やしなっちゃん、はじめました』ってビキニで働いてたし」
「お酒は出してないでしょーが! それにそんな姿でお酌なんかしたら、エロい男たちはお触りしてきたり、舐めてきたり、しまいにはあんなところを弄ったりしてくるんでしょう!?」
「あはは~、そんなことされたらこれにサイン書いてもらうから大丈夫なのだ!」
私は真っ白い清潔感たっぷりなエプロンのポケットから、一枚の紙切れを取り出す。いつも肌身離さず持っているのでちょっとボロっちいけど、それでも婚姻届には違いない。
すでに私の名前や生年月日、住所や本籍地などなど、自分が書ける部分は記入と捺印をしているので、あとはお婿さんの情報を書き込むだけだ。
「でもねー、大学の先生ってみんなムッツリだったよ。『ダメだよ、キミ。こんなことをしては』なんて言いながら、みんな、白々しく胸の谷間を覗き込んでくるんだけど、結局何もしないの。んで、ドゾよろしくってお願いしたら、単位くれたよ?」
おかげでまぁ単位は人並みにゲットできた。
ただ、あわよくば養ってくれる旦那様をも手に入れようという目論みは上手くいかなかった。
まぁでも大学の先生よりもお金持ちの人ってまだまだ世の中にはいっぱいいるからね。なっちゃん、くじけない。
そう、私の夢はお金持ちの人に嫁ぐこと。
つまりは玉の輿なのだ。
三、
「なっちゃん先輩~、昼間のアレってマジですか?」
お勤めが終わって更衣室で着替えていると、後輩の葵ちゃんが声をかけてきた。この春に『ぱらいそ』に入ってきた高校一年生の子で、人懐っこい笑顔と気さくさが魅力的な女の子だ。もちろん、私もお気に入りだ。
「昼間のアレって言うと、『ぱふぱふ一回一万ゴールド』って新サービスのこと?」
「違いますよっ! てか、そんな新サービスをやろうとしてたの?」
「久乃さんに怒られちゃった」
「当たり前ですよー。そうじゃなくて、大学の教授から色仕掛けで単位貰ったって……」
「あー、あれね」
私はニカっと笑った。
「ホントだよん」
葵ちゃんが「やっぱりそうなのかー」って納得顔と「でも、ホントにそれだけなのかな?」って疑問顔が見事に半分半分みたいな表情で見つめてくる。
もう信用ないなぁ。
「でも、ホントにこの制服でお酌しに行っただけだよ? 何にもされてないって。でも、されても良かったんだけどなー、大学の教授ってのもそこそこお金持ってるしねー」
私はひらひらと婚姻届を振ってみせる。
「えっと、それもマジだったりする?」
「そだよー。葵ちゃん、誰かいい人知らない?」
「美織ちゃんのお爺ちゃんとかどうです?」
冗談のつもりだろう。葵ちゃんがケラケラ笑いながら言ってきた。でも、
「うん、実は前から狙ってるんだー」
「マジでっ!?」
「マジもマジマジ。だってかつては経済界の影の首領とまで呼ばれた人だよ? お金も持ってるし、なんだかんだでまだまだピンピンしてるし、狙わない手はないのだー。あ、取らないでね?」
「取りませんよー」
即答だった。うんうん、なっちゃん、いい後輩に恵まれたよ。
「でも、先輩、それって悲しくない? 愛情より、お金って」
「うん、よく言われるよ、それ。でもさぁ」
私は更衣室の椅子に座って、葵ちゃんを手招きした。
慣れたもので葵ちゃんは私の後ろに立つと、絶妙な力加減で肩を揉み解してくれる。うー、効く効く、葵ちゃんのマッサージ、サイコー!
「なっちゃんて、基本的にみんな大好きなんだよー。だから、愛情ってほとんどの人に対してマックスだから、決められないんだ、好きな人なんて。告白なんてされたら、それこそ誰にでもホイホイ付いていきそうな気もするよ」
葵ちゃんのマッサージが、揉みから叩きへと変わる。振動で揺れるマイおっぱいが我ながら実にエロい。
「そんなことに中学生の頃かな、気が付いて。これはなっちゃんの中で何か特別な指針を立てないとダメだって思ったんだよ」
「それがお金だった、と?」
「うーん、まぁ、言ってしまえばそうなんだけど。なっちゃんね、一人っ子だったから、ずっと兄妹が欲しくてさー。だから、結婚したら子供がいっぱい欲しいの。だったらいっぱい子供がいても大丈夫なぐらい稼げる人がいいなぁって思ったんだ」
そう、結構ちゃんと考えてんだよ。単なる銭ゲバじゃないんですよ?
