第六十話:新たな市場へ!
季節は巡り、本格的な春の訪れも近い三月の下旬。
春休みということもあって、いつも以上に賑やかな『ぱらいそ』で慌しく働きながら、司はちょうど一年前のことを思い出していた。
思えば、あの頃の『ぱらいそ』は酷い状態だった。
店内に張り出されたポスターは古くて日焼けしてるし、商品の陳列は乱雑のひと言。
デモを流すモニターにはうっすら埃が積もっていたし、買取価格表に至っては一ヶ月以上更新されていなかった。
それでも挫けることなく司はひとつひとつ改善していったものの、到底お店を立て直すことは叶わなかったのだが……。
なのに、彼女はたった一日で状況をがらりと変えてしまった。
晴笠美織――一見すると、まだ中学生になったばかりかと見誤るばかりのちっちゃな女の子。
でも、その小さな体には大人顔負けの、とんでもない豪腕経営術が秘められていた。
やる気のない男性アルバイトをみんな解雇したかと思えば、突然『ぱらいそ』を女の子の店員しかいないメイドゲームショップに変貌させるわ。
ライバル店のオープンセールに集まったお客さんたちへチラシをくばり、これを根こそぎ奪おうとするわ。
しまいには「自分にゲームで勝てたら買取価格倍増!」という無茶苦茶な買取キャンペーンまでやり始める。
どれも司ではとても思いつかない、ハチャメチャな戦略だ。
だけどメイドゲームショップに生まれ変わった『ぱらいそ』はとても華やかで。
そんな『ぱらいそ』を訪れたお客さんたちは気に入ってくれて。
買取キャンペーンで繰り広げられる熱いゲーム対決に、店内は大いに盛り上がった。
メイドはともかくとして司が目指す、活気溢れるゲームショップの姿がそこにあった。
そして美織の熱気に誘われたのか、『ぱらいそ』で働く仲間たちが集まってくる。
お店の経営は勿論、皆の食事からトラックの運転、おまけに作曲までなんでもこなす完璧超人の小手道久乃。
持ち前のお気楽な性格とあっけらかんとした性的アピールで皆を和ませたり、どぎまぎさせたりする波津野奈保。
人気同人作家の肩書きを活かし、お店で無料配布する『月刊ぱらいそ』を描く加賀野井葵はお調子者のムードメーカーで。
全国各地から対戦を求めてやってくる強者を相手に、今日も店内に設置された『ストレングスファイター4』(通称『スト4』)で霧島恋は連戦連勝を積み重ねる。
おまけに年明けから新たに加わった黛薫は元ライバル店のエリアマネージャーで、全ての業務は言うまでもなく、買取キャンペーンで美織の代役まで務めることができる究極のオールマイティ。
最初は美織に無理矢理付き合わされたり、条件の良さに惹かれただけだったり、元々は敵対関係にあったりしたものの、『ぱらいそ』はあっという間にみんなを夢中にさせた。
かく言う司自身も普段は坊主頭の冴えない男の子なのに、『ぱらいそ』ではショートカットのウィッグとミニスカートのメイド服を身に纏った女の子に変身して、いつ正体がバレるかと不安を抱えながらも日々を精一杯、楽しく過ごしている。
それもこれも全ては店長である美織のおかげ――。
この春から司たちに遅れること一年で花翁高校へ進学する美織ではあるが、司はそれでも尊敬の念をこめて彼女を「店長」と呼ぶ。
さて、その偉大なる店長・美織は今、何をしているかと言うと……。
「まったく、なによこの有様はっ!」
受験勉強地獄から開放されて久しぶりに『ぱらいそ』の店頭へ戻ってきたというのに、ぶりぶりと怒っておられるのであった。
「ちょっと、カオル! こっち来なさいっ!」
怒りの矛先は、まず黛に向けられた。
美織は苛立ちを隠すことなく、カウンターから黛の名を呼ぶ。
当の黛は試遊台コーナーから「何の用です?」と訝しむ表情でカウンターを向くも、すぐに笑顔を浮かべて周りのお客さんたちに「ちょっと店長が呼んでいますので行ってきますね」と断りを入れた。
「あーん、薫様、すぐに戻ってきてくださいねー」
「戻られたら、お茶にしましょう。私、今日はクッキーを焼いてきましたの」
「お茶の準備をしておきますね」
背後の黄色い声援に黛は「それは楽しみです」とにっこり答え、カウンターへ歩を進める。
その後ろ姿に再度上がる歓声。
もっとも彼女たちは知らない。
黛が先ほどの営業スマイルから、いつもの仏頂面に戻っていることを。
