第五十六話:大切な仲間
美織は困惑していた。
ライバル店のインテリヤクザが突然試合を申し込んできた。
それは別にいい。どれだけ腕に自信が有るのかは知らないが、挑まれたらやることはただひとつ。
受け止めて完膚なきまま叩きのめすまで!
美織の辞書に「逃げる」はない。
が、そのインテリヤクザと司が手を組んでいるのは予想外だった。
いや、予想外どころじゃない。
これっぽっちも考えていなかった。
何があったのかは知らないけれど、司たちが自分を高校に行かせようと企んでいるのは気付いていた。
まったく馬鹿馬鹿しいと思った。前からもはや自分に高校に行く必要性なんてないと言っているし、自分自身もそう信じてやまない。何を言われたところで、今さら行くつもりなんてなかった。
それに万が一行きたくなったとして、だとしたら買取キャンペーンはどうなる?
高校に行っている間とは言え、ライバル店に対するアドバンテージが減ってしまうじゃないか。
どうしても進学させたいのなら、まずは自分の代わりを見つけて来い。話はそれから……と言っても、高校なんて行かないけどね、なんて思っていた。
そこへまさか「高校進学」を賭けた勝負を挑んでくるなんて……。
「つかさ、あんた、自分が何をやっているのか分かってる?」
「……はい」
泣きそうな表情をしながらも、懸命に心を奮い立たせる司の決意は美織にも伝わった。
それだけに美織も泣きたい気持ちになる。
美織にとって司は二律背反な存在だった。
幾度となく自分にこてんぱんにされても、ぱらいそでどうしても働きたいと粘る司は鬱陶しくもあったものの、正直その熱意は同志を得たようで嬉しかった。
司が男の娘として働くようになってからは、美織は常に爆弾を抱えているような心境を抱えつつも、基本的な仕事をほとんどしない自分やレン、奈保に文句ひとつ言わず、ぱらいその為に働いてくれる姿には心から感謝していた。
なんだかんだあるけれど
「そう。残念ね」
大切な仲間だと思っていたのに……。
「いいわ、あんたたちが勝ったら高校に行ってあげる。ただし、私が勝ったらその時は……ふたりとも覚悟しておきなさいよ」
美織は頭の中で渦巻く様々な感情を全部飲み込み、震えそうになる唇を噛みながら、ふたりからの挑戦を受け取るのだった。
☆☆☆
時はまた戻って、あの日の続き。
「え、えーと、黛さん、何言ってるんですかあ。香住君がうちのつかさちゃんと同一人物なんてあるわけないじゃないですかー。もうやだなぁ」
「……貴方こそ今さら何を言っているのですか?」
懸命に誤魔化そうとする葵と、呆れ顔の黛。どちらが優勢なのかは言うまでもない。
「あれだけぱらいその話をしておいて、その男の子が無関係なわけないでしょう?」
それに、と黛は付け加える。
「なんとなく分かるものなのですよ、似た者同士ってのはね」
似た者同士……それは黛自身のことを言っているのだろうか。
女性でありながら、男性のように髪の毛を短く揃え、男物の服を身に纏う黛。それは彼女のスタイルだと思っていたが、実は何かしらの事情があってのことなのかもしれない。
しかし、それはさておき困ったことになった。
これまで誰にも気付かれなかったつかさちゃんの正体、それをまさか黛に知られてしまうなんて……。
「さて、どうしますか? 私は香住君が共に戦うのであれば、お手伝いしましょう」
司たちの困惑をよそに黛は返答を迫る。
「……どうしてですか?」
誰も答えられない中、司がぽつりと呟いた。
「どうして? 君の正体に気付いたことならば先ほど話した通りですが」
「違います。そうじゃなくて……」
「ならば君を指名する理由でしょうか。ならば簡単です」
黛がすっと眼鏡のブリッジを中指で上げる。
「私と手を組めば、きっとあの子は君を許さない。ましてやもし負けることがあれば、あれは君を裏切り者として処罰することでしょう」
処罰とはすなわちクビ。
「私たちが勝てばあの子は学校に行く。私たちが負ければ君がぱらいそを去る。つまり」
ああ、そういうことか。
「どちらにしろ私には美味しい話……ええ、切り札は最高のタイミングで、ですよ」
「ふざけんじゃねーっ!」