「でも、そのためには涙ぐましい努力もあったんだよ。たとえば、このおっぱい。男の子はみんなおっぱい大好きだから、大きくなるようにと中学生の頃から牛乳いっぱい飲んで、毎日揉みまくったしね。葵ちゃんはそんな努力、しなかったでしょー?」
「どういう意味だ、それ? いや、まぁ、確かにしてないけど……」
葵ちゃんの肩を叩く力が少し乱暴になる。ごめん、決して葵ちゃんのソレを貶したわけじゃないんだよ。
平均的な葵ちゃんのソレも、私、決して嫌いじゃないヨ。
「まぁ、そういうわけでなっちゃんはお金持ちの人と結婚したいのだー。お金持っている人と結婚して、いっぱい子供を作って、目指せ一家揃って侍ジャパン!」
「壮大な夢だ!」
「WBCで世界一になって、ワールドカップでも優勝するのだー」
あははーとふたりして笑いながら、葵ちゃんが「ところでなっちゃん先輩、さっきは『みんな大好き』って言ってましたけど、苦手な人とかいないんです?」と訊いてきた。
そんなのもちろんいない……と言いたいところなんだけど。
「それがひとりだけいるんだよー」
葵ちゃんに「聞いてよー」ともたれかかる。
ちょっとお酒でも呑みたくなってきた。
四、
「へぇ、なっちゃん先輩にもそんな人が……」
葵ちゃんが首のつけ根をぐいぐいと押さえつけてきた。うー、これ、キモチイイ。おっきなおっぱいをふたつも抱えて常に肩こり気味だからたまんらんですよ。
「大学に遠藤先生って人がいるんだけどね……」
私は手身近に「シェイム・オン・ミー事件」を絡めて遠藤先生の人となりについて話す。
大学なんて学生も学生なら先生も先生だって人が多い中、ただでさえ出席に厳しい上にあの事件以降必ず私を指名しては恥をかかせてくれて、しかもそのくせ単位をくれないという困ったお爺ちゃんだ。
「おかげでなっちゃん、毎回しぇいむ・おん・みーって言わされてるんだよー」
英語の和訳にてんやわんやの私に、必ず「Shame on you!」と言い放つ遠藤先生。
そして、その度に「しぇ、しぇいむ・おん・みー」と言わなければいけない私。
それは校内にも広く知れ渡っていて、ひそかにみんながなっちゃんのことを「しぇいむ・おん・みーさん」と呼んでいたりするのも聞き及んでいる。自業自得とはいえ、まったくもっていい迷惑ですよ。
「そう言えばなっちゃん先輩、その遠藤先生にはハニートラップ仕掛けなかったの?」
「やったよ。やったけど……ヒドイ目にあった」
葵ちゃんの言葉に、嫌な思い出が頭に広がっていく。
他の教授たちには上手くいったけれど、遠藤先生には成功する確率は低いだろうなぁって最初から思っていたんだ。でも、せっかくだし、やらないよりかはましかなと思って遠藤先生の研究室をノックした。
『誰だ?』
『あ、一年の波津野奈保です』
『キミか。一分ほど待て』
きっかり数えること一分、研究室の扉を開けた遠藤先生は私のビキニ姿を見るなり、明らかに嫌な顔をした。あ、作戦失敗。すぐにそう判断した私は、適当なことを言って逃げようとしたのだけれど。
「キミ、ちょっと中に入りたまえ」
あれ、意外と好反応? もしかして上手く行っちゃうのかなと、言われるがままに中に入ったのがマズかった。
うん、それから延々3時間ばかりお説教をくらったヨ。しかも、その間、なっちゃんご自慢のおっぱいをまったく見なかった。興味ナッシングだった。もしかしたら貧乳好きなのかもしれない。おまけに「Shame on you!」って言葉も何回言われた。さすがの私も本気で「ワタシ、馬鹿じゃん」って思わされた。
思えばあの時から本格的な苦手意識が生まれたのかもしれないなぁ……。
「先輩ってそんなに英語ダメなんです?」
「ううう、だってなっちゃん、日本人だもん!」
「あたしもですよ! でも、なっちゃん先輩、お金持ちの人と結婚したいんでしょ? その人が外国人かもしれないんだから、英語ぐらい出来た方がいいですよ、きっと」
「そうかもしれないけどー、んんんー」
さすがの私もこればかりは泣き言を言ってしまう。
いや、分かってんだよ? 自分が馬鹿な事ぐらい。
でも、だから、馬鹿は馬鹿なりに頑張ってるんだよ。胸の谷間をさらけ出して、お酌したりしてるでしょ?