「なんですか、美織? 私は接客で忙しいのですが」
「……あんた、そんなに表裏の激しい人間だったっけ?」
「なんのことです?」
「さっきまで女の子たちに笑顔で接していたじゃない。普段は今みたいに眉間に皺を寄せてるくせに」
「お客様の前では自然と笑顔になる、サービス業に携わる者ならば誰もが持っていて当たり前のスキルだと思いますが?」
もっともその当たり前が、かつてぱらいそでバイトをしていた頃の黛は出来ていなかったから美織は驚いたのだが。
「そんなことを言う為に私を呼び寄せたのですか?」
「違うわよ! 私が訊きたいのはあれよ、あれ!」
美織はぞろぞろと試遊台から休憩コーナーのテーブルへと移動する女の子の一団を指さす。
「あんた、私が休んでいる間にハーレムなんて作ってるんじゃないわよっ!」
「ハーレム? また何を言っているんです、あなたは? あの子達は大切なお客様ですよ」
まったく馬鹿なことを、と呆れる黛だが、美織は「だったらその制服は何よ?」と噛み付く。
「ああ、これですか」
黛は制服の胸元をかすかに引っ張った。
『ぱらいそ』で唯一、自ら制服を用意した黛。
その背後には美織が受験勉強の為、制服を作る暇がなかったというのもある。が、後日、美織が変な制服を作ってくる前に、自らのキャラを固めてしまえという黛の戦略を疑わずにはいられない。
なんせ短く切り揃えた髪の毛をさらにワックスで固め、きりりと引き締まった端正な顔立ちをさらに際立たせる化粧を施した上に、メイドゲームショップでありながら店内で唯一執事服を用意して着込んでいるのだから。
「私には皆さんのような可愛いメイド服は似合いませんからね。とは言え、ここはメイドゲームショップ。私が出来うるメイドに近いものをと考慮した結果、このスタイルにしたまでのことですが?」
「本当に? あんた、旦那や子供もいながら、実はそういう趣味があるんじゃないでしょうね?」
「うん? 言っている意味が分かりませんが?」
「だーかーら、あんた、男装の麗人を気取って本当は女の子たちを侍らす趣味があるんじゃないの、って言ってるのっ!」
えらい剣幕で問い質す美織だったが、当の黛はそれこそ呆れた。
「あるわけないでしょう。それを言うなら、美織こそどうなのです? みんなにあんなメイド服を着させる貴方の方こそ、その手の道に通じているのではと疑いますが?」
「私は単に可愛いものが好きなだけよっ! そっちの趣味なんてないわっ!」
いきり立つ美織に「本当ですかねぇ」と疑いの眼差しを変えない黛だったが、ふたりのやり取りを見ていた久乃が
「美織ちゃんは単に相手が恥らう姿に萌えるドSやでぇ」
と助け舟を出してきたので、ああと納得した。
「まぁ確かに。美織のは百合の甘美さを楽しむというより、女の子に恥ずかしい格好をさせて愉しむオヤジ趣味ですね」
「そやそや」
「変態ですね」
「ド変態やな」
「……あんたたちねぇ」
変態だ、変態だと連呼するふたりを睨みつける美織。
「とにかくカオル、あんた本当にそっちの気はないのね?」
「ええ、私は変態の美織とは違いますから」
「しつこいわよっ!」
まぁでもだったらいいわ、と美織はあっさり納得した。
なんだかんだで昔からの付き合いのある仲だ。
黛がつまらないウソをつかないのを美織は知っている。
「でも、美織ちゃんがそういうのを気にするのは意外だねー。美織ちゃんって世間の柵とか一切気にしない、来る者拒まずの超絶自由人だとばかり思ってたよ」
そこへこれまでのやりとりを近くで黙って聞いていた葵が割り込んできた。
「来る者拒まずって……あんた、私をなんだと思ってるのよ?」
「えー、だって美織ちゃん、どう見ても肉食系じゃん? それにお嬢様学校に通ってたんだから、そういう百合話のひとつやふたつぐらい」
「ないわよっ!」
「ホントにー? ひそかに久乃さんを当時はお姉さまと呼んで姉妹の契りを結んでたりしてたんじゃないの?」
「んなわけないじゃない。久乃のことは子供の頃から久乃って呼びつけにしてるわっ!」
おいおい、年上なんだから呼びつけにするなよ……。
「んー、まぁ、言われてみればそうだよね、美織ちゃんの性格からして妹側なわけないか……それにお姉さまと慕われるには、ちょっと」
話の流れで葵は美織の頭から足先まで視線を走らせる。