レンが激怒して声を荒らげるのも仕方なかった。
「黛さん、一瞬味方かなぁと思ったのに……」
奈保の呟きがみんなの気持ちを代弁しているかのようだった。
「私が君たちの味方のわけないでしょう?」
それでも黛は平然と言い放つと、この状況になってもなお共闘の返答を促す。
「バカなの!? そんなの受けるわけないじゃん! レンちゃん、やっちゃって!」
「おう!」
葵が黛を指差し、レンが任せろと腕まくりする。
「待ってください!」
が、黛を部屋から追い出そうと手を伸ばすレンを、司の声が止めた。
「司、何を待つって言うんだ? 今さらこいつに何を期待してんだよ!?」
「そうだよっ。もう話す余地なんてないよっ!」
レンや葵が非難の声をあげる中、しかし、司はじっと黛を見つめる。
黛も司の視線を真正面から受けて逃げることはない。
「黛さん、僕が聞きたい理由はそれでもありません」
「では何を?」
「黛さんは僕が女装していることに気付いていたって言いました。だったらどうして」
それまで黙って成り行きを見つめていた久乃が「そうやな、それが一番気になるなぁ」と頷いた。
「僕のことを……ぱらいそで働くつかさって女の子は実は男だって言いふらさなかったんですか?」
黛は先ほど美織とのゲーム対決に勝とうが負けようが自分には利があると言った。
だから協力する、と。
でも、よく考えてみれば、勝負に勝って美織が学校に行くのはともかくとして、負けた場合の司追放はわざわざそんなことをしなくてももっと簡単に成し得てしまう。
そう、司が指摘するように「つかさちゃんは男だ」とお客さんたちの前でその正体をバラしてしまえばいい。
むしろその方が司を単純に追放するよりも、ぱらいそにとってはダメージが大きいだろう。
なんせそれまで性別を偽って、お客さんたちを騙していたことが暴露されてしまうのだから……。
「なるほど」
司の問い掛けに、黛はひと言だけ呟く。
そしてしばらく黙ったまま、司と見合っていたが
「まどろっこしいと思われるかもしれませんが」
と前置きをした上で、
「しかし、そうでもしないとあの子は君を手放さないと思うのでね」
黛は自分が感じた見立てを話し始めた。
黛が司のことを知ったのは、今さら説明するまでもなく、あの日……ぱらいそが新たにメイドゲームショップとして生まれ変わった事も知らされず必死にライバル店の前でチラシを配っていた時のことだ。
ぱらいその大胆不敵と言うか、無茶苦茶な手口に黛は呆れた。が、同時に司の存在に脅威も感じていた。
見るからにまだ子供である。いや、子供ゆえに自分のやったことの重大さに気付かないのかもしれないが、それにしてもライバル店の駐車場でチラシを配るなんて無茶苦茶なことを一生懸命にやってのけるなんて、自分が働く店舗への愛情がよほど強くないと出来ない行為だ。
(これはちょっと厄介ですね)
話に聞いていた現在のぱらいそスタッフは皆一様にモチベーションが低いはずで、司のような存在は予想外だった。
だから店長があの美織だと知り、さらにその美織が「あのチラシはクビにした元アルバイトが勝手にやったもの」と主張してきた時、黛は咄嗟にその言質を利用して計算外の存在である司の排除を試みることにした。
あの時、周りからすれば美織にしてやられたように見えたが、黛自身としては悪くない落しどころだったのだ。
実際、美織が司に執着する様子も見当たらなかった。
次に黛が司と再会したのは、夏の、あのライブの日のことである。
それまで黛は円藤にも指示したように、ぱらいそには静観の構えでいた。
ライバル店の敷地内でちらしを配り、メイドゲームショップなるものへと変貌し、お客とゲーム対決で買取金額倍増なんて常識外なことをやってくる美織のぱらいそに対して策を講ずるよりも、自店舗の充実を図るほうが先決だと判断したからだ。
その判断は間違ってはいない。
が、予想外な存在がここにもあった。
(アレはあの時の……)
ステージでひときわ観客を魅了する司の姿に、黛は自身の見立ての甘さを呪った。
春先の様子からして、女装は美織の案とは思えない。美織は司を文字通り使い捨てるつもりだったはずだ。