英語だってさー、そういう方法が使えないから、諦めてちゃんと勉強してるよ。でも、分かんない物は分かんないんだよー、仕方ないじゃーん。
「なっちゃん先輩って見かけによらず真面目なのになぁ。なんか可哀想……」
「葵ちゃん!」
私は思わず振り向いて葵ちゃんに抱きついていた。
「そーなの。実はそーなんだよ、なっちゃん、結構真面目なんだよー。アホなことばっかりするから、そう見えないかもしれないけれど、根は真面目なんだってばー」
感動の余り、葵ちゃんをぎゅっと抱きしめる。
アホだ、アホだと言われ続けて二十年。やっと私の奥底に眠る真面目さを見つけてくれる人がいましたよ、父上様母上様。
お正月には是が非でも連れて帰って、挨拶をさせますね。
「痛い痛い! 先輩、いいことを教えますから、ちょっと離してー」
「いいこと? なに、もしかして葵ちゃんはお金持ちで、しかも男の子だったとか?」
「意味分かんないよー。そうじゃなくて、なっちゃん先輩、英語の講義で和訳を当てられるって言ってたよね? 文法とかじゃなくて」
「うん。リーディングの講義だから」
「ちなみにテキストはなんです?」
「えっとね、ヘミングウェイの『老人と海』って言うヤツで」
「なっちゃん先輩……」
抱きしめた葵ちゃんが私の耳元で溜息をついた。あ、くすぐったいけど、なんかキモチイイ。
「葵ちゃん、もう一回耳元でふーと息を」
「あのね、なっちゃん先輩、和訳書籍って知ってる?」
「……はい?」
私のリクエストを遮った葵ちゃんの言葉に、アホっぽい声をあげて固まった。
ワヤクショセキ、ナンデスカ、ソレハ?
すると葵ちゃんは無理やり体を離して、私の顔をジーと見てくる。
あー、やっぱり知らなかったかって顔をしていた。
ワヤクショセキ。和訳書籍。つまり、和訳された書籍なわけで……ん、和訳、だと?
「って、ああっ!」
ごめんなさい、お父さん、お母さん、やっぱり私、アホの子でした。
「ひとつ聞きますけど、その講義、なっちゃん先輩以外の人はスラスラ和訳してたりするんじゃ?」
「うん、してる……」
「でしょうねぇ。だってみんな、先生に指名されても和訳書籍と照らし合わせて読んでいるだけですもん」
まさかそんな秘密の方法があったなんて! なんで私はそんな事に気付くことができなかったんだろう。いや、そもそも……。
「なんで、みんな教えてくれないんだよーっ!?」
私は吼えた。ご近所迷惑顧みず、吼えずにはいられなかった。
「えっと、多分なっちゃん先輩が先生に指名されている時って居眠りするチャンスだからじゃないかなぁ」
鬼だ、渡る世間は鬼ばかりだっ!?