そのちんまりとしたなりに、思わず憐れみの感情が表情に出た。
「なっ!? なによ、その顔はっ!? こう見えて私だって」
「そやでー。こんなちんちくりんな美織ちゃんにも『お姉さま』って呼んで慕う子が前の学校にはおったんやで」
「ちょっ、久乃!?」
自分でもつい勢いで暴露しようとしていた過去を、しかし、久乃に言われようとして美織は慌てた。
「へぇ、意外だねー」
「世の中は広いですね。そんな物好きもいるとは」
美織の慌てた反応もあってか、葵と黛は久乃の話に大いに関心を示す。
すかさず葵が美織の両脇から腕を通して身体を拘束すると、黛が「続きをどうぞ」とばかりに久乃を促した。
「それが美織ちゃんもたじろぐぐらい積極的な子でなぁ。四六時中、美織ちゃんの事をお姉さまお姉さまって追い掛け回して、ついには強引に」
「久乃っ!」
話が佳境に入る寸前、葵に捕まっていた美織が火事場のクソ力で拘束を振り解くと、久乃に飛び掛った。
「うわぁ、美織ちゃん!?」
「それ以上言ったら殺すからねっ!」
首を絞め落さんとばかりに突き出された美織の両手を、久乃が必死になって受け止める。結果、プロレスで言うところの力比べみたいになった。
「とりゃあ!」
と、じりじりと広がっていく両手の間から、美織が頭突きをかます。
「ちょ、美織ちゃん、なにするん!?」
が、悲しいかな、身長差から美織の頭突きは久乃の頭には届かず、その豊満な胸に顔を埋める形となった。
「とりゃとりゃとりゃ!」
それでも構わず頭突きを何度も何度も久乃の胸にかます美織。
「やめ、もう、やめてーや、美織ちゃん」
「ならもう言わない? 言わないと約束する、久乃?」
「分かった、言わへんから、もうやめぇ」
久乃が降参してもしばらく胸に顔を埋める動作を続ける美織を見て、黛は思う。
(やはりエロおやじって感じですね、美織は)
「ま、カオルの件はいいとして、それよりも問題なのは……」
美織が溜息をつきながらカウンター奥のバックヤードに目をやっていると、司が商品の陳列から帰ってきた。
「ん、お疲れ様、つかさ」
「あ、店長もお疲れ様です」
挨拶をかわすもそこそこに、司はすぐに買い取った商品のどれを加工しようかと吟味に入る。
買い取った商品はそのままでは売れない。
汚れていたり、傷がついていたりするからだ。
なので汚れを拭き取ったり、ディスクの傷を研磨機と呼ばれる機械で磨いて落したりする。
ゲーム機本体やメモリーカードなどは初期化することも忘れてはならない。特に最近のゲーム機は個人情報に加えて、ダウンロード購入時に使ったクレジットカード情報が残っていたりするから初期化は必須だ。
それらを終えると、今度は店頭に並べる為の準備をする。
『ぱらいそ』では新品商品はダミーパッケージを、中古商品は俗に「中抜き」と呼ばれる、カートリッジやディスクを抜き取った状態のパッケージを陳列している。
この方法だと販売時に商品そのものや、中身を取ってくる手間が出来てしまう上に、カウンター内にそれらを保管する在庫棚も必要だ。
手間やスペースを考えれば商品そのものを店頭に展示したいところだが、それだとどうしても万引きのリスクが生まれてしまう。一応万引き対策として商品に磁気シールを貼り、出入り口に専用のゲートを設置する方法もあるが、美織はあまりこのやり方は好きじゃなかった。いかにも万引きを警戒してますよって感じだし、なにより商品が持ち出されようとした際にゲートは警戒音を発するだけで犯人を捕まえるわけではない。中には必死に逃げようとする者もいるだろう。それらを追いかけて捕まえるのは、武芸に秀でるレンならばともかく、他のスタッフにはとても骨の折れる仕事だ。
だったら多少の手間とスペースは必要ではあるものの、万引きが事実上不可能な現状の方が望ましかった。
脱線した。話を商品加工のくだりに戻そう。
買い取った商品の中身をパッケージから取り出し、それらのディスクやカートリッジは傷が付かないよう専用の不織布に入れ(もっとも最近はその不織布もディスクの保管にはあまりよくないと言われている)、在庫棚で大切に保管。パッケージは汚れや埃を避けるために透明な袋へ入れて、その上から値札を打ち出したシールを貼る。落ちない汚れや、付属品の欠如などがある商品はそれらの状態と値引き額を記載したポップも添付する。