となると、司自身が女装をしてまでぱらいそで働くことを望んだことになる。
そこまでしてぱらいそで働こうという司の執念も凄いが、同時にその司を受け入れた美織にも黛は驚きを覚えた。
確かに女の子に扮する司の見た目は可愛らしい。が、その正体がバレた時のことを考えたら、とてもではないが採用など出来ないはずだ。
美織はギャンブルなところが子供の頃からあった。が、同時に聡明で、そのリスクとリターンを比べる秤には天賦の才がある。
その美織がリスキーな司を積極的に雇うわけがない。おそらくは当初相当に揉めたであろうことが簡単に予想出来た。
にもかかわらず、ステージで一緒になって歌って踊る美織に、司へのわだかまりのようなものは全く見られない。むしろ司を完全に信頼しきっているように見える。
その印象は秋ごろから自ら足繁くぱらいそに偵察に行くにつれて、ますます強くなった。
かくして黛は己の失策を知る。
様子見してはいけなかったのだ。
美織が司の存在を完全に認める前に、関係を断ち切るよう動かなくてはいけなかった。
かつてならば司の正体をちらつかせるだけで、美織は容易く司を切り捨てただろう。
しかし、今となっては美織が司を無下に扱うことはない。例え正体が暴露され、客たちが暴動を起こしたとしても、美織は司を守りきるに違いない。そしてそういった逆境からの大逆転は美織の十八番だ。
故に下手に藪を突けば蛇が飛び出してくる状況に、黛は手をこまねいて見ているしかなかった。
そう、司たちが美織を高校に進学させたいという問題を抱えていることを知るまでは……。
「店長が僕を守る……」
黛の見立てを司は驚きながら聞いていた。
これまで美織からはことある度に解雇をちらつかせれ、正体がバレたら……と何度も念を押されている。だから司自身、美織を慕ってはいるが、何かあった時には自分はあっさり切り捨てられるものだと覚悟していた。
「信じられないって顔をしていますね。しかし、昔からあの子や、あの子の祖父を知っている自分には分かるのですよ。なんせあの人たちは時に自分が不利になったとしても、人との繋がりを重視するような人種ですから」
そうじゃないですか、と黛から視線を飛ばされた久乃は苦笑しながらもコクリと頭を縦に振った。
美織になんだかんだと振り回されることの多い久乃だが、それでも彼女に付き合うのはその情の深さを知っているからだ。
冷徹に見えて、実のところは情に厚い。素直じゃないし、おそらくは美織本人も自覚はないのかもしれないが、そうでなければ久乃は家庭教師を勤める自分の顔を潰すようなことをしでかした彼女に付き合うことはなかっただろう。
「だからぱらいその中核を担う司君をあの子から引き離すには、よほどのことがないと無理なのですよ」
美織の意外な一面を知ってしばし物思いに耽る一同だったが、黛の言葉にはっと我に帰った。
「で、でも、そんなの条件ズルいじゃん! 勝っても負けてもあんたが有利じゃんか!」
「それは当たり前じゃないですか。無関係である私が手伝うのですから、それなりの恩恵があってしかるべきです」
「だとしてもよ、あんたが本気で戦うって保障はあるのか? わざと負けて、司をぱらいそから追放させるつもりなんじゃねーのかよ!?」
「それはありません。私にとって最良はあの子が学校に行き、ぱらいその買取キャンペーンが弱体化することです。司君をぱらいそから引き離すのは、単なる保険ですよ」
「うーん、なっちゃんはちょっと信じられないなー」
葵の糾弾を躱し、レンの疑いにもしれっと答える黛に、しかし、奈保は心を許さない。
それは葵もレンも同じ。久乃もさすがに全てを信じることは出来なかった。
ただし。
「僕は……信じます」
司だけは違った。
「ちょっと司クン、何言ってんのさー。コイツの言うことなんて信用できないよっ!」
葵の言葉に、レンや奈保が頷いた。
「そう、かもしれません」
葵に詰め寄られて、一瞬司の瞳が躊躇したように虚空を彷徨う。
「でも、信じるしかないと思います」
だけどすぐに瞳に力を取り戻した。
「だって店長を学校に行かせるには、もうこれしかないんですから」