五、
「それでは、次を、シェイム・オン・ミー君、訳してみたまえ」
「誰がシェイム・オン・ミーだ!?」
「そう言いながら立ち上がるのだから、自覚ぐらいはあったみたいだねぇ。よかったよかった」
「あっ、しまったっ!?」
遠藤先生がくっくっくっと笑うのを、私は悔しそうに見つめた。
金曜日二限目の遠藤先生が受け持つ「英語1」。その中盤に差し掛かったところで、いつもの私のご指名がやってきた。
ただ、いつもはちゃんと名前で呼ぶのに、今日に限って何故か一部で流行中のアダ名でのご指名だ。思わず立って抗議してしまったところへ、言葉のカウンターが飛んでくる。おかげで講義室は大爆笑。ううっ、いきなり笑い者にされちゃったよ……。
でも、こんな状況ともオサラバだ。そう、もうなっちゃんにとって英語の和訳なんてへのかっぱ。どんなにご指名を受けても、それなりに答えられる自信がある。やれやれようやくちょっと眠れるぞと安心しているそこの男の子、もうキミにこの時間の安眠はないのだ。
「では、波津野君、訳してみなさい」
「はい、お任せあれ~」
私は早速、声高々に英文を訳しはじめた。
あのあと、私はすぐに本屋で『老人と海』の文庫本を購入してきた。もちろん、日本語で書かれている。講義のテキストと見合わせると、確かにちょっと違うところもあるけれど、うん、これは使える。
「ところどころ意訳が過ぎるところがあるんで、そこは上手くバレないように自分の言葉に置き換えてくださいよ? あと、ところどころわざと間違えると効果的です。先生に指摘されたら『あ、そうかぁ』みたいな感じで、ね?」
葵ちゃんのアドバイスを思い出しつつ、適度な感じで訳していく。
学生たちのざわめきが、私の耳にも聞こえてきた。おー、おー、さっきの男の子もこれじゃあ眠れねーじゃんって表情で困っておるわ。あはは、バカめと言っておこう。
ただ、学生たちの期待通りのリアクションに反して、遠藤先生はあくまでいつもと変わらない。じっと私を見つめて、その和訳におかしなところがないかをチェックしている。葵ちゃんに言われたようにわざと間違えたら、ちゃんと「そこはおかしい」と言ってくるし、なにより私がこんなにスラスラと訳しているのに悔しがったり、驚いたそぶりすら見せない。
うーん、正直期待はずれ。悔しがる遠藤先生が見たかったのにー。
「ふむ、そこまで。座ってよろしい」
「あ、ども」
私は拍子抜けして座席に座ろうとする。
「Shame on you!」
遠藤先生の呟く言葉が聞こえた。
「え? あ、しぇいむ・おん・みー……って、なんで? なっちゃん、ちゃんと和訳したのにー」
遠藤先生は、一瞬、はっとした表情を浮かべる。けど、次には苦笑いを浮かべて。
「む、すまん。ついいつものクセで言ってしまった」
「ひどいよー、先生。ちゃんとやったんだから、たまには褒めてよー」
再び講義室が爆笑に包まれる。
うん、悔しがる遠藤先生の姿を見る事は出来なかったけれど、これはこれでよしとしよう。
それから、私が遠藤先生の講義で困らされる事は一切なくなった。
めでたしめでたし。
と、本当だったらこれで終わるはずだったんだよ。
でも、私と遠藤先生の関係は、思わぬところで新たな展開を見せることとなった。
六、
クリスマスシーズン。
ゲームショップが一年で一番忙しい時期。
ゲームショップ・ぱらいそでも、おかげさまと言うべきか、それともバイトの身からすれば余計なお世話と言うべきか、ともかく世間並みに忙しい毎日が繰り広げられていた。
「美織ちゃーん、ラッピングが追いつかないよぉ」
頭にトナカイの角をつけた葵ちゃんが、泣きそうな声で、泣きたくなる現実を叫んでいる。
そして私はと言うと。
「いえーい。ゲームショップ・ぱらいそへようこそん」
師走のクソ寒い中、赤と緑の縞々のビキニに、真っ赤でふわふわなコートを羽織って、店先で呼び込みを行っていた。
美織ちゃん曰く、セクシーサンタ、らしい。
ビキニ姿でお酌云々を叱られたのに、こんなイベントを企画するなんて矛盾してるんじゃないかなと思ったけれど、特別手当付きのスペシャルミッションなので文句なんてあるはずがない。
寒いけれど、ご自慢ボディでがんばるぞい!
ただ、お父さんはちょっとヤらしい目でちら見するさけなんだけど、お子様たちが容赦ないのは誤算だった。「うおー、でけぇ」「きょにゅーだ、きょにゅー」と騒ぎ立てるぐらいならいいけど、どさくさに紛れてボインタッチするんだもん。子供だから婚姻届を突きつけるわけにもいかないし、なっちゃん、もう泣き寝入りするしかないのですよ。ぐすん、汚されちゃったよぉ、おかーさーん。
「ちょっと奈保、ちゃんと仕事しなさいー」
「やってるってばー。それより美織ちゃん、なっちゃんもクリスマスプレゼント欲しいよー」
「はぁ、なによクリスマスプレゼントって?」
「ズバリ、美織ちゃんのお爺ちゃんとの婚姻届が欲しいなー」
「悪い冗談はやめてよー」
「美織ちゃんになら『おばあちゃん』と呼ばれても、なっちゃん、我慢するよー」
「アホなこと言ってないで働けー!」
なんか忙しすぎて、わけ分からない会話になってる。でも、まぁ、ゲームショップにとって、クリスマスと言うのはこんなテンションで頑張らなきゃやってらんないんだよね。
と、そこへ。
「また、キミは。そんな格好をして」
美織ちゃんと馬鹿話を怒鳴りあっていると、ふと声をかけられた。
あ、ヤバい、お客様だ。
「いえーい、ハッピークリスマス!」と騒ぎながら慌てて振り返ると、そこに立っていたのは……。
「ええええええ、遠藤先生?」
「うむ。メリークリスマス、波津野君」
「あ、ども。メリーです、どもども」
唐突過ぎて、これまたよく分からない返事をする。
え、どうして遠藤先生が?