これが基本的な買い取った商品の加工作業だ。
『ぱらいそ』では一応、誰もが習得している技能である。が、美織やレンはゲーム対決で忙しいし、奈保も売り場での接客がメインだ。久乃は新品商品の発注や、値段設定などの仕事もあるし、黛はオールマイティではあるが故にこちらも色々と仕事を兼任しがちである。
となると、残るのは司と葵だけ。
そして葵は作業をしていても、つい手を止めておしゃべりに夢中になる困ったちゃんである。
かくして買い取り商品の加工は司がメインでやっているわけだが、最近どうにも未加工商品が溜まりがちなのであった。
「真面目なつかさがサボるわけないし……となると、葵! あんた、ちゃんと働きなさいよ!」
「ヒドい言いがかりだ! あたしだって頑張ってやってるよっ! そうじゃなくて」
葵が未加工商品だけでなく、バックヤード全体を見ろとばかりに両腕を広げる。
「もう商品がいっぱいいっぱいで、どこにも置く場所がないんだってば!」
バックヤードに幾つも設置された在庫棚。それらがどれも満杯だった。
「てか、美織ちゃんだって分かってるくせに」
「まぁね。でも、とにかく葵を責めておくのはお約束ってヤツよ」
どんなお約束だそれと憤る葵を無視し、美織は「しかし、どうしたものか」と思案する。
原因は明らかだった。
売上げに対して買取が多すぎるのだ。
もともと例の買取キャンペーンの効果もあって、以前から若干買取過多なところがあった。
そこへ三月という引越しの身辺整理による買取シーズンの到来、さらに黛目当ての新たに獲得した客層からの買取も加わって、売上げとのバランスが大きく傾いてしまった。
「春休みセールもやってるんやけどなぁ」
多く買い取れば、それだけ多く売ればいい。
多く売る為には、やはりなんと言っても値下げが効果的だ。
利益は下がってしまうが、在庫過剰気味な商品が売れるとお店は助かるし、お客さんだって通常より安く買えて喜ぶ。まさにウィンウィンという関係がここにある。
ただ、それでも追いつかない現状に久乃もやや困り顔だ。
「そもそも買取が多すぎなんだってば。ちょっと落ち着くまでキャンペーンをやめようよぉ」
「それはダメよ、葵。リサイクルってのは買取が生命線なんだから」
「そうですよ。ちょっと在庫が増えすぎたからって、買取を疎かにしたらお客様が離れちゃいますよ」
上手く買いと売りを回さないと、と続ける司に美織が「へぇ」と目を細める。
「つかさ、あんた分かってるじゃない」
「最近久乃さんの勧めもあって勉強してるんです」
「なるほど」
美織は満足気に頷いた。
「んじゃ、問題。あんたならこの現状をどう切り抜ける?」
「え? えーと、そうですね……」
司はうーんと小首を傾げる。
自然と右手の人差し指を伸ばして口元に押し当てる様に、美織は「こいつ、本当に女の子っぽくなったわね」と苦笑した。
「んー、やっぱりもっと思い切ったセールしかないんじゃないでしょうか?」
「思い切ったセールって、つまりはもっと値段を安くするってこと?」
「はい。あるいは去年の夏のセールみたいに二本同時購入で五百円引きみたいな」
「ぶー。不正解」
これ以上は聞いても無駄と、美織は小さな胸元で大きく両腕をクロスさせた。
「あんたもまだまだねぇ。そんなのでイケるのなら、とっくに久乃がやってるでしょ?」
「あ、そうか」
「いい? この問題はもうそんなレベルではないの。もっと大きな視点で考えたら導き出せる答えはただひとつ!」
美織がばっと頭上に左手の人差し指を突き上げた。
「ズバリ、新たな市場に進出する時が来たのよ!」
そしてこれ見よがしのドヤ顔を浮かべる。
「素晴らしい。さすがは美織です」
そんな美織の案にいち早く反応したのは黛だった。
「確かに私もこれ以上は『ぱらいそ』だけでは対処しきれないと感じていたところです」
「ふ、どうやら考えていることは同じのようね、カオル」
「ええ、やはりこれしかありません」
ふたりは一度すーと息を吸い込むと同時に口を開いた。
「『ぱらいそ』二号店を出すわよ!」
「ネット通販を始めましょう」
「どこが同じ考えだよ、全然違うじゃん!」
葵にツっこまれるまでもなく、美織と黛は思わず顔を見合わせるのだった。