もしかして遠藤先生がゲームするの? 似合わねー。
軽くパニくった。すると遠藤先生の後ろから、ひょこっとカワイイ女の子が現れた。金髪でお人形さんみたいな外人のカワイイ女の子だった。
「ダディ? このおねーさん、ダディの生徒なの?」
「違うよ、エミリー。ワタシの教え子にこんなバカな格好をした子はいない。ところで店員さん、八歳の女の子なんだが、それぐらいの子が遊べるゲームってあるかね? ああ、日本語はちゃんと読めるから、大丈夫」
「うん、エミリー、ちゃんと日本語読めるよー」
エミリーちゃんと呼ばれた外人の女の子は、確かに流暢な日本語を話していた。
私は驚きつつも、あのあたりだねーとご案内した(いい加減でごめんなさい。人ごみでいっぱいの店内に入ったら、絶対子供たちの悪戯にあうからイヤだったんだよ)。
エミリーちゃんはきゃっきゃ言いながら、店内に入っていった。
「お孫さん、ですか?」
「キミは何を聞いてたのかね。エミリーが私のことをダディ(お父さん)と呼んでいただろ?」
「じゃあ、娘さん……なんで、外人なの?」
「キミは本物のバカかね? 女房が外人だからに決まっておるだろーが」
「うそん? 先生、外人さんと結婚してるのー?」
いや、まぁ、英語の先生だし、そもそも外人さんと結婚しちゃいけないという規則があるわけでもないし、そんなに驚くことではないのかもしれないけれど。でも、普段の厳格なディス・イズ・トラディショナル・ジャパーニーズ・ガンコオヤジを地で行く遠藤先生なので、その国際結婚はあまりに意外だった。
「ところで、キミのその格好は何かね?」
「あ、セクシーサンタです。どう、先生、セクシーでしょ?」
私は一年前の屈辱を思い出して、ここぞとばかりにその嫌な思い出を払拭すべく、アピールした。あの時と変わらないビキニ姿だけど、この一年間でなっちゃんの体はさらなる進化を遂げているんだ。どうだ、まいったか。まいったと言え。
「それのどこがセクシーだ。キミは本当にバカだな」
でも、あっさりと一蹴されて、古傷がさらに開いてしまった。
「まったく。キミみたいなバカがいるから、私もなかなか日本から出られないんだ」
遠藤先生がはぁと溜息をついた。
「え、先生、外国に行っちゃうの?」
「うむ、老後は外国で過ごそうと思っている。エミリーもああして女房の血を濃く受け継いでいる、日本にいるよりあちらで過ごした方がいいだろう」
確かにさっき見たエミリーちゃんは日本語こそ話すけれど、見た目は完全に外国人だった。今の日本、外国人は決して珍しくないけれど、やっぱりまだまだ変な抵抗はある。これからもしかしたらエミリーちゃんも苛めとか受けるのかもしれない。そう考えると遠藤先生の考えも理解できた。
「時に、波津野君」
不意に遠藤先生が声をかけてきた。
「キミは大学ってどういうものだと思うかね?」
「はぁ?」
私は、これまたあまりに唐突過ぎて、またまたマヌケな声を出してしまった。遠藤先生も溜息をついている。本当にゴメンなさい。今の質問に対して、この私の反応はあまりにバカすぎました。
「いや、あの、そうですねー……日本の最高教育機関、でしょうか? なんちゃってー」
真面目に答えようとして、あっさりと瓦解した。なにやってんだか。
でも、遠藤先生はそんな私の答えにちょっと驚いたようだ。
あれ、結構良いこと言ったっぽいぞ。
「ふむ。キミがそういうつもりで臨んでいるとは思ってもいなかったな」
「えー、でも大学ってそういうところでしょう?」
「まぁ。確かにその通りだ。で、キミはその最高教育機関でしっかり勉強をしているかね?」
「え? えーと、まぁ、その……頑張ってるつもりです」
うん、頑張ってはいる、頑張ってはいるんだ。ただ結果がなかなか出ないだけで。
「うむ。たしかに、頑張ってはいたみたいだね」
そんな私の答えに遠藤先生がふっとどこか寂しそうな目をした。
「昔はね、みんな、大学に最高の勉強をするためにやってきていたんだ。でも、いつからだろうね、とりあえずみんな行くから自分も大学に行くか、まだ働きたくないから大学に進学しようかって学生が増えて、教鞭を取る私もその流れに従わなければいけなくなった」
そして先生がコートの中から一冊の文庫本を取り出す。私はそのタイトルを見て、あっと声をあげそうになった。
「ヘミングウェイの『老人と海』。そのタイトルだけだったら、小学生でも知っている不朽の名作だ。本屋に行けば、まずこうやって文庫本が簡単に手に入る。こんなのを英文講義のテキストにしなくちゃいけないなんて、悲しいことだと思わないかい?」
私は声を出すことも出来なかった。
「キミは面白い学生だったよ。バカだった。私が教鞭を取って、こんなにバカな学生は見たことが無い、とは言いすぎだが、今時珍しいぐらいバカだった。でも、そんなキミが私は好きだったよ。和訳に四苦八苦して、でもその姿に私は、この子はこの子なりに勉強しているんだなと感じていたからね。『Shame on me!』も実にバカらしく最高だった」
遠藤先生は全て知っていた。
そして、私がバカなりに努力していたことも気付いてくれていた。
なのに、なっちゃん……なっちゃんはっ!
「ダディー。エミリー、これがいい」
気付いたら、エミリーちゃんがゲームソフトを片手にやってきた。
「おお、エミリー。いいのが見つかったかい、よかったね。店員君、これが欲しいんだが、会計してくれるかね?」
遠藤先生が私に、エミリーちゃんの選んだゲームソフトと、その金額を手渡す。
私は頷いて、子供たちの悪戯もなんのその、混み入った店内に飛び込んでいった。
「先生、冬休み明けの試験、私、ちゃんと勉強しますからっ!」
気が付けば、私は叫んでいた。
「ホント、ちゃんと勉強しますっ! だから、本当にごめんなさいでした!」
会計を終わらせて、頼まれていないけれど、エミリーちゃんが喜んでくれるかなと思って、クリスマスのラッピング包装をした。
再び人混みを抜けて入り口に戻ると、先生とエミリーちゃん、そして見知らぬ女の人が立っていた。
女の人は、腰まである金髪のストレート、身長はかなり大柄で遠藤先生より頭一つ分高かった。そして何より驚いたのは。
「波津野君、紹介しよう、私の妻のエリーだ。エリー、彼女が例のハニートラップを仕掛けてきたプリティーガールだよ」
「おー、確かにプリティーガールねー。おっぱい、実にプリティーでーす」
これといって何もしていないのに、ぶるるんとエリーさんのおっぱいが揺れた。
え、なにそれ? 言葉を話すだけで揺れるおっぱいってなに?
てか、それ、どんだけあるの? エロ漫画やエロゲーでもこんなおっぱい見たこと無いわってぐらい大きいんですけど。
「すまんね、波津野君。私はこれぐらいのおっぱいじゃないと、おっぱいじゃないと思ってるんだよ。キミのはプリティすぎてとてもとても」
そんなことを言って、遠藤先生はニヤリと笑った。
「じゃあ、エリー、エミリー帰ろうか。私も急に仕事が出来てね。休暇明けの試験内容を作り直すことになってしまったよ。それでは波津野君、メリークリスマス、そして今年もお疲れ様でした。来年もキミと楽しく過ごしたいと思っているよ」
エミリーちゃんを中心に寄り添うように帰っていく遠藤先生たち。私は先生の意外な秘密を知って、呆然として見送っていた。
「来年も一緒に過ごしたくなんかないわー」って叫びたくなったのは、もうすっかり遠藤先生たちの姿が見えなくなってしまってからの頃だった。
エピローグ
一月下旬。
大学の掲示板に「英語1」の再試験名簿が張り出された。
例年とは違って、授業で使っていたテキストとは違う作品から出題し、本当の英語力が問われる試験だったのでめちゃくちゃ多くの人の名前が羅列されている。
でも、そこに私、波津野奈保の名前はどこにも書かれていないのだった。




